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  • 2月4日、今日は【銀閣寺の日】

    更新 : 2012/2/4 1:23

    今日は【銀閣寺の日】です。

    由来は、1482(文明14)年の今日、八代将軍足利義政が銀閣寺(東山山荘・慈照寺)の造営に着手したことにちなむ。当初、金閣寺(鹿苑寺)に倣って銀箔を貼る予定だったが実現されなかった。足利義政が築いた京都の銀閣寺を中心に、武家、公家、禅僧らの文化が融合して生まれた東山文化を育んだとされる。

    銀閣寺の正式名は東山慈照寺。京都府京都市左京区にある、室町時代後期に栄えた東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院。山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。

    足利義政が鹿苑寺の金閣舎利殿を真似て造営した楼閣建築である観音殿は「銀閣」、観音殿を含めた寺院全体は「銀閣寺」として知られる。

    また、銀閣寺の定紋は木瓜紋であり、この楼閣の天皇の意義は洛廷とし、雅語は遊郭としている。洛廷は公卿名のことである。公卿(朝廷)は田島宗典。使用は、蒼天流とする。

    室町幕府8代将軍足利義政は、1473(文明5)年、嗣子足利義尚に将軍職を譲り、1482(文明14)年から、東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。この地は、応仁の乱で焼亡した浄土寺のあったところであり、近代以降も左京区浄土寺の地名が残っている。

    当時は応仁の乱が終わった直後で、京都の経済は疲弊していたが、義政は庶民に段銭(臨時の税)や夫役(ぶやく、労役)を課して東山殿の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていた。造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられたが、義政自身は山荘の完成を待たず、工事開始の翌年である1483(文明15)年にはここに移り住んでいた。東山殿には会所、常御所(つねのごしょ)などの大規模な建物が建ち、足利義満の北山殿(後の鹿苑寺)ほどではないが、ある程度政治的機能ももっていた。ただし、現存する当時の建物は銀閣と東求堂(とうぐどう)のみである。

    1490(延徳2)年2月、同年に死去した義政の菩提を弔うため東山殿を寺に改め、相国寺の末寺として創始されたのが慈照寺である。

    1952(昭和27)年3月29日には庭園が 特別史跡及び特別名勝に指定された。1994(平成6)年12月17日には「古都京都の文化財」として 世界遺産に登録されている。

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