Shotaさんの愛知県〜京都府の旅行記
紅葉を求めて愛知・滋賀・京都の古刹やベスト・スポットへ
- 1日目2020年11月25日(水)
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07:00-07:00
仁王門。霊鷲山降劔院真福寺(りょうじゅせんこうけんいんしんぷくじ)は、推古天皇2年(594年)聖徳太子建立と伝わる天台宗の寺院。薬師如来を本尊とする。
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07:00-07:00
真福寺 本堂
真福寺本堂への石段。真福寺東谷遺跡からは建物跡、飛鳥時代後期の瓦、瓦塔、須恵器、陶器、釘などが見つかっているという。
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07:00-07:00
真福寺 本堂側面
本堂側面の朽ちた柱と窓。仁平元年(1151年)本薬師山は全山焼失。上記仁王門などは明応3年(1494年)に復興されたものである。
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08:00-08:00
香嵐渓は矢作川の支流巴川がつくる渓谷。寛永11年(1634年)香積寺の住職三栄が巴川から寺に登る参道にカエデやスギの木を植えたのが始まりとされる。
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08:00-08:00
香嵐渓 紅葉
「飯盛山からの薫風は、香積寺参道の青楓を透して巴川を渡り、香ぐわしいまでの山気を運んでくる。山気とはすなわち嵐気也」から「香嵐渓」という名がついた。待月橋から見える対岸の紅葉。少し遅かったが充分楽しんだ。
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08:00-08:00
鍛治、機織り、炭焼き、紙すきなどの技術の伝承と日本の昔の暮らしや風景を見せることを目的とした資料館。茅葺屋根の古民家風であるが1980年に新築されたもの。
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11:00-11:00
瀬田城址
瀬田城は永享年間(1429-1441年)に山岡資広により築城。瀬田唐橋の東南畔に位置し、窪江城と共に、瀬田橋と東海・東山道を監視する軍事的要衝の地にあった。『日本城郭大系11』
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11:00-11:00
瀬田城由来
京都にいた信長が岐阜に戻る際には宿所とした。比叡山焼き討ちの際にも宿泊したとされる。石碑が立つのみで遺構のようなものは見られない。『日本城郭大系 11』
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11:00-12:00
硅灰石の巨大な岩盤の上に建っていることから石山寺と呼ばれる。創建は天平19年(747年)良弁。本尊は如意輪観音。
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11:00-12:00
石山寺 東大門
東大門は建久元年(1190年)建立とされるが、細部の様式から本堂の札堂と同時期の慶長期に大幅な修理がなされたと考えられている。三間一戸、瓦葺入母屋造の八脚門。軒反りが大きく堂々としている。
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11:00-12:00
石山寺 東大門仁王像
東大門の仁王像。鎌倉期の仏師運慶と息子湛慶の作と伝わる。
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11:00-12:00
石山寺 東大門柱
源頼朝による寄進と伝わる東大門の柱は、多少朽ちつつもしっかりと大門を支え続けている。
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11:00-12:00
石山寺 紅葉
東大門をくぐって参道を少し進んだ左側にある世尊院門前の紅葉。さほど人も多くはなく、ゆっくりと秋の古刹を楽しむことができだ。
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11:00-12:00
石山寺 毘沙門堂
毘沙門堂は安永2年(1773年)紀州の藤原正勝が建立。兜跋毘沙門天・吉祥天・善膩師童子の三体が祀られている。
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11:00-12:00
石山寺 硅灰石
硅灰石壁と多宝塔を見上げる。硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触、その熱作用のため変質したもの。通常は大理石となるがこのように広大な硅灰石となっているのは珍しく、天然記念物になっている。上に多宝塔が見える。
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11:00-12:00
石山寺 本堂
本堂は滋賀県最古の木造建築物。承暦2年(1078年)に焼失、内陣(正堂)は永長元年(1096年)に再建、外陣(礼堂)は慶長7年(1602年)増築。入口にここで源氏物語の一部を執筆した紫式部の間がある。
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11:00-12:00
石山寺 紅葉
毘沙門堂から参道右側の大黒堂へむかって石段を下っていく。少しばかり盛りを過ぎた紅葉が物悲しくはある。
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11:00-12:00
石山寺 紅葉
大黒堂脇の紅葉。広大で起伏にとんだ境内だが、実に丁寧に手入れが施されている。お陰で晩秋の古刹を充分楽しむことができた。
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12:00-12:00
