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こぼらさんの京都府の旅行記

笠置山はアスレチックコース!?

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京都府南東端にある笠置山の山腹や頂上付近には、古くから笠置寺が鎮座し、修験行場が設けられていました。山全体が巨石に覆われていて、笠置寺境内には巨石に彫刻された磨崖仏があり、かつての修験行場には巨石で起伏に富む登山道が整備されています。特に修験行場は、ちょっとした冒険気分が味わえる野趣あふれる自然公園となっています。 巨大磨崖仏だけを拝見するつもりで訪れましたが、思いがけず自然公園をアスレチックコースとして楽しみました。その後、近くの「わかさぎ温泉」で汗を流しました。

三重ツウ こぼらさん 男性 / 60代

1日目2018年8月11日(土)

笠置産業振興会館

笠置町(相楽郡)

「笠置産業振興会館」を   >

JR関西線・笠置駅前にあります。初めて笠置山と笠置寺を訪ねてみようと思いつき、事前に観光資料やガイドマップを入手しようと笠置駅に行きました。駅そのものは小さくて、それらしい資料は入手できませんでした。しかし駅前に、この立派な建物があり寄ってみました。公共施設で、基本は地元の方のためのコミュニケーションセンターのようですが、1階が観光客対応となっていて、観光案内コーナーがあり資料が入手できました。郷土の歴史を紹介するコーナーもありました。

笠置山

笠置町(相楽郡)

「笠置山」を   >

車1台、ぎりぎり通れるだけの狭い道を通るしか、笠置山に上る術はありません。対向車が来ても退避できる場所が少ないので、ハラハラしながら上りました。幸い対向車はなく、駐車場に到着できました。駐車場の隅に公衆トイレがあり、その前に写真のような案内マップが掲示されています。 写真中央の大師堂付近を始点・終点とする、サーキット・トレーニング場のような巡回経路です。順路は反時計回りになっていて、岩がごろごしていて少々険しい山道を上り下りしながら、自然に触れつつ、磨崖仏や修験行場を楽しめるようになっています。1周は1kmにも満たないようですが、実際に歩いてみると何倍もの距離があるように感じます。足腰をトレーニングできそうです。 かつて修験行場では、修験者達が1日に何周も駆け回って心身を鍛えていたのでしょう。ある意味、アスレチックコースとも言えます。

笠置寺

笠置町(相楽郡)

「笠置寺」を   >

鹿鷲山笠置寺。真言宗智山派の寺院です。山門は、駐車場から歩いて5分という案内表示が出ていますが、結構急な坂道を上ります。 いかにも山寺の山門という風情ですが、真言宗の寺院ですから、参拝者を楽しませるアトラクション的な要素があるものと期待して入りました。

山門に上る道です。かなりの坂道ですが、足元は平坦に整備されていて、きついとは思いません。

山門前から、いま上ってきた参道をふり返ったところ。参道は東海自然歩道と重なっています。特に急坂になっている部分には手すりがありますが、足腰に自信のない人には向かないですね。

笠置寺

笠置町(相楽郡)

「笠置寺」を   >

山門をくぐると、笠置寺の縁起を刻んだ碑が正面に現れます。それを読むと、笠置寺は案外多難な経過をたどって来たことがわかります。名刹として栄えある歴史を歩んできたものと思い込んでいました。 笠置山の創建年代は不明らしいですが、飛鳥時代には塔堂が存在していたようです。奈良時代には修験行場として栄え、末法思想が流行した平安時代には本尊の弥勒磨崖仏が篤く信仰されたそうです。鎌倉時代には、宗教改革を唱えた高僧・貞慶(解脱上人)が入って、十三重塔などを建立して法相宗の立派な寺院とし、改革運動の中心地となった。しかし、1331年に倒幕計画に失敗した後醍醐天皇の行在所になったため、鎌倉幕府軍との戦いの舞台となってしまい、全山が焼失してしまいました。明治になって、ようやく復興したのだそうです。

国の重要文化財の梵鐘。1196年、解脱上人が般若台を造営した際、その鐘として高僧・重源が贈ったもの。鐘の最下部に6つの切り込みがある(六葉形)のが特徴。中国の鐘には多く見られるものの、日本の梵鐘では珍しいらしい。

