宿・ホテル予約 > 和歌山県 > 白浜・龍神 > 白浜・南部・田辺 > SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのブログ詳細

宿番号:348385

海と空に囲まれた絶景のリゾートへ・・【お得なクーポン配布中♪】

白浜温泉
阪和自動車道【終点】南紀田辺ICから車で約20分 JRきのくに線白浜駅・白浜空港よりタクシーで約10分

SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ

宿泊施設ブログ

  • 6月21日、今日は【本能寺の変(1582)】

    更新 : 2012/6/21 2:46

    今日は【本能寺の変が起こり、織田信長が自害(1582(天正10)年)】です。

    本能寺の変(ほんのうじのへん)とは、天正10年6月2日(1582年7月1日)、織田信長の家臣明智光秀が謀反を起こし、京都・本能寺に宿泊していた主君信長と後継者の信忠を襲い、自刃させたクーデター。暗殺事件との解釈もなされる。

    当時、天下人の地位に最も近かった織田信長と嫡男であり後継者でもある織田信忠を、有力家臣の一人であった明智光秀が亡き者にするという、日本史上においても最重要事件の一つである。しかし、光秀が反旗を翻した原因については定かではなく、多くの歴史家が研究しているが、現在でも定説と呼ばれるものは確立されていない。光秀の恨みや野望に端を発するという説、光秀以外の首謀者(黒幕)がいたとする説も多数あり、日本史上の大きな謎のひとつとなっている。

    天正10(1582)年までに、織田信長は京を中心とした畿内とその周辺を手中に収め、天正10年3月に武田氏を滅ぼした。関東の後北条氏、東北の伊達氏、九州地方の大友氏は信長に恭順する姿勢を見せており、これで信長の目下の敵は、中国の毛利氏、四国の長宗我部氏、北陸の上杉氏、九州の島津氏となった。

    信長包囲網の一翼を担い一時期信長を苦しめた毛利氏は、織田軍の将・羽柴秀吉の前に後退に次ぐ後退で勢力を失いつつあった。また上杉氏は上杉謙信亡き後、家督争い(御館の乱)と相次ぐ家臣の反逆によって疲弊しており、かつて関東・越後国から猛攻をかけ武田信玄を苦しめた強力な軍団は勢いを弱めていた。四国では三好康長が信長に属し、丹羽長秀の補佐を受けた神戸信孝が長宗我部氏との戦争準備を始めており、すでに織田氏が有利な情勢であった。九州は大友氏や龍造寺氏が信長に属する意志を伝えており、島津氏は単独で信長に対抗せざるを得ない情勢であった。

    安土城を本拠に、柴田勝家・明智光秀・滝川一益・羽柴秀吉・織田信孝などの派遣軍と軍団長を指揮して天下統一を進める信長は数えで49歳であり、このまま順調に進めば天下は信長のものになると思われる情勢であった。その一方で、多くの兵力を派遣していたため信長周辺の軍勢は手薄であり、武田氏滅亡後は天下統一目前という楽観的な雰囲気で、畿内では信長、徳川家康とも小勢で移動していた。そこを織田軍の近畿管区隊というべき明智光秀の軍が襲撃したのである。

宿泊のご予約はこちらから

料金・宿泊プラン一覧

お電話でご予約される場合は、宿泊プランをお選びください。