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松本浅間温泉 ホテル玉之湯のお知らせ・ブログ
隠れ絶景地 池田町立美術館 その4
更新 : 2011/10/23 18:04
きけわだつみのこえ 所感 続
こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。 ゆえに最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。
飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。 愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。 天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。
明日は出撃です。 過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。 何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。 明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。
言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で
上原良司
長野県北安曇郡七貴村(現・池田町)出身。
松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業後、慶應義塾大学予科を経て、1942年慶應義塾大学経済学部入学。翌年、学生徴兵猶予停止により歩兵第50連隊入隊。特別操縦見習士官第2期生として熊谷陸軍飛行学校入校。館林教育隊にて操縦訓練を開始し、1944年熊谷陸軍飛行学校卒業。
1945年5月11日陸軍特別攻撃隊第56振武隊隊員として三式戦闘機「飛燕」に搭乗、沖縄県嘉手納の米国機動部隊に突入し戦死。享年22。
戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」(岩波文庫)では「所感」という題名の遺書が巻頭に掲載されている。この文章は多くの人々の胸に響き、映画「きけ わだつみのこえ」やドキュメンタリー番組でも特集されるなど戦没学生の手記の代表格とされ度々取り上げられている。
2006年10月22日、池田町に彼の記念碑が建立された。
若干22歳の青年にここまでの覚悟をさせてしまった罪は大きいです。
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