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  • 6月21日、今日は【本居宣長、誕生日(1730)】

    更新 : 2012/6/22 2:03

    今日は【本居宣長、誕生日(1730(享保15)年)】です。

    本居宣長(もとおりのりなが)とは、江戸時代日本の国学者・文献学者・医師である。名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵(しゅんあん)、自宅の鈴屋にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人(すずのやのうし)と呼ばれた。当時、既に解読不能に陥っていた『古事記』の解読に成功し、『古事記伝』を著した。紀州徳川家に「玉くしげ別本」の中で寛刑主義をすすめた。

    家業を手伝うも商人には向かないと、母に相談して医業を学んだ。地元・松坂では医師として40年以上にわたって活動しており、かつ、1792(寛政4)年紀州藩に仕官し御針医格十人扶持となっていた。宣長は昼間は医師としての仕事に専念し、自身の研究や門人への教授は主に夜に行った。宣長は『済世録』と呼ばれる日誌を付けて、毎日の患者や処方した薬の数、薬礼の金額などを記しており、当時の医師の経営の実態を知ることが出来る。亡くなる10日前まで患者の治療にあたってきたことが記録されている。また意外な一面として、小児科医としても著名であった。当時の医師は薬(家伝薬)の調剤・販売を手掛けている例も少なくなかったが、宣長も小児用の薬製造を手掛けて成功し、家計の足しとした。また、乳児の病気の原因は母親にあるとして、付き添いの母親を必要以上に診察した逸話がある。

    鈴コレクターで、駅鈴のレプリカなど珍しいものを多く所有していた。また、自宅に「鈴屋」という屋号もつけている。書物の貸し借りや読み方にこだわりがあり、借りた本を傷めるな、借りたらすぐ読んで早く返せ、けれど良い本は多くの人に読んで貰いたい、などの考えを記している。宣長の生涯にわたる恋愛生活は、大野晋により明らかになった面が大きい。

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