膳所城は慶長6年(1601年)家康が大津城に代えて築かせ、戸田一西(かずあき)を城主とした。琵琶湖の南をおさえるに都合の良い位置にあった。『日本城郭大系 11』
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12:00-12:00
膳所城址
膳所城の本丸跡が膳所城跡公園になっており、人込みをさけて湖畔を歩く人たちや子ども連れでにぎわっていた。城門・本丸跡・二の丸跡が残る。『日本城郭大系 11』
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13:00-13:00
大津城址
大津城は天正14−15年(1586−1587年)秀吉配下の浅野長吉により築城。築城にあたっては下記坂本城の遺材が用いられたとされる。古くから湖上水運の荷上場として、また、北国街道・東海道・東山道の分岐点として軍事的にも政治的にも重要な位置を占めていた。『日本城郭大系 11』
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13:00-13:00
大津城縄張図
大津城の城域は琵琶湖汽船乗場(本丸跡)を北端とし、南は東海道、西は北国街道、東は坂本町に及ぶ広大なものであった。『日本城郭大系 11』
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13:00-14:00
園城寺の創建は7世紀、大友与多王とされる。本尊は弥勒菩薩。寺に湧く泉が天智・天武・持統の三代の天皇の産湯として使われたことから「御井(みい)」の寺と呼ばれ、それが転じて三井寺となったとされる。
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13:00-14:00
三井寺 仁王門
大門・仁王門。宝徳4年(1452年)常楽寺(湖南市)に建立されたが、秀吉により伏見城に移築。それを慶長6年(1601年)家康が当寺に寄進。三間一戸、檜皮葺入母屋造の楼門。両脇の仁王像は運慶作と伝わる。
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13:00-14:00
仁王門柱
仁王門の柱はいくぶん華奢に見えるが、がっちりと組んである。年月を経た木の柱の味わいは何ともいえない。
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13:00-14:00
三井寺 釈迦堂
釈迦堂、食堂でもある。天正年間(1573-1593年)造営の京都御所清涼殿が移築されたものと伝わる。桁行七間、梁間四軒、檜皮葺入母屋造。
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13:00-14:00
三井寺 金堂
現在の金堂は秀吉の遺志により、高台院が慶長4年(1599年)寄進したもの。七間四方、檜皮葺入母屋造の典型的桃山形式の仏堂。本尊の弥勒菩薩は用明天皇の時代に百済より渡来したものと伝わる。
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13:00-14:00
三井寺 一切経蔵
一切経蔵堂の側面と柱。室町初期の禅宗様経堂。慶長7年(1602年)毛利輝元の寄進により山口市の国清寺より移築したもの。一間四方、檜皮葺宝形造。
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13:00-14:00
三井寺 一切経蔵
一切経蔵の中央にある高麗版の一切経を納めた八角形の輪蔵。中心軸で回転するようになっており、経蔵を回転させるとそれで経典全巻を読誦したとみなされるという。
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13:00-14:00
三井寺 三重塔
三重塔は鎌倉末期から室町初期の建築。奈良県の現・世尊寺にあった塔を秀吉が伏見城に移築、それを慶長6年(1601年)家康が寄進したとされる。軒が深く三重のバランスがとても良い。
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13:00-14:00
三井寺 紅葉
灌頂堂から石段を下り、村雲橋を渡ったあたりの紅葉。よくはご覧いただけないが、細やかな色の変化が素晴らしい。
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三井寺 護法善神堂
護法善神堂(千団子社)には園城寺の守護神護法善神(鬼子母神)像が祀られている。石造橋、唐門、表門などがあり、古色蒼然たる趣。
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15:00-16:00
マキノピックランドを縦貫する県道小荒路牧野沢線に約2.4キロにわたってメタセコイアが約500本植えられている。学童農園整備事業の一環として始められたものが次第に広がり現在の雄大な姿になったという。「新・日本の街路樹百景」にも選ばれている。
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19:00-19:00
北野天満宮本堂のライトアップ。コロナ禍で中止している寺社もあるが、東寺、知恩院、清水寺、高台寺などでライトアップが実施されている。ただ永観堂の混雑ぶりはすさまじく夜の拝観はあきらめた次第。
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22:00-23:00
聞法会館
西本願寺に隣接してある聞法会館。広くゆったりしたツインの部屋。今回は遅くなって大浴場には入れず残念 !!!
- 2日目2020年11月26日(木)
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00:00-07:00
聞法会館
あまりよく眠れなかったが、思い切ってベットを出てシャワーで目を覚ました。簡単な朝食を済ませて出発 !
