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メタボ大王さんの長野県〜新潟県の旅行記

妙高歴史ロマンの旅

  • 夫婦
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妙高山修験の至宝展(関山神社社殿再建200年記念)関山神社秘蔵文化財一斉公開に合わせ、妙高山周辺を巡った。妙高市新井にある日本最大級の弥生時代の高地性環状集落である斐太遺跡と斐太古墳からは九州・北陸の影響を、関山神社の展示物からは新羅系渡来人の影響を感じさせた。関山神社は江戸時代までは神仏習合の三社権現として妙高山修験の里宮であり、本地仏を文殊菩薩、垂迹神(すいじゃくしん)を素戔嗚尊とする像は別名新羅大明神であった。妙高山登山の道中にあった石仏群は弥勒菩薩であり、御手洗池の亀石も新羅系のものとされる。主尊の銅造菩薩立像は国内最古級の国指定重要文化財で由来がはっきりしないものの、研究が進むにつれ評価が高まっている。 長野の善光寺がここから直線距離で30kmに満たない近くにある。日本書紀を基にした善光寺縁起では日本最古を謳う三国伝来の善光寺仏が難波から南信濃を経由して現在の長野市に入ったとしているが、日本海、北陸ルートでも早くから仏像が伝来していたようで、こちらの方が長野にある理由に納得がゆく。

長野ツウ メタボ大王さん 男性 / 70代

1日目2018年6月2日(土)
09:00-10:00

道の駅 しなの ふるさと天望館

信濃町(上水内郡)

「道の駅 しなの ふるさと天望館」を   >

道の駅しなのふるさと天望館は必ず寄る道の駅。新潟県境にあり眼前に黒姫山、妙高山が見える。妙高山は標高2,454mの成層火山で日本百名山のひとつ。独特な形で古くからの信仰の山だ。外輪山の三田原山、赤倉山、前山が見え、中央火口が主峰の妙高山だ。(当日雲があり写真は6/4撮影)なお「妙高山」の語はサンスクリット語の「シュメール」を漢字で意訳したもので、音訳は「須弥山(しゅみせん)」。仏教の世界説では世界中央にそびえる秀麗な高山であるといわれている。古くは「越の中山」と呼ばれており、それが「名香山」となり「妙高山」となったよう。最初からではなさそう。

10:00-11:00

妙高山麓直売センター「とまと」

妙高市

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山菜まつり開催中。各種山菜・天ぷらの販売。山菜汁を無料で提供。関山神社至宝展記念として拝観チケット持参でタオルを進呈。(帰りにもらう)

11:00-12:00

関山神社

6月2,3日の両日、関山神社社殿再建200年記念、社殿・宮殿国登録有形文化財登録記念として「妙高山修験の至宝展」が開催され秘蔵文化財が一般公開された。霊峰妙高山は、和銅元年(708)に裸形上人により開山され、大同5年(810)に空海が山頂を極め、神のお告げにより里宮(関山神社の前身)が建立されたという。その後、別当としての宝蔵院が建立、七堂伽藍、僧坊72区があった。しかし、信長の焼き討ち、明治の廃仏毀釈により宝蔵院、僧坊は衰退した。「神明帳」に記載はないが、熊野那智神社、石清水八幡宮と同様、社僧(神社に仕える僧侶)が祭祀集団の主体であったからと思料される。

11:00-12:00

奪衣婆像(だつえばぞう)。江戸時代まで女性が登れることができた妙高山の姥堂に祀られていた。奪衣婆は、三途の川の岸辺で亡者の衣服をはぎ取り、その重さで罪の軽重を量ったという鬼婆。二体あるが左膝が立て膝になっており、朝鮮の風俗を示すのか。

11:00-12:00

妙高堂に安置されている阿弥陀三尊像。かつて山頂の阿弥陀堂内に安置されていたが、明治の神仏分離後、関山神社境内の妙高堂に移された。山中にあった天狗像や姥尊像も移された。善光寺式三尊像で木曽義仲が奉納したと伝えられている。

