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8月15日、今日は【終戦記念日】
更新 : 2012/8/16 1:46
今日は【終戦記念日】です。
由来は、1945(昭和20)年の今日、天皇による戦争終結の放送がなされ、3年8か月に及んだ太平洋戦争が終わったことから。政府主催の「全国戦没者追悼式」が初めて行われたのは、戦後18年経った1963(昭和38)年。現在ではこの日を「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」とも呼ばれる。
1945(昭和20)年7月26日、米英中の3か国(のちにソ連も参加)はポツダム宣言を発し、日本軍の無条件降伏を要求した。日本政府は、日ソ中立条約があるソ連に和平講和の仲介を託していたが、8月6日広島市に原子爆弾が投下され、8月8日ソ連対日宣戦布告、8月9日広島市に続き長崎市にも原子爆弾が投下されるという重大な事態が続いた。8月10日、日本政府は中立国を通じて、国体の変更を伴わないかどうかを連合国側に確認した。しかし、確答が得られぬまま、8月14日の御前会議で、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定され、終戦の詔勅が発せられ、連合国に対しポツダム宣言の受諾を通告した。
1945(昭和20)年8月15日正午から、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」を昭和天皇が朗読したレコードがラジオ放送され(玉音放送)、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられた。当日は朝から「賢き辺り(=天皇)にあっては本日正午から重大発表を行なうので、必ず聴くように」と繰り返しアナウンスされた。神聖不可侵とされた最高権力者である天皇の肉声が初めてラジオで放送されたことと共に、戦争終結を発表されたと、このラジオ放送は国民にとって敗戦の象徴ともいうべきできごとであり、大きな衝撃を与えた。
1945(昭和20)年8月15日、大本営は日本軍に対して「別に命令するまで各々の現任務を続行すべし」と命令し、8月16日に自衛の為の戦闘行動以外の戦闘行動を停止するように命令した。さらに8月18日には、全面的な戦闘行動の停止は、別に指定する日時以降に行うように命令、8月19日に、第一総軍、第二総軍、航空総軍に対して、8月22日零時以降、全面的に戦闘行動を停止するように命令した。支那派遣軍を除く外地軍に対しては、8月22日に、8月25日零時以降に全面的な戦闘行動停止を命令した。大陸や北方戦線では、ソビエト連邦や中華民国との戦闘が暫く続いた。ソ連軍は北方四島に上陸作戦を展開し、それを阻止するための戦闘が、中央の命令により現地陸軍守備隊によって行われたが、8月下旬には終結した。