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3月5日、今日は【周恩来、誕生日(1898)】
更新 : 2012/3/13 16:07
今日は【周恩来、誕生日(1898(明治31)年)】です。
周恩来(しゅうおんらい)とは、中華人民共和国の政治家。字は翔宇。妻はケ穎超、子女は孫維世、李鵬。中華人民共和国が建国された1949(昭和24)年10月1日以来、死去するまで一貫して政務院総理・国務院総理(首相)を務める。毛沢東の信任を繋ぎとめ、文化大革命中も失脚しなかったことなどから「不倒翁」(起き上がり小法師)の異名がある。1972(昭和47)年に日本国首相の田中角栄(当時)と日中共同声明に調印したことでも知られている。
1972(昭和47)年のニクソン大統領訪中のお膳立てをしたキッシンジャーは、周恩来を「今までに会った中で最も深い感銘を受けた人物」の一人に数え、「上品で、とてつもなく忍耐強く、並々ならぬ知性をそなえた繊細な人物」と評している。国連事務総長だったダグ・ハマーショルドは「外交畑で今まで私が出会った人物の中で、最も優れた頭脳の持ち主」と証言している。
ノロドム・シハヌークはクメール・ルージュに苦しめられた経験などから反共主義者だったが、周恩来だけは高く評価していた。その理由を尋ねられたシアヌークは「だって、彼のほうが私よりよっぽど王族らしいじゃないか」と答えている。
『周恩来伝』を書いたジャーナリストのディック・ウィルソンは、周恩来をケネディやネルーと比較し、「密度の濃さが違っていた。彼は中国古来の徳としての優雅さ、礼儀正しさ、謙虚さを体現していた」と最大級の賞賛をしている。
また、1954(昭和29)年以来チャーリー・チャップリンとも親交を持ち、彼の作品の一つ「黄金狂時代」の名シーンであるチャーリーが靴を食べる場面を見て、長征の際の苦難を思い出し、懐かしがったと言う。
ケ小平は周恩来が文革期に毛沢東に妥協して走資派(実権派)粛清に協力したことに複雑な胸中だったと言われるが、周の没後ジャーナリストに対しては以下のように語っている。
「彼(周恩来)は同志と人民から尊敬された人物である。文化大革命の時、我々は下放(地方、農村での思想矯正)したが幸いにも彼は地位を保った。文化大革命のなかで彼のいた立場は非常に困難なものであり、心に違うことをいくつも語り、心に違うことをいくつもやった。しかし人民は彼を許している。彼はそうしなければ、そう言わなければ、彼自身地位を保てず、中和作用をはたし、損失を減らすことが出来なかったからだ」