11:00-12:00

三体の秘仏本尊:左尊 十一面観音菩薩像。本地仏は十一面観音菩薩、垂迹神は伊弉冉尊。別名白山権現、白山大明神。11面の内9面は失われ鍍金も残っていない。南北朝から室町時代の作。

11:00-12:00

三体の秘仏本尊:主尊 銅造菩薩立像(国有形文化財)。本地仏は聖観音菩薩、垂迹神は国常立尊。別名関山大権現。「新潟県の歴史散歩」では、7世紀に渡来した新羅仏としているが、今回の公開文書では「百済から伝来したとみられ、法隆寺金堂釈迦三尊像(623年)より古く、国内最古級」としている。また、金の分析から中国南朝作例とする説も出ているとのこと。明治の神仏分離で神社に置くことできない仏像を秘仏として「公開すると目がつぶれる」と伝承し、守ってきた地元の方の熱い思いが貴重な宝を残してくれた。一般公開がすばらしい。日本最古の仏像とされる善光寺本尊は秘仏として公開されず、また難波の地から運ばれたとする縁起は検証のしようがないが、この地に飛鳥時代の仏像があるということは、朝鮮から日本海・北陸ルートで早くから仏教が伝来していたことを物語っている。

11:00-12:00

三体の秘仏本尊:右尊 文殊菩薩像。台座の銘文により貞享3年(1686)に第6世院主の子義が発願して制作された。本地仏は文殊観音菩薩、垂迹神は素戔嗚尊。新羅(しんら)権現、新羅大明神とも。

11:00-12:00

宮殿(ぐうでん)。社殿の最奥部に置かれた本尊を納めた建物。江戸時代中頃までは宮殿、後半は本殿と呼ばれていた。現在の社殿の先立つ寛政2年(1790)に建立。本年3月社殿とともに国登録有形文化財に登録。

12:00-13:00

関山宝蔵院跡

妙高市

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歴代院主の墓とともに上杉景虎の側室妙徳院の墓がある。景勝との家督争いに敗れた景虎の墓がどこにあるか不明であるが、尼僧となり長命であったとされる側室の墓がある。

12:00-13:00

関山宝蔵院跡

妙高市

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関山神社社殿の北約120mに位置する。現存する建物はなく、礎石や庭園だけが残されている。中世に栄えた大伽藍は、戦国の争乱と明治の神仏分離令により衰退してしまった。地元の方の努力により往事の庭園に蘇りつつある。妙高山の頂上付近に「山」の雪形が。(写真は翌日)

12:00-13:00

関山宝蔵院跡

妙高市

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庭園は文明10年(1478)に当代随一として称えられた連歌師の宗祇が訪れ、連歌会の発句でその庭園美を賞賛したほどである。平成6年に有志により宗祇の句碑が建立された。

12:00-13:00

関山神社の北西にある北弁財天。巨岩は草木に覆われている。磐座(いわくら)は神が鎮座するところとして信仰の対象になっていたと考えられている。土石流のコアの石の名残りか。甚大な被害があったのではないか。

12:00-13:00

北弁財天内部。大岩に尊像が刻まれている。千羽鶴の束が信仰の篤さを物語る。土石流の被害があったとすればその弔いか。

12:00-13:00

関山神社亀石

御手洗池の北側の池に置かれた亀石。市指定文化財。亀は豊作吉祥の神として尊ばれ、朝鮮三国時代の帰化人、特に新羅系渡来人によって大陸の風習が日本に伝えられたといわれている。

