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  • 11月28日、今日は【米の日】

    更新 : 2014/11/30 19:51

    毎月28日は【米の日】です。

    由来は、「米」の字を分解すると「八十八」になることから、JA(全国農業協同組合)の直営店
    コメコメハウスが制定。

    米(こめ、rice)とは、稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物である。稲作信仰に起因し、日本の古神道や神道において、供物として使われる代表的なもので、御神酒(おみき)と御塩(おしお)と併用されることがおおく、その時には「御米(おこめ)」といわれ、地鎮祭や上棟式だけでなく、農林水産の職業の神事から、日本各地の祭りや神事の奉納される供物としても広く使用される。また八十八の行程を経て作られるまたは、八十八の日本の神が宿るので、米といわれるなどの説がある。

    米作(稲作)は、原産地の中国・インド・ミャンマーが接している山岳地帯の周辺での陸稲栽培から始まり、まず中国南部、東南アジアへと広まったとされている。

    日本においては、縄文時代中期から行われ始めた。これはプラント・オパールや、炭化した籾や米、土器に残る痕跡などからわかる。 縄文時代中期に、中国から台湾、琉球を経て九州南部に伝わった。 大々的に水稲栽培が行われ始めたのは、縄文時代晩期から弥生時代早期にかけてで、各地に水田の遺構が存在する。

    米は、食料として重要である一方で、比較的長期に保存ができるという特徴から、日本においては経済的に特殊な意味を持ち、長らく税(租・あるいは年貢)として、また、石高制に代表されるように、ある地域の領主や、あるいは単に家の勢力を示す指標としても使われた。明治期に入り、経済価値の交換機能は貨幣に集約されたが、明治国家の財政は初期において地租によって支えられていた。

    一方で、米はこのような経済作物性から、一般庶民までにはなかなか行き渡らず、主食とはいえ国民が雑穀米ではなく、全米飯を容易に食することができるようになったのは、1939(昭和14)年米穀配給統制法等が制定されてからである。

    1942(昭和17)年食糧管理法が制定され食糧管理制度が確立、米の流通は完全に政府が掌握するようになった。1966(昭和41)年には日本の米自給率が100%を達成したが、1970年代には全国で米余り現象がおき、政府備蓄米などに古米、古古米が多く発生し、減反政策が取られた。1993(平成5)年は全国的な米の不作となり、翌年にかけて平成の米騒動が起こったため、タイなどから米の緊急輸入が行われた。

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