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  • 4月11日、今日は【千姫、誕生日(1597)】

    更新 : 2012/4/14 12:13

    今日は【千姫、誕生日(1597(慶長2)年)です。

    千姫(せんひめ)とは、安土桃山時代から江戸時代の女性で、豊臣秀頼・本多忠刻の正室である。父は徳川秀忠、母は継室の江。号は天樹院。

    1597(慶長2)年の今日、秀忠と江の長女として、山城国伏見城内の徳川屋敷で産まれる。1603(慶長8)年に7歳で秀頼と結婚し、乳母の刑部卿局とともに大坂城に入る。秀頼とは従兄妹にあたるが、たいへん夫婦仲睦まじかったという。1615(慶長20)年19歳の時、大坂夏の陣では、祖父である徳川家康の命により落城する大坂城から救出される。その後、秀頼と側室の間の娘奈阿姫(天秀尼)が処刑されそうになった時に千姫は彼女を自らの養女にして命を助ける。

    1616(元和2)年、桑名藩主本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚。この時、津和野藩主坂崎直盛が輿入れの行列を襲って千姫を強奪する計画を立てていることが発覚し、直盛は自害、坂崎氏は改易処分となった(千姫事件)。一説には大坂城落城の際、千姫を救出した者と千姫を結婚させるとの家康の言葉を受けた直盛が、顔に火傷を負いながらも千姫を救出したが、直盛の器量が悪いことから千姫が結婚を嫌がり、結局美男の本多忠刻と結婚することになったという。直盛の襲撃計画はこのことを恨んでのものとされる。

    同年9月26日に桑名城に着いた。この時に10万石の化粧料を与えられたといわれる。翌1617(元和3)年、本多家が播磨姫路に移封になった時には8月28日に桑名を発って姫路城に移って播磨姫君と呼ばれるようになる。夫・忠刻とも夫婦仲睦まじく、翌1618(元和4)年には長女・勝姫、1619(元和5)年には長男・幸千代が生まれるが、1621(元和7)年に幸千代が3歳で没したのを始め、その後は流産を繰り返すなど子宝に恵まれず、1626(寛永3)年には夫・忠刻、姑・熊姫、実母・江が次々と没するなど不幸が続き、本多家を娘・勝姫と共に出て江戸城に入り、出家して天樹院と号す。出家後は娘と二人で竹橋の邸で暮らす。1628(寛永5)年に勝姫は池田光政の元へ嫁ぎ、一人暮らしとなる。

    1643(寛永20)年、鎌倉の東慶寺の伽藍を再建する。1644(正保元)年には迷信を避ける為に江戸城から移った3代将軍家光の側室・夏(後の順性院)とその後生まれた家光の三男・綱重と暮らすようになる。このことで大奥で大きな権力を持つようになったとされる。1666(寛文6)年、江戸で死去。享年70。

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