12:00-13:00

仏足石

妙高市

「仏足石」を   >

関山神社の南東にある覆堂の中にある。安山岩に仏足、舎利塔、仏手華判が薄肉彫されており、鎌倉後期の制作と推測され、三つの図像を刻むものは国内唯一らしい。

12:00-13:00

仏足石から南東の住宅地に石仏・弥勒菩薩がある。関山石仏群中最大で像高135pある。 妙高山登山道脇にあったものを移したらしい。

12:00-13:00

妙高堂

妙高堂。普段は阿弥陀三尊像などを安置している。明治の神仏分離令により妙高山山頂に祀られていた善光寺式阿弥陀三尊像などをこちらに安置した。

12:00-13:00

関山石仏群

妙高市

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関山村集落内に点在していた石仏26体を妙高堂隣の覆屋に集めて安置した。その他集落内に8体がある。いずれも末法思想が流行した平安末期から鎌倉期にかけての制作とされ、独特の意匠から「生け込み式」あるいは、「植え込み式」と表現される珍しい石仏である。多くは弥勒菩薩を表現したと考えられている。

12:00-13:00

関山神社の南西にある南弁財天。鬱蒼とした杉の杜の中に鎮座している。こちらの磐座は建物からはみ出ている。北弁財天と違い石灯籠はないがりっぱな石の鳥居がある。

12:00-13:00

南弁財天内部。座像が安置。水の神を祀っている。祠の脇に集落への用水が流れており、まさに水の神。弁財天はインドの神で水の神。土石流のコアの石とすれば、地域一帯の被害はどれほどのものであったか。

13:00-14:00

妙高カントリークラブ

妙高市

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関山神社から燕温泉に行く途中に妙高カントリークラブのコースを分断した道路を通る。雲がかかっていたが、妙高山の「山」の雪形がなんとか。毛筆のようなどうどうとした雪形。

14:00-15:00

食堂ニューミサ

上越市

「食堂ニューミサ」を   >

関温泉で昼食を食べようとしたが閉店なので国道18号線に戻り国道沿いの店で昼食。 2時を過ぎていたが混んでいた。おにぎり単品だと150円だが他のメミューと頼むと100円になる。兎に角米が立っていて非常に美味しい。おにぎりだけも食べる価値あり。普通のおにぎりの2倍くらいある。

16:00-17:00

燕温泉『黄金の湯』『河原の湯』

妙高市

「燕温泉『黄金の湯』『河原の湯』」を   >

燕温泉ホテル「岩戸屋」に着き早速『黄金の湯』へ。渓流沿いの『河原の湯』は閉鎖中。妙高山登山の帰りの方などで混雑していた。無料なので近隣の方も。燕温泉入り口に無料の駐車場がある。脱衣場はあるが天蓋がない岩に囲まれただけの露天風呂で野趣はある。うぐいすの鳴き声と新緑が目に鮮やかであった。

18:00-19:00

ホテル岩戸屋

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リーズナブルながら食事も満足。24時間入れる風呂が最高。源泉かけ流しの内風呂と露天風呂を独り占め。硫黄の匂いと湯花で肌がツルツル。降るような星空に北斗七星と北極星を確認した。

2日目2018年6月3日(日)
06:00-07:00

妙高山・燕温泉登山口

妙高市

「妙高山・燕温泉登山口」を   >

朝食前に惣滝まで散策。燕温泉は妙高山登山口。7月1日が山開きで祈願祭が行われるとのこと。薬師堂から登ると大山祇命が祀られている。●所要時間:山頂まで約4時間30分。山小屋はなし。

06:00-07:00

惣滝

妙高市

「惣滝」を   >

惣滝展望台からみる惣滝。日本の滝百選の1つ。落差80m。新緑もいいが秋の紅葉は特に美しいようだ。滝壺の方へ歩いて行く方がいたので行こうとしたが、細い獣道のような道がまだ整備してなく、倒木や崩れ易い道で、谷底を覗いて怖くなり引き返す。

