宿番号:379506
海石榴 つばきのお知らせ・ブログ
海石榴の茶の湯
更新 : 2012/3/27 15:13
海石榴は茶道と深い関係があり、料理、しつらえ、もてなし等、
随所に茶道からの影響を感じられます。
また、お部屋にも一部茶室を設けており、茶人同士が集まって
時々茶会を兼ねた宿泊をされております。
茶道との始まりは、海石榴創業当時の大女将が茶道をこよなく愛して
いた事に始まります。茶の世界で最も高貴とされる花の「椿」に
こだわり、歴史文学にも造詣が深かった事から、屋号を椿の最も
古語である「海石榴」(つばき)といたしました。
また、お部屋や各施設等、名前を付けられるところは
全て椿の花の名前であり、女性の浴衣、小物、備品にいたるまで
つばき一色。そして裏手の散策路にも数十の椿を植え、秋から春に
かけて時期を変えて様々な花を咲かせています。
海石榴に縁あって長年常駐するお茶の先生「石川宗節」は江戸千家の流派。
江戸千家の始まりは紀州出身の川上不白(享保四年〜文化四年 九十歳)
が寛延3年(1750年)に、東京の神田駿河台で黙雷庵を営んだのが始まり
です。
茶人への道は、紀伊藩江戸詰家老水野家の家臣として江戸に赴いている
頃、将軍吉宗による紀伊の勢力を背景に京都へ茶の湯の修業に送られ、
表千家の七代如心斎の元で修業を重ねた事により、千家流の茶人となり
ました。以後、茶のたしなみは藩内だけの指導だけでなく、大名・豪商
から町人に至るまで幅広い層に茶道の指南をし、江戸文化の発展にも
大きく貢献されたといわれています。
不白以後は、その後代々江戸で新宮藩の茶頭や水戸徳川家の茶道師範など
を務めていましたが、幕末から明治の初めに7代蓮々斎が再び東京に出て
池之端に茶家を再興し、江戸千家の中興と称せられるようになりました。
海石榴の茶の指南役である石川宋節は、独り立ちするまで通常十年は
かかる茶の道を歩み、川上不白の九代目(名元庵宗雪)と十代目
(名心庵宗雪)と同じ「宗」という字を譲り受けるまでに至りました。
茶の世界は作法一つずつが繊細で奥が深く、茶席の会では
お茶席に入って出てくるまでは、一生に一度の会だと思って、
亭主を心から敬わなければならないといいます。
茶道は十年習ってやっと認められるという世界であり、お客様に接する
社員一人一人が近づくには大変難しい道のりですが、その世界に沿うべく
今も社員の教育係りとして勤め日々勤めております。
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