宿番号:369904
ピッコロホテル オペラ軽井沢のお知らせ・ブログ
一軒のアンティーク屋
更新 : 2018/2/7 13:22
黄色の壁のモーツァルトの生家、その前の通りが名だたるゲトライデ通り、、
その通りの外れに一軒のアンティーク屋があった。
その中の品物数点がどうしても欲しくなってしまった!
値段が高くて買ないので毎日通るたびに覗いては店の主人と挨拶を交わしているうちにわれら夫婦がなぜか主人に気に入られたようで、いろいろ話をし出した。
もっともドイツ語、英語、それに日本語のチャンポンで、、
主人いわく、ザルツブルクのピアニストが1860年?ごろザルツブルク製の立派なグランドピアノを持って日本に行き、MIKADO(明治天皇か?)の前で演奏したそうだ。天皇が初めて西洋音楽に触れた時であるそうだ。
大変喜ばれてそのピアノはそのまま献上した。
ピアノは戦火で無くなってしまったが、このことが今のヤマハのピアノに繋がったのだ、、とのこと。
そのことを記事にした後年の新聞記事のコピーをネットで見せてくれた。
そのピアニストは絵も上手くてそのあと富士山に登ったり、当時の日本の生活や人々を絵に描いており、それは残っているそうだ。
どうやら本当の話のようだ!
毎日何回も店に顔出している貧しげな日本人を気の毒に思ったか、品物数点を破格の値段にまけてくれた。
さらに別の話があり、カラヤンがザルツブルク生まれであるわけだが、カラヤンの話のなかで、おいらの親父が1908年生まれのカラヤンとほぼ同い歳のせいか、カラヤンの演奏が好きでウィーンフィル、ベルリンフィルのカラヤン指揮のレコードをよく聞いていた、、と話したら、彼曰く、実は自分の親父も同じぐらいの歳で歯医者をザルツブルクでやっていた。
カラヤン一家は歯が痛くなると世界中のあちこちから急いでザルツブルクに帰って来て父親の治療を受けたそうだ。
カラヤンの子供は娘2人で、いずれも音楽はやっておらずカラヤン限りだそうだ。その娘はパリに住んでるとか、、、
主人と別れの時が来た。
メールを交換しお礼を言い合ってハグをし、写真を撮った。
楽しいザルツブルクの想い出になった。
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