宿番号:348385
SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
7月1日、今日は【橋本龍太郎、忌日(2006)】
更新 : 2012/7/1 2:45
今日は【橋本龍太郎、忌日(2006(平成18)年)】です。
橋本龍太郎(はしもとりゅうたろう)とは、日本の政治家・第82・83代内閣総理大臣。位階は正二位。勲等は大勲位。学位は政治学士(慶應義塾大学)。称号は岡山県総社市名誉市民、剣道教士六段。愛称は橋龍(はしりゅう)。身長165cm、体重66kg、血液型AB型。
1990(平成2)年にベストドレッサー賞を受賞している。座右の銘は[誠]、「初心忘るべ駆らず」。趣味は、剣道、登山、写真など多彩。全日本剣道連盟顧問、全日本剣道道場連盟会長、日本美術刀剣保存協会会長を務めた。
衆議院議員(14期)、厚生大臣(第57代)、運輸大臣(第58代)、大蔵大臣(第93・94・103代)、通商産業大臣(第59代)、内閣総理大臣(第82・83代)、沖縄開発庁長官(第42代)、沖縄及び北方対策担当大臣、規制改革担当大臣等を歴任した。
初当選以来自由民主党に所属し、衆議院議員を14期にわたって務める。また第1次大平内閣で厚生大臣に就任し、昭和2ケタ生まれで初めて入閣を果たしたのを皮切りに運輸大臣、大蔵大臣等を歴任し、所謂ニューリーダーの後をになう総裁候補に目されるようになった。1994(平成6)年に発足した、自社さ連立政権の村山内閣では通商産業大臣を務め、自由民主党総裁就任に伴って副総理を兼務、1996(平成8)年の村山富市首相退陣に伴い、内閣総理大臣に就任する。在任中は住専問題や行財政改革に取り組み、外交面ではビル・クリントンアメリカ合衆国大統領やボリス・エリツィンロシア連邦大統領と親交を深める。第18回参議院議員通常選挙での自民党惨敗を受け引責辞任した後も、同期当選の小渕恵三首相の下で外交特別顧問に就任し、その後も森内閣で沖縄開発庁長官や規制改革担当大臣、沖縄及び北方対策担当大臣を歴任。2001(平成13)年自由民主党総裁選挙に再起を期して出馬するが、小泉純一郎に敗れる。2005(平成17)年に政界を引退し、翌2006(平成18)年に死去。
「見識はあるが、人望はない」が党内での一般的な評価。政界随一の政策通として知られ、いささかの揶揄を込めて「課長補佐」などといわれるほど、各政策部門の細かな部分まで精通していたが、何かわからないことを聞いたりすると「おや、そんなこともおわかりにならない?」、「あなたが知らないことを、どうして私が知っていると思うのです?」などと必ず嫌味な返答をしたとされる。