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Sakamoto119さんの旅行記

若江城址碑(若 江 城 跡)

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所在地:大阪府東大阪市若江北町・若江南町 【アクセス】 「巨摩東信号」から200〜300mほど東進すると、道路右手に「若江小学校」があり、さらに少し進むと祠と石碑が寄せ集められ、その中に若江城跡の城址碑もある。道路反対(北)側には、若江公民館、若江幼稚園があり、そこにも説明板と石碑がある。

大阪ツウ Sakamoto119さん 男性 / 50代

1日目2016年6月5日(日)

若江城址碑(若 江 城 跡)

若江城址碑(若 江 城 跡)

若江城址碑(若 江 城 跡)

若江城は、南北朝時代の争乱期(14世紀末)に、幕府の命令により河内国内の武士の統率と取締りのため、河内国守護に任じられた畠山基国が、北朝方の拠点として築いた城郭と考えられ、永徳2年(1382)から天正元年(1573)までの約二世紀間、河内国守護の政庁の役割を果たしました。 畠山氏は、満家・持国に継がれ、このあと政長と義就の義兄弟の家督争いは、有名な応仁の乱へと発展し、やがて支配は細川氏から三好氏へ移り、永録11年(1568)には畿内を平定した織田信長が三好義継を若江城主に、畠山高政を高屋城主としました。 城は、石山本願寺攻撃の拠点として使われましたが、和議が成立し、城の役割を終えて廃城となり、歴史から姿を消すことになりました。 若江城の跡は、昭和47年以来の発掘調査で、次第に明らかになってきており、若江公民分館を中心として、周辺から二重の堀や土塁・各種建物・溝・井戸などの跡や、瓦類・土器類・武器類など、多数の城跡の存在を裏付ける資料が出土しています。

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