06:00-07:00

惣滝

妙高市

「惣滝」を   >

惣滝。拡大してみると結構水量もあり迫力がある。山開き後に近くまで行ってみたい。

06:00-07:00

大田切渓谷

妙高市

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大田切川の渓谷。大倉山への登山ルートである大倉谷だが、急峻な谷だ。豪雪地帯の豊富な水量が外輪山を削ってしまったのか。

07:00-08:00

ホテル岩戸屋

「ホテル岩戸屋」を   >

燕温泉は大田切川沿いの急峻な場所にある。源泉からあふれるように温泉が各旅館に入っており、屋根には温泉利用の消雪パイプがあるが、硫黄分の多い温泉なので屋根が傷んでいる。こちらで妙高山の山開きがあり、関山神社の妙高堂から阿弥陀三尊像が運ばれる。

09:00-10:00

妙高カントリークラブ

妙高市

「妙高カントリークラブ」を   >

妙高カントリークラブを分断する道路から妙高山の「山」の雪形がはっきり。毛筆のような字の形は、古来から信仰の対象となったのも納得。また、妙高山はどちらの方向からも両側に外輪山を従えるので三尊像にたとえられる。

09:00-10:00

妙高カントリークラブ

妙高市

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妙高カントリークラブからの妙高山の「山」(拡大)。関山神社で求めることができるお札(御影札)は「山」の雪形の頂上に阿弥陀三尊像が立ったもの。確かに信仰の山になる。これだけ堂々とした「山」はない。神や仏が作らせたと思わせる。思わず手を合わせてしまう。

10:00-11:00

妙高市二本木付近から見る妙高山から火打山まで続く山並み。

10:00-11:00

火打山

妙高市

「火打山」を   >

二本木付近から見る火打山の雪形「種まき爺さん」。深田久弥は名著「日本百名山」で、「こんな、一点の黒もなく真白になる山は、私の知る限り加賀の白山と火打山以外にはない」と表現するが、北信濃から見ていても春になってもいつまでも白い山が火打山だ。6月に入るとこの「種まき爺さん」が現れるようだが、鍬を担いだような大きな雪形はその名も「爺ヶ岳」の南峰に現れる鍬を担ぐ「北の種まき爺さん」より秀逸だ。なお、春の遅い豪雪地帯の上越でも6月では田植えも終わり、ほとんどの野菜の種まきは終わっているようだ。

10:00-11:00

斐太神社

妙高市

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斐太神社は延喜式神明帳に記された神社。戦国時代には鮫ヶ尾城の鬼門鎮守として上杉謙信から厚い庇護を受けたと伝えられている。神社の背後の丘陵地が弥生時代の斐太遺跡と古墳群、戦国時代の鮫ヶ城がある。

10:00-11:00

斐太神社

妙高市

「斐太神社」を   >

斐太神社拝殿。祭神 主神:大国主命(大黒さん) 相殿:事代主命(えびすさん)、建御名方命(諏訪さん)。出雲と関係する神様。越後国頸城郡には式内社が13座あったが斐太神社が惣社的存在だったようで、現在でも県内では最多の216もの神社の祭礼を行っている。四分の一近くが諏訪社である。実は地元の長野県より新潟県の方が諏訪社の数が多い。何を意味するのか。出雲で建御雷との力比べで負けた建御方は諏訪に逃げ込んだとされているが。

10:00-11:00

斐太神社本殿。千木は外削ぎで鰹木は奇数の3本で男神を表す。主神は大国主。

10:00-11:00

斐太神社

妙高市

「斐太神社」を   >

斐太神社が創始されたときから末社として存在していたと伝わる雁田神社。伊邪那岐、伊邪那美の夫婦和合の神を祭神とし結婚や安産にご利益がある。そっくりな石が奉納してある。

11:00-12:00

斐太史跡公園(斐太歴史の里)

妙高市

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斐太遺跡の一部で、約2万平方メートルを対象とした史跡公園。散策しやすい遊歩道や休憩施設があり、半埋没状態の竪穴建物跡や環豪を見ることが出来る。里山の自然景観も素晴らしく、山ツツジやカタクリの花の群生が観賞できる。

