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SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
5月16日、今日は【旅の日】
更新 : 2012/5/16 10:44
今日は【旅の日】です。
由来は、1689(元禄2)年旧暦3月27日(新暦の今日)、江戸時代の俳人・松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出発したことから、1988(昭和63)年に旅を愛する作家などによる日本旅のペンクラブが制定。せわしない現代生活の中で「旅の心」を大切にし、旅のあり方を考え直す日。
『おくのほそ道』(おくのほそみち)とは、元禄時代に活動した俳人松尾芭蕉による紀行文集。1702(元禄15)年刊。日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、芭蕉の著作中で最も著名で「月日は百代の過客にして…」という序文により始まる。作品中に多数の俳句が詠み込まれている。「奥の細道」とも表記されるが、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「おくのほそ道」の表記法をとっている。
芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、1689(元禄2)年の今日に江戸深川の採荼庵を出発し(行く春や鳥啼魚の目は泪)、全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間(約半年)中に東北・北陸を巡って1691(元禄4)年に江戸に帰った。「おくのほそ道」では、旧暦8月21日頃大垣に到着するまでが書かれている(蛤のふたみにわかれ行秋ぞ)。曾良の随行日記も、没後数百年を経て曾良本と共に発見されている。
推敲の跡多い原本には中尾本(おくの細道)と曾良本(おくのほそ道)があり、個々の芭蕉による真筆箇所もしくは訂正箇所については現在でも論が分かれている。その後に芭蕉の弟子素龍(そりゅう)が清書した柿衞本・西村本がある。この柿衞本・西村本は共に素龍本(素龍清書本)とも呼ばれる。
西村本の題簽(だいせん)「おくのほそ道」は芭蕉自筆とされており、これが芭蕉公認の最終形態とされる。芭蕉はこの旅から帰った3年後に死去したため、「おくのほそ道」は芭蕉死後の1702(元禄15)年に西村本を基に京都の井筒屋から出版刊行され広まった。「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」と書くのが正式とされるのはこの原題名に基づく。この初版本は現在1冊しか確認されていないが、増し刷りされ広まったため版本は多く残る。よって現在世間一般に知られる「おくのほそ道」は西村本を指す。
1938(昭和23)年に曾良本(そらほん)発見、1960(昭和35)年に柿衞本(かきもりほん)の存在が発表され、1996(平成8)年に芭蕉の真筆である野坡本(やばほん)の発見とされた中尾本(なかおほん)の存在が発表されている。これによりこの本の原点を探る研究・出版も近年盛んになっている。