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  • 丹後の名所散策記(10) 〜弓木城・兵どもが夢の跡〜

    更新 : 2008/8/27 19:53

    散策記シリーズも、お陰様で10回目を迎えました!
    今回も全1回でお送りさせて頂きます♪
    本日の名所は、岩滝の「弓木城跡」。
    歴史の中に消えた一族とお城のお話です。

    <写真左上>
    ホテルから20キロの距離にある弓木城跡です。
    信長軍団と対決した丹後の最後の抵抗拠点でした。
    丹後の領主であった「一色氏」・最後の当主である
    五郎が居城としていたお城です。

    <写真右上>
    織田信長は、明智光秀が仲介した
    丹後の一色氏の和親の求めを一蹴し、
    細川藤孝・忠興父子に命じて丹後の平定を命じます。
    難渋した細川藤孝は、一色氏に娘のお菊を嫁がせ和睦したのでした。

    <写真左下>
    その後、五郎は丹後水軍を率いて、北陸の一向一揆
    平定の軍に兵糧を運んだりして信長に尽くしていました。

    <写真右下>
    しかし本能寺の変と信長の死が、五郎の運命を暗転させます。
    若狭武田氏の当主ともども本能寺の変で
    光秀に加担した罪を問われ切腹を命じられたのです。

    因みに、不思議なことに妻のお菊は、その夫の死から
    1ヶ月もたたぬのに、父・細川藤孝の命で
    京都にあった新興宗教教団吉田神道の
    当主の親族のもとに嫁いでいたそうですが…。

    五郎が側室に産ませた子供たちはことごとく
    舞鶴の寺院に幽閉され、その血脈は断絶させられ、
    一色氏の系図も焚書されてしまったといいます。

    天下統一を目指した大武将達の作り出す歴史の流れに
    翻弄されるしかすべを持たず、それでも
    激動の中を生き抜いた一色氏に、いつの時代も
    形は違えど、向き合っていかなければいけないものは
    同じかもしれないと、思いを馳せながらの散策でした。
    ホテルより少々距離はありますが、皆様も足を運んでみて下さいね。

    案内係は、宮津ロイヤルホテル・雅良生でした。
    次回もお楽しみにお待ち下さいね♪

    【弓木城跡へのアクセス】ホテルよりお車で約25分

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