笠置寺収蔵庫

笠置町(相楽郡)

「笠置寺収蔵庫」を   >

拝観受付の隣にあります。寺宝が収蔵されているので、宝物殿と呼んでも差し支えないのでしょうが、ご覧の通りシンプルな建物なので謙遜して収蔵庫と呼んでいるのでしょう。 笠置寺の拝観料は300円ですが、収蔵庫拝観料も含まれています。

収蔵庫内での撮影は禁止ですが、玄関の扉は透明ガラス張りなので、外から撮影させてもらいました。見応えがあるのは十一面観音像と本尊・弥勒磨崖仏のデジタル復元図。なぜデジタル復元図が作られたのか、後でわかりました。

収蔵庫から椿本護王宮の前まで進み、角を左に曲がって正月堂の方へ向かいます。仰ぎ見る椿本護王宮の社の朱色が、緑を背景にして鮮やかです。椿本護王宮は、笠置寺一山五十ヶ寺の総鎮守社。

道案内猫「笠やん」の石像が、参道脇にありました。お墓だそうです。「笠やん」は、平成初頭に笠置寺にひょっこり現れて住み着き、参拝客を先導して道案内していたそうです。白茶猫だったらしい。

「笠やん」は笠置町PRキャラクターになっていて、案内表示に登場しています。

さらに進むと正月堂が見えてきます。写真の右下が正月堂ですが、左側に巨石の断崖が見えます。巨石が手前にあるから大きく見えるのではありません。本当に大きいのです。

十三重塔(京都府笠置町)

笠置町(相楽郡)

「十三重塔(京都府笠置町)」を   >

正月堂の横まで来て、十三重石塔と巨石を見上げた状態です。石塔の高さは5mほどですが、背後の巨石は高さ15mもあるので、可愛らしく見えてしまいます。 十三重石塔は室町時代前期の作で、国の重要文化財。石塔が立っている場所には、鎌倉時代初期に解脱上人が建立した木造十三重塔がありましたが、元弘の乱で焼失したそうです。

十三重塔(京都府笠置町)

笠置町(相楽郡)

「十三重塔(京都府笠置町)」を   >

十三重石塔の近くには、もう一つ巨石があります。写真右がそれです。この巨石に、笠置寺の御本尊である弥勒磨崖仏が彫られているのです。広角で撮影できないのが残念ですが、3つの巨石と巨木たちが形作る幽玄な断崖を背景に、十三重石塔は佇んでいます。

正月堂の横から見た弥勒磨崖仏。高さは20mだそうです。笠置寺のご本尊です。

笠置寺 弥勒磨崖仏

笠置町(相楽郡)

「笠置寺 弥勒磨崖仏」を   >

幾たびの火災や戦乱によって、弥勒磨崖仏の表面が剥落し、弥勒菩薩のお姿を見ることができません。収蔵庫に、デジタル処理復元画像が展示されていた理由がわかりました。

岩肌に残されている痕跡をもとに、デジタル処理で再現された弥勒磨崖仏の画像。雪景色を前にした弥勒磨崖仏という設定です。画像は収蔵庫で展示されています。 この展示は、弥勒磨崖仏や正月堂の付近でも必要だと思います。収蔵庫まで戻るのは面倒ですから。

正月堂

笠置町(相楽郡)

「正月堂」を   >

当初の正月堂は、解脱上人によって、今の大師堂の場所に建立されました。元弘の乱で焼失しましたが、室町時代になって弥勒磨崖仏の前に再建されました。

弥勒磨崖仏と正月堂を見て、かつて修行場であったエリアに入っていきます。写真右下の狭い道を通って進みます。老夫婦が手すりにもたれかっていますが、足元が岩だらけで険しいので立ち往生してみえたのです。普通の革靴を履いてみえたので、歩きにくかったのでしょう。 正月堂は、絶壁に櫓を組み、その上に建てられていたのですね。磨崖仏の方から見る限り、そのようには見えませんでした。

千手窟。東大寺建立の際、木津川上流域より木材を水運で搬送するにあたり、木津川の水嵩が少なくはかどらない事態が生じた。この岩窟で、実忠和尚が雨乞いの修法を執り行い、川の水量を増やしたとされる。千手窟の前の通路は、やはり巨石の上を歩くようなもの。そうです、千手窟を構成する巨石は、別の巨石群の上に乗っているのです。

