宿番号:348385
SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
6月26日、今日は【雷記念日】
更新 : 2012/6/26 1:00
今日は【雷記念日】です。
由来は、930年(延長8年)の今日(旧暦)、平安京の清涼殿に落雷があり、大納言・藤原清貴が死亡したことから(清涼殿落雷事件)。醍醐天皇は恐怖のあまり寝込んだとされる。この落雷は菅原道真のたたりによるものと信じられ、以来、道真は名誉を回復し、学問の神様と呼ばれるまでになったことから。受験生はおろそかにできない日。
清涼殿落雷事件(せいりょうでんらくらいじけん)とは、内裏の清涼殿に落雷した事件。
この年、平安京周辺は干害に見舞われており、6月26日に雨乞の実施の是非について醍醐天皇がいる清涼殿において太政官の会議が開かれることとなった。ところが、午後1時頃より愛宕山上空から黒雲が垂れ込めて平安京を覆いつくして雷雨が降り注ぎ、それから凡そ1時間半後に清涼殿の南西の第一柱に落雷が直撃した。
この時、周辺にいた公卿・官人らが巻き込まれ、公卿では大納言民部卿の藤原清貫が衣服に引火した上に胸を焼かれて即死、右中弁内蔵頭の平希世も顔を焼かれて重傷を負った。清貫は陽明門から、希世は修明門から車で秘かに外に運び出されたが、希世も程なく死亡した。落雷は隣の紫宸殿にも走り、右兵衛佐美努忠包が髪を、同じく紀蔭連が腹を、安曇宗仁が膝を焼かれて死亡、更に警備の近衛も2名死亡した。
清涼殿にいて難を逃れた公卿たちは大混乱に陥り、醍醐天皇も急遽清涼殿から常寧殿に避難した。だが、惨状を目の当たりにして体調を崩し、3ヶ月後に崩御することとなる。
天皇の居所に落雷したということも衝撃的であったが、死亡した藤原清貫がかつて大宰府に左遷された菅原道真の動向監視を藤原時平に命じられていたこともあり、清貫は道真の怨霊に殺されたという噂が広まった。また、道真の怨霊が雷を操ったということとなり、道真が雷神になったという伝説が流布する契機にもなった。