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坂本龍馬特集

坂本龍馬の人生とゆかりの地

坂本龍馬の人生

幕末の志士。1835年11月15日、土佐国(高知県)高知城下の郷士坂本八平の次男として生まれる。
実名は直柔(なおなり)、変名は才谷梅太郎(さいだにうめたろう)。1853年3月、江戸に出て北辰一刀流千葉定吉道場に剣を学び北辰一刀流の免許を得る。1861年8月土佐勤王党が結成されるやこれに加盟。10月には剣術修行を名目に出国、翌62年1月には長州萩に久坂玄瑞を訪れ、帰国後3月24日に脱藩。大坂、京都を経て再び江戸へ出た。
在郷当時に江戸で幕臣勝海舟を訪い、その見識に感激して入門。単純な攘夷論を捨て、航海術を修行し勝を補佐して活躍した。
63年には勝の提唱による「海軍操練所」の設立に奔走するが、勝の失脚により操練所は解散となる。
操練所解散後は、同志を率いて長崎に商社(亀山社中)を設け通商航海業に乗り出す。これを媒体として倒幕のため薩長2藩を同盟させる運動に奔走、中岡慎太郎と協力して翌66年1月20日には京都で薩長同盟を成立させた。 その直後の23日、伏見寺田屋で幕吏の襲撃を受けるが、寺田屋の養女お龍の機転で危うく難を免れる。その後お龍と結婚。
1866年参政後藤象二郎(かつての土佐勤王党の弾圧者)が土佐藩が貿易のため長崎に設けた土佐商会に出張し、翌67年1月龍馬と会談する。土佐藩は山内容堂の公武合体路線の行き詰まりから方向転換を求めていたため、龍馬と中岡慎太郎の脱藩の罪を許し、龍馬を海援隊長、中岡を陸援隊長とする。
6月、後藤とともに京都に向かう船中で龍馬は、大政奉還、公議政治などの新国家構想をいわゆる「船中八策」としてまとめた。これが土佐藩論を動かし、10月山内容堂は将軍徳川慶喜に大政奉還を建白、大政奉還が実現する。
その後も龍馬は土佐、長崎、福井などを奔走し、新政府の構想を練っていたが、11月15日夜、京都の下宿近江屋で中岡慎太郎と会談中、幕府見廻組に襲われて暗殺された。享年33歳。


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