虚空藏菩薩磨崖仏

笠置町(相楽郡)

「虚空藏菩薩磨崖仏」を   >

千手窟の奥の巨石には、虚空像坐像が彫られています。国内最大にして最古と言われている大磨崖仏。解説パネルによると、弘法大師が一夜にして彫刻したとするものの、1300年前に東大寺の実忠上人と、その師・良弁僧正が手がけて彫刻されたというのが実態のようです。 良弁僧正は東大寺の大仏建立事業の総指揮を任された人であり、実忠上人は東大寺二月堂のお水取り行事を創始した人です。笠置は東大寺の強い影響下にあったのですね。

虚空藏菩薩磨崖仏

笠置町(相楽郡)

「虚空藏菩薩磨崖仏」を   >

虚空像坐像の磨崖仏は、本尊の弥勒磨崖仏とは違い保存状態が良く、はっきりと全体像を仰ぎ見ることができます。この磨崖仏の前は谷となっており塔堂を建てる余裕がなく、結果的に元弘の乱による戦火を免れた事が幸いしています。 解説パネルによれば、中国山西省雲南の磨崖仏に似ているため、奈良時代に渡来人によって作られたとのこと。中国西域の磨崖仏を思い出す要素もあり、国内の磨崖仏様式とは大きく違っています。

「胎内くぐり」と呼ばれる岩窟。いや、岩のトンネルですね。これを見た時、石舞台のように、古墳の石室ではないかと思いました。 笠置寺修行場の入口だそうです。修行場に入る前には滝で身を清めるのが倣わしなのですが、ここには滝がないので、このトンネルをくぐり身を清めたそうです。

「胎内くぐり」を振り返ったところ。天井には、人工的に切り出された平らな石が置かれています。19世紀中頃の安政大地震までは、巨石が上に乗っていたらしいのですが、地震により谷に転げ落ちてしまったそうです。たった今、大地震が起きたら、この修行場はどうなるのかなとチラと考えてしまいました。

笠置山自然公園

笠置町(相楽郡)

「笠置山自然公園」を   >

かつて修験場だった笠置山の中腹・頂上付近に道や休憩所が整備され、自然公園となっています。「胎内くぐり」を過ぎて修験場エリアに入るとさすがに道が険しくなってきます。谷を下り尾根を上る、起伏のある道です。でも、手すりがあるので安心して歩けます。冒険気分が味わえます。

谷を歩いていると薄暗いですが、尾根の上に出ると一気に視界が開けて明るくなります。湧き水で路面が濡れている所もあります。冒険している気分になってきます。修行場めぐりはアトラクションと言えるでしょう。

太鼓石。私たちは、奥にある岩のトンネルがそれだと勘違いし、どれがどのように太鼓だというのだと言っていました。後で知ったのですが、写真手前の太鼓を立てたような岩がそれです。叩くと音がするそうです。心ない人が石で叩いたのか、上部の苔が剥げ落ちています。

笠置山

笠置町(相楽郡)

「笠置山」を   >

険しい修行場の道をひとしきり進むと、頂上が近付いてきます。途中視界が開けるスポットがあり、そこから木津川の流れが見渡せます。

ゆるぎ石。元弘の乱の際、押し寄せる鎌倉幕府軍に向けて転げ落とし撃退するために、道のあちこちに置かれたという。当時の石は、押せばすぐに動く状態にしてあったので「ゆるぎ石」だったのでしょうが、さすがに今はびくともしない状態にしてあります。 しかし、狭い山道を上っていて、上からこんな石が転がり落ちてきたら怖かったでしょうね。

平等石。山道を上っていくと、行く手を塞ぐように姿を現します。巨大な岩を穿いて石段が作られています。これを上っていけば通過できると思いきや、そうではありません。行き止まりになっていました。平等石の上は展望台になっているのです。

平等石を通り過ぎて、振り返ったところです。二つの巨岩の右側が平等石です。写真中央付近に、二つの岩に挟まれた隙間が見えます。この隘路が「蟻の戸渡り」と呼ばれる通路です。私たちは、ここを通って岩の裏側に出ました。 幅が60cm程度しかないうえに、岩がせり出しているので、まっすぐ立って歩く事ができません。手を岩にあてて、体を横に傾けて通る必要があります。