11:00-12:00

斐太遺跡(斐太歴史の里)

妙高市

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2世紀後半から3世紀初頭の高地性集落跡で「弥生の山城」。約200軒もの竪穴建物跡と環濠跡があり、当時の遺跡としては東日本最大規模。戦乱に備えた小高い丘に築かれており、「倭国大乱」の時代のようです。

11:00-12:00

斐太遺跡(斐太歴史の里)

妙高市

「斐太遺跡(斐太歴史の里)」を   >

総合案内所では、斐太遺跡ばかりではなく隣接する鮫ヶ尾城跡からの出土品も展示している。売店やトイレもあり無料なのにお茶と漬物のサービスをしていただいた。ここで元気をいただき鮫ヶ尾城跡に登ることにした。なお、五日市に「斐太歴史民俗資料館」があったが休館であった。

12:00-13:00

斐太遺跡(斐太歴史の里)

妙高市

「斐太遺跡(斐太歴史の里)」を   >

斐太遺跡八代山B地区を登って鮫ヶ尾城跡に行く。このようなクヌギ林になっている丘陵地に竪穴式住居跡が集積し、それを囲むようにな低地に二本の環濠が作られていた。ここから谷を挟んだ南側の丘陵地に観音平・天神堂古墳群がある。

12:00-13:00

鮫ケ尾城跡(斐太歴史の里)

妙高市

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30分位で城跡のへ。暑い日で汗ばんだが涼しい風が心地よい。上杉謙信が信越国境の軍事拠点として築いたもので春日山城の重要な支城の一つ。謙信没後に起こった「御館の乱」の際に、敗走してきた景虎が立てこもり関東下向を前にして非業の死を遂げたことで有名。城主は堀江宗親。発掘調査により、焼けた陶磁器やおにぎりが出土している。「倭国大乱」の時代に作られた斐太遺跡から戦国時代に再びこの地が活用された。 いずれにしても戦乱の時代には防御にために丘陵地、山が必要なのだ。

13:00-14:00

氷見・きときと寿し・あらい道の駅店

妙高市

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昼食を回転寿しで。混んでおり30分くらい待つ。テーブル席に案内されたが、回転してくる寿しがない席で、注文は高いものばかり。ネタはよかったが何か不満足。

14:00-15:00

日本海鮮魚センター新井店

妙高市

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日本海鮮魚センター新井道の駅店は大変混んでいた。店の方の威勢のいいかけ声とたくさん買い込むお客さんにつられていろいろ購入してしまった。

16:00-17:00

北国街道関川関所「道の歴史館」

妙高市

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こちら側は信濃(長野県信濃町)、関川を渡ると越後(新潟県妙高市)。道の歴史館では江戸時代の資料や街道シアターで当時の様子を知ることができる。食事処もあり各地の関所跡の中でもよくできている。

16:00-17:00

北国街道関川関所「道の歴史館」

妙高市

「北国街道関川関所「道の歴史館」」を   >

復元された番所の建物。もとは高田藩の口留番所だったものが、元禄10年(1697)に幕府の重き関所の一つに位置づけられ、高田藩が管理。

16:00-17:00

北国街道関川関所「道の歴史館」

妙高市

「北国街道関川関所「道の歴史館」」を   >

高田藩から派遣された藩士二名が、朝六つ(午前6時頃)から暮六つ(午後6時頃)まで開門し、通行する人々を検査した。藩士の下に足軽や人見女がおり、大規模な大名行列などに備えて、近隣村々の百姓を郷足軽(ごうあしがる)に任命したよう。

人見女の取り調べ。信濃から越後へ向かう女性は「出女」に当たるため、往来手形の他に関所手形(女手形)が必要。不審な女性は番所の奥で人見女が衣服や髪を改めた。

1日目の旅ルート

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