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3月28日、今日は【シルクロードの日】
更新 : 2012/3/29 10:50
今日は【シルクロードの日】です。
由来は、1900(明治33)年の今日、スウェーデンの探検家・地理学者のスウェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された。
シルクロード(Silk Road)とは、日本と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称である。絹の道とも呼ばれる。現在の日本でこの言葉が使われるときは、特にローマ帝国と秦漢帝国、あるいは大唐帝国の時代の東西交易が念頭に置かれることが多いが、広くは近代(大航海時代)以前のユーラシア世界の全域にわたって行われた国際交易を指し、南北の交易路や海上の交易路をも含める。
シルクロードという語は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが、その著書『シナ China』(1877(明治20)年)においてザイデンシュトラーセンSeidenstrassen(ドイツ語で「絹の道」の意)として使用したのが最初で、彼の弟子ヘディンがその中央アジア旅行記の一つの書名にこの言葉を使用し、さらにその本が1938(昭和13)年に『ザ・シルクロード』という題名で英訳されたことにより有名になった。
リヒトホーフェンやヘディンらこの語の元来の使用者は、東トルキスタン(現・中国新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交通路を意図していたが、のちには中国を起点・終着点とする国際交易路を広く指しても使われるようになった。
現在の日本ではときには、シルクロードの通過する地域である中央アジアを地域的に指す言葉としても使われることがあり、日本ではシルクロードの通る地域は、中国で伝統的に用いられた「西域」(さいいき)という言葉とともに広く知られている。
日本では、奈良の正倉院に残る数多くの中国製やペルシア製の宝物、天平時代に遣唐使に随行してペルシア人が日本に来朝したことに関する記録などがある。当時の日本は唐代の東西交通路に連なっていたと認識されており、摂津国の住吉津(現・大阪市住吉区)は「シルクロードの日本の玄関」、飛鳥京や平城京は「シルクロードの東の終着点」と呼ぶことがある。