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秋田駅から車で15分、“とろみ”のある天然温泉が自慢の温泉旅館

秋田温泉
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  • 仁別森林鉄道は明治41年から

    更新 : 2010/10/18 18:03

    「昔、さとみ温泉の前を仁別森林鉄道というのが走ってたんだよ」と言われたのがきっかけで、最近、気になって仕方ありません。そこでちょっとずつ森林鉄道について調べてみることにしました。

    仁別森林鉄道の第一期敷設工事は明治四十一、二年(1908〜9)の二年がかりで行われた。区間は秋田駅東の秋田小林区署(秋田営林署)貯木場から秋田鉱山専門学校(現秋田大学鉱山学部)のすぐ西脇を通って仁別林業事業所に至る12.314キロメートル。コースは途中から旭川の川筋に沿ったものになる。そのころ藤倉では秋田市水道部により上水道の水源堰堤、沈澱池などの工事が進められており、森林鉄道は資材運搬にも活用された。
    大正二年(1913)、長さ400メートルのトンネルを掘って仁別から五城目町北の又まで7.578キロメートルの支線を新設し、さらに大正八年(1919)、仁別から旭又までの支線1.54キロメートルなどを新設した。この結果、ルートは秋田貯木場を基点としたY字型になったわけである。
    仁別の軌道は最初、手押しトロリーによる運材。大正二年(1913)になってガソリン機関車が入り、それが太平洋戦争中のガソリン不足で木炭機関車に。戦後は再びガソリン機関車に戻り、やがてディーゼル機関車となった。結局、よそのように蒸気機関車はなかった。いま、仁別の森林博物館に展示されている蒸気機関車は、意外にも北海道丸瀬布営林署が使っていたものである。
    秋田営林局の林道台帳によれば、仁別森林鉄道は昭和十八年(1943)に支線を1.888キロメートル延ばした。これにより総延長は23.32キロメートルになったものの、土木技術の進歩でトラック林道の開設が容易になり、また運材をより奥地から行う必要もあって林道に切り替えられた。この結果、仁別森林鉄道は昭和四十一年(1966)の1キロメートル廃止を皮切りに翌四十二年は20.82キロメートル、四十三年は1.5キロメートルと全廃になった。
    この間、昭和三十三〜三十五年(1958〜60)にかけて従来より太い15キログラムレールとの交換が行われ、一部の木橋が永久橋に架け替えられるなど手当てがなされており、鉄道としてはかなり長命のはずだった。
    それが廃止されたのは@林野特別会計のひっ迫Aコスト的にも、小回りが利く点でもトラック林道が有利(経営合理化)などの理由による。止むを得なかったにしろ、いかにも惜しい。(秋田市旭川郷土史より)

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