こぼらさんの山口県の旅行記
心も体もポカポカ・湯田温泉
- 1日目2018年2月15日(木)
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とても湯質が良い事で知られる湯田温泉。温泉街の中心部には「常磐」「かめ福」「ニュータナカ」「喜良久」など、趣向を凝らした大浴場が自慢の旅館やホテルが林立しています。家内は、今回のみならず以前にも宿泊したことがありますが、「この辺りの宿は、どこからもおもてなしの心を感じる。」と言っていました。 ここの湯は体の芯までポカポカに温まりますし、その効果は1日中続きます。宿泊後、福岡に向かったのですが、その日は夕方まで体がポカポカしていました。湯を少し飲んでみた事も効果があったのかもしれません。ここの湯が大好きになりました。
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この日の宿「ホテル喜良久」に到着したら、駐車場のすぐ隣に温泉櫓のような建物がありました。「湯泉舎」と書いて「ゆのや」と読みます。 飲泉場が設けられていて、温かい湯を手にとって飲むことができます。硫黄の臭いがして、いかにも薬効が期待できそうでした。一口飲んだら、日本酒を熱燗で飲んだ時のように、体がふわっとしたような感じになりました。
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「湯泉舎」をくぐりぬけて裏側に行きますと、足湯らしいスポットがありました。でも水は冷たいし、足湯ではないとの表示もありました。ここは、湯田温泉郷の温泉櫓や露天風呂、足湯をシンボリックに表現したモニュメント的な構造物だと思います。足湯は、違う場所に5カ所ほど設けられていました。
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白い狐が見つけたとされる湯田温泉。白い狐は温泉郷のマスコットキャラクターになっていて、像を街の至る所で見る事が出来ます。この狐ちゃんは「湯泉舎」にいました。
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夕食を後回しにして、息子のボウリング練習に行きました。ボウリング場は2階にあるのですが、エレベータやエスカレータがないので、重くて大きな道具一式を担いで階段を上がるしかありません。どうやって担ごうかと思案していたら、2階からスタッフの方が下りてこられ、手伝ってくれました。帰る時にも声をかけて下さいました。こんなに面倒見の良いボウリング場は初めてです。 「ボウリングの・森」とは印象的な名前ですね。オーナーが森さんなのかな?
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温泉街にあるボウリング場なのでレジャー志向かと思っていましたが、行ってみたら本格的な競技用ボウリング場でした。施設内の様子もおしゃれで立派です。地元の競技団体の方々が月例会をしていました。おかげさまで、息子は気合いを入れて練習ができました。
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「炉舎」と書いて「ろのや」と読みます。すぐ隣に「湯泉舎」があります。「ろのや」と「ゆのや」が隣り合わせになっていて、面白いですね。 利用した宿「喜良久」のすぐ裏側でもあります。「喜良久」は朝食の健康バイキングが好評ですが、夕食付の宿泊プランがないため、こちらを利用しました。
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「炉舎」の入口付近の様子。一見して、和食屋さんかと思いました。中の雰囲気は洋食レストランでした。
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初めての利用だったので、炉舎ハンバーグにしようかプレミアムハンバーグにしようか迷いました。山口県産牛肉を使用しているのがプレミアムハンバーグ。オーストラリア産牛肉を使用しているのが炉舎ハンバーグ。がっつり食べたかったので、300gの大きな炉舎ハンバーグにしましたが、200円しか違わないのでプレミアムも良かったかなと思います。ジャポネソースをかけましたが、ジューシーで香ばしく美味しかったですよ。
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Bセットのスープ。Bセットでは、このスープと味噌汁の選択、そしてパンかライスの選択ができるようになっていました。さらにサラダが付きます。
- 2日目2018年2月16日(金)
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湯田温泉街の中心近くにある歴史公園です。観光マップを見たら、宿のすぐ近くだったので行ってみました。マップによると見所の多い公園のようでしたが、名称が随分平凡だなと思っていました。 行ってみたら、明治の元勲・井上馨の生家跡に造られたので、井上公園と呼ばれている事がわかりました。井上馨は湯田温泉郷の生まれだったのですね。
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という訳で、ひときわ目立つ位置に井上馨の銅像がありました。井上馨といえば、維新政府の外務卿として、外国との不平等条約を是正するために活躍した人物といった程度の知識しか持ち合わせていませんでした。 ここは、幕末時代の井上馨の活躍を紹介するための公園なのです。元勲・井上馨を生んだ湯田温泉郷の誇りなのです。
