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宿番号:369904

軽井沢の緑に包まれて過ごす大人の休日。フレンチコースディナー

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ピッコロホテル オペラ軽井沢のお知らせ・ブログ

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  • 花はどこに行った、、、♪、、(2)

    更新 : 2010/3/5 14:20

    (上の写真はベルリンのデートリッヒのお墓)
    金メダルを取った思い出のサラエボの地が内戦で崩壊している最中でありそのことが悲しくてこの曲に反戦の願いを込めて踊った。  そのあと1年後に次々と東欧諸国の民主化とベルリンの壁崩壊、、につながったということは心を打たれる経過である。  さてもう一人の女性がこの曲にかかわってくる。   それは マレーネ デイトリッヒである。  彼女はドイツに生まれて大女優になったが第2次大戦にヒットラーに反発してハリウッドに渡り米国や連合軍のため戦場を慰問して歩いた。   いって見ればドイツにとっては祖国を捨てた裏切り者である。   その彼女が50歳になってから始めた歌手としての生活、、各地を回りライブ活動を晩年まで行った。  これは大女優としてもまた歌手としても興味深いものであった。  そして演奏曲目にいつも入れていたのがこの 「花は、、」 である。   しかもこれを祖国のドイツ語で歌った。  「Sag mir wo die brunnen sind、、、」 であります。  ドイツでは祖国に挑戦的である、、といって受け入れられなかったが彼女はいつもこれをドイツ語で歌った。   私も当時ドイツ語の歌詞で歌ったこの曲を 不思議な感じで聴いていた。  その当時は世界中で歌われていたので 日本でも日本語訳があり、、当然ドイツ語訳もあるだろう、、ぐらいに考えていたが なぜかこのドイツ語が気になって、、歌手がデートリッヒだった、、ということもあったのかなんとなく覚えてしまったことを思い出した。 彼女がヨーロッパの公演でこの歌を歌う時ドイツに侵略された国では聴衆は悲惨な昔を思い出し、厳しい顔になりシーンとなって聴いた、、とある。   デートリッヒはこの歌に込めて悲惨な戦争への反対と、、祖国に拒絶された悲しさを歌ったのではないかと思う。  1992年にパリのアパートで死んだ彼女はやっと祖国のベルリンの地に帰り墓地に葬られた。  ドイツも彼女を少しずつ受け入れつつある。    (続く、、)

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