笠置山自然公園

笠置町(相楽郡)

「笠置山自然公園」を   >

「胎内くぐり」に始まり、大師堂に終わる修行場めぐりコース全体が笠置自然公園となっています。写真は修行場めぐりを終え、行在所跡の方へ向けて下りてきたところにある三叉路です。写真の右側に行くと「蟻の戸渡り」に通じ、奥に進むと「もみじ公園」へ、手前に行くと行在所跡や大師堂に行けます。 この辺りの道は、いかにも公園の散策路といった感じがします。

もみじ公園に向かう道。紅葉で有名な場所ですが、真夏では深い緑の世界となっています。

行在所跡に向けて歩いていると、道の脇に小さなお地蔵さんのような磨崖仏がありました。先ほど、高さ20m近い磨崖仏を見たばかりだったので、本当に小さく思えました。

笠置山行在所跡

笠置町(相楽郡)

「笠置山行在所跡」を   >

元弘の乱の際、京の都を脱出した後醍醐天皇を擁していた仮御所(行在所)の跡です。石段は五十余段ありますが、上りきった所に行在所跡があります。

笠置山行在所跡

笠置町(相楽郡)

「笠置山行在所跡」を   >

玉垣に囲まれた部分が行在所があったところ。笠置山で最も標高が高い場所です。後醍醐天皇は、笠置が陥落した後、幕府によって隠岐に流されたものの、その後も活躍された事は史実の通りです。ここは一通加点に過ぎませんでした。 このため、玉垣の中には神社も塔堂もありません。雑木林になっています。

行在所から大師堂へは坂道を下ります。振り返ると、何とも言えない雰囲気が漂っていたので撮影しました。樹木の中を縫うように敷かれた少々険しい修験道、両脇に巨石の構図が、笠置山の特徴を凝縮しているからです。

笠置寺

笠置町(相楽郡)

「笠置寺」を   >

修行場を一回りすると大師堂が終点となります。大師堂のすぐ下に、先ほど通りかかった「笠やん」の墓があります。決して楽な修行場めぐりではありませんでしたが、自然を生かしたアスレチックコースのようで良い汗がかけましたし、満足感も得られました。時間があれば、2〜3周してみても良いかなと思いました。 この大師堂は、明治30年に移設・建立されたものです。かつて、ここには正月堂がありましたが、元弘の乱で寺全体が消失した後は再建されず、江戸時代には荒れ果てていたそうです。明治初期には無住職の時期もあったそうです。これだけの寺院なのに驚きです。

【休館中】美肌の湯 わかさぎ温泉 笠置いこいの館

笠置町(相楽郡)

「【休館中】美肌の湯 わかさぎ温泉 笠置いこいの館」を   >

笠置山で良い汗をかいたので、近くの「わかさぎ温泉」の湯に浸かることにしました。今年3月に内装をリニューアルしたと聞いていましたが、1階の浴場前ロビーは以前と変わらない雰囲気でした。2階の食堂や休憩室がリニューアルしたのだろうと考えて、まずは2階で腹ごしらえしてから入浴しました。 ここの泉質はさらっとしていますが、肌がツルツルすべすべになります。美肌の湯という表現は間違っていません。露天も含めて6種類の浴槽があり、湯温も微妙に違えてあるので、長湯が楽しめます。残念なのは、打たせ湯と寝湯が長らく故障していること。私が知っている限り、半年以上満足に使えない状態。「調整中」という苦しい言い訳表示が悲しい気分にさせます。泉質は良いだけに誠に残念。

以前より、とても広い食堂に大きな変化はなし。強いて言えば、床のタイルカーペットの色目が、落ち着いたものに変わっていた。 ここの食堂の定食メニューの中で、一番手頃な値段のからあげ定食。880円だったかな。美味しかったですよ。

リニューアルで大きく姿を変えていたのは休憩室でした。写真は「きじの間」。風呂上がりに利用し寝転がってみましたが、真新しい畳や障子・ふすまが気持ちよかった。

1日目の旅ルート

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