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SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
7月2日、今日は【うどんの日】
更新 : 2012/7/2 2:31
今日は【うどんの日】です。
由来は、香川県地方の農家では農繁期が一段落した半夏生の頃にうどんを食べて、労をねぎらう習慣があったことに由来することから、1980(昭和55)年に香川県製麺事業協同組合が、うどんの消費拡大を目指して制定。
うどん(饂飩)とは、小麦粉を練ったものを細長く切り、茹でて食べる料理。手軽な庶民食、米食の代用食として、また、祝い事に際して振る舞われる「ハレ」の食物として、古くから日本全国で食べられてきた。地域によって、調理法や具材が違っている。
麺を大きな鍋で茹で上げる場合には、鍋の周囲に引っ掛けた状態で茹でることができるよう、金属製あるいは竹製で深いザル状になっているうどんてぼ(うどん揚げ)が用いられることも多い。うどんを供する場合には皿やざる、鍋のほか、桶も用いられる。
歴史的には、うどんよりも蕎麦の方が発祥が新しい。蕎麦の元祖は信州そばであり、これが信州から甲州街道や中山道を通して伝えられたものといわれている。また、江戸時代に京都など全国に伝わったと言われている。大坂では天正12(1584)年に蕎麦屋「砂場」が開業し、西日本でも早い時期から蕎麦が食べられていた。
江戸時代の江戸の市中において、うどんは一般に普及していた。特に江戸前期にはまだ麺類としてのそば(そば切り)が一般に普及しておらず、 そばがきとして食べられていたこと(記録としては蕎麦がきの様なものが麺状に切られたのが天正2(1574)年初めの建物修復工事完成に際しての寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」というくだりが確認できる)から、麺類としてはうどんに人気があったようである。しかし、後に麺類としてのそばが普及したこと、そばとそば屋が独自の文化を育む母体となっていったこと、脚気防止のためにそばが好まれたことなどの理由により、うどんは江戸における麺類の主流としての地位をそばに取って代わられた。
現在の関東地方は、武蔵野(武蔵野台地)を中心として、「武蔵野うどん」をはじめとするうどん専門店も多い。実際、2004(平成16)年度のうどんの生産量でも1位は日本全国に向けて宣伝をしている讃岐うどんの香川県だが、2位は埼玉県であり、群馬県もベスト5に入っている。これらの地域では二毛作による小麦栽培が盛んで、うどんは日常的な食事だったといえる。