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「龍尾の手水鉢」。古くから井上邸にあり、政変で京から落ちのびてきた七卿はもちろん、井上邸を訪ねてきた幕末の志士たちも使ったと伝わります。 息子は坂本龍馬のファンですが、「龍馬も使ったのかもしれないぞ。」と言ったら、感慨深そうに見ていました。歴史には関心の薄い愚息ですが、ものは言い様ですね。
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山口県内で「七卿」と言えば、幕末の「七卿落ち」を指しているんだろうと察しはつきました。 1863年(文久3年)、公武合体派によって京を追われた尊王攘夷派の公家たち(三条実美ら7名)が、長州藩に落ち延びてきた事件ですね。 落ち延びてきた七卿は、ひとまず湯田温泉郷にあった井上邸に滞在していたのだそうです。知りませんでした。 7名ものお公家さんが滞在できたとは、井上邸はとても大きかったのでしょうね。井上馨は、四面楚歌状態だった当時の長州にあって、すでに頭角を現しつつあったのですね。 この碑には、こうした事が漢文で刻まれているのでしょうが、字が小さいし私は漢文が苦手なので読むのはパスしました。
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七卿落ちで井上邸に滞在する事となった三条実美のために、増築された離れです。現在の建物は再建で、平成27年6月から一般公開が始まったそうです。 三条実美は、井上馨はじめ勤王の志士たちをここへ集め、謀議の場としても使っていたと伝わります。
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小振りな建物ではありますが、当時の水準を考えれば相当に贅沢なものだったと思います。
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井上公園内には、井上馨の偉業を紹介する碑や史料の他に、湯田温泉郷が育んだ詩人・中原中也の詩碑や、防府出身で湯田温泉郷の近くに住んでいた事もある俳人・種田山頭火の句碑もあります。
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種田山頭火の句碑。「ほろほろ酔うてこの葉ふる」。昭和13年11月に、井上公園から東に500mほど離れた場所(龍泉寺上隣)にあった民家の離れに移り住んだ祭に詠んだ句のようです。四畳半一間の離れを庵としていたそうです。
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湯田温泉のシンボル・白狐をあしらった遊具の隣に、中原中也の詩碑がありました。前衛的なデザインの碑ですね。 遊具で遊ぶ子供たちを見守りながら、ベンチに前屈みに腰掛けて、中也が詩作に耽っている姿を想像してしまいました。
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「これが私の古里だ・さやかに風も吹いてゐる・・・あゝ おまへはなにをして来たのだと・ 吹き来る風が私に云ふ」私が一番好きな中也の詩が刻まれていました。 近くに中原中也記念館があるのを思い出し、行くことにしました。
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山口市湯田温泉郷出身の詩人・中原中也の生家跡に建てられた記念館。中原中也の遺品、遺稿が展示されていました。詩集や解説本の販売コーナーもあります。地元の中学生がテキストに使っている解説本を2冊買いました。 記念館は平成9年に造られたそうですが、とてもモダンな建物です。「公共建築百選」の一つになっているそうです。さもありなん。
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中原中也記念館の入口付近には「中原中也生誕の地」という碑が立っています。中也のお父さんは開業医だったので、生家は「中原医院」だったそうです。
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自筆原稿が多数展示されています。昭和初期に活躍した文人なので、原稿は達筆な草書で書かれいるのだろうと思っていましたが、案外私たちの手描き文字に近く、親近感を感じました。
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中原中也が翻訳した「ランボオ詩集」と「ランボオ詞抄」。高校生の頃、現代国語の参考書で見たのを思い出した。やっぱり写真より本物を見る方が良い。
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井上公園にある足湯です。湯田温泉郷を散策して、もう一度井上公園に戻って足湯をさせてもらいました。 足湯の脇にパネルがあって、効果的な足湯の仕方が説明されていました。足を湯に10分余り浸ければ、全身に温まった血流が行き渡るというもの。その通りにしたら、この日は夕方まで全身がぽかぽかしていました。ここの湯は本当にすばらしい。
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この足湯の白狐像は2体ありますね。親子という設定なのかな?狐に見守られながらの足湯は楽しかった。また来ます。
心も体もポカポカ・湯田温泉
1日目の旅ルート
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