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07:00-07:00
勝龍寺城は室町中期に山城守護畠山義就が築いたと推定される。戦国末期には松永久秀、信長らの支配下に置かれ、本能寺の変後は明智光秀の拠点となった。『日本城郭大系 11』
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07:00-07:00
勝龍寺城址
本丸および沼田丸址が1992年勝竜寺公園として整備され、模擬櫓などが造られた。土塁・空堀、石垣の一部が残っている。
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07:00-07:00
明智光秀三女お玉の碑
天正6年(1578年)8月、細川藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)がこの城で婚儀を挙げ、丹後に移るまで過ごしたとされる。
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09:00-11:00
禅林寺は浄土宗西山禅林寺派の寺院。仁寿3年(853年)真紹開基、貞観5年(863年)禅林寺となる。中興の祖、7世住持の永観(ようかん)にちなんで永観堂とも呼ぶ。紅葉の名所として知られる。
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09:00-11:00
禅林寺 中門
中門。昨夜の混雑ぶりほどではないが、先月訪ねたときよりは多い参拝客に交じって中門をくぐる。
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09:00-11:00
禅林寺 釈迦堂庭
寛永4年(1627年)建築の釈迦堂(方丈)。桟瓦葺入母屋造。唐門(勅使門)と堂の間に身を清めるもり砂がある。
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09:00-11:00
禅林寺 勅使門
上記勅使門(唐門)の表側。門扉と土壁と紅葉のバランスが絶妙。
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09:00-11:00
禅林寺 御影堂
総欅造の御影堂(大殿)は1912年完成。宗祖法然を祀る。
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09:00-11:00
禅林寺御影堂下の紅葉
御影堂前の石段を下ったところにある石灯篭と紅葉。近くに旧・永観堂幼稚園の建物がある。なんとも羨ましい環境にある幼稚園だ。
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09:00-11:00
禅林寺 画仙堂
画仙堂は1914年建築の寄棟造。鈴木松僊(しょうせん)作の「天龍図」で知られる。
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11:00-12:00
三門とは、修行し悟りに至るための三つの関門、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称とのこと。この三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、日本三大門の一つとされる。盛りは過ぎていたが、紅葉との組み合わせはまた良し。
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11:00-12:00
南禅寺 本堂
現在の本堂(法堂)は1909年に再建されたもの。駐車場には観光バスが何台も並んでいたが、参拝客は広い境内の各所に散っていたのか、まったく混みあっている風ではなかった。
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12:00-13:00
蘆山寺
蘆山天台講寺は天台宗系単立の寺院で、天慶元年(938年)良源により船岡山南に創建。天正年間(1573-1593年)に現在地に移転。阿弥陀如来を本尊とする。
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12:00-13:00
蘆山寺・紫式部邸址
紫式部の曽祖父、権中納言藤原兼輔の邸宅がこの地にあり、藤原香子(紫式部)はここで育ち、結婚生活を送り、長元4年(1031年)59歳ほどで死去したとされている。『源氏物語』、『紫式部日記』、『紫式部集』などはほとんどこの地で執筆された。
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12:00-13:00
蘆山寺 本堂
本堂は寛政6年(1794年)光格天皇の命により仙道御所の一部を移築したもの。堂脇の紅葉が鮮やかであった。
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13:00-13:00
蘆山寺の向かいにある梨木神社は三条實萬・三条實美父子を祭神として1885年建立された。境内には約500株のハギが植えられており、萩の宮とも呼ばれる。
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13:00-13:00
梨木神社 本殿
本殿。社殿の修復費用の捻出案が神社本庁の承認を得られなかったことから、単立神社となるといった経緯があるそうだ。いずれの寺社も維持・修復には苦慮しておられることと拝察する。
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13:00-14:00
延暦年間(728-806年)最澄により比叡山に創建されたのを曼殊院の始まりとする。明暦2年(1656年)良尚により現在の地に移された。阿弥陀如来を本尊とする天台宗の寺院である。
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13:00-14:00
曼殊院
庫裡。入口の大妻屋根の額「媚竃(びそう)」は良尚の筆。論語の「その奥に媚びんよりは、むしろ竈(かまど)に媚びよ」を引用。
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13:00-14:00
曼殊院 庭園
禅的な要素と王朝風の様式を結合させたとされる枯山水の庭園。ひと言苦言を…。「撮影禁止」の注意書きがあまりにも多く、肝心の建物内部や襖絵などをゆっくり楽しむことができないのがきわめて残念。
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14:00-15:00
大内山仁和寺は真言宗御室派の総本山であり、阿弥陀如来を本尊とする。仁和2年(886年)建立が始まり、仁和4年(888年)宇多天皇により落成。
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14:00-15:00
仁和寺 二王門
二王門は徳川家光の寄進により寛永18年−正保2年(1641−1645年)頃に建立。平安時代の伝統を継ぐ純和様式。左右に金剛力士像、後面に唐獅子像を安置してある。
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14:00-15:00
仁和寺 金剛力士像
阿形像と巨大な門を支える柱。どちらも力強い。
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14:00-15:00
仁和寺 本坊表門
本坊表門は二王門をくぐったすぐ左脇にある。本瓦葺の一間薬医門で禁中の御台所門を移築したと伝えられる。木割の太い、雄大な造りである。
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14:00-15:00
仁和寺 御殿入口
唐破風様式の御殿入口。御殿は白書院、宸殿、黒書院、霊明殿が渡り廊下で結ばれている。
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14:00-15:00
仁和寺 御殿南庭
白書院正面にある勅使門。檜皮葺の四脚門、前後唐破風造側面入母屋造。天皇の使者「勅使」だけが通ることを許された。
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14:00-15:00
仁和寺 中門
中門は寛永18年−正保2年(1641−1645年)頃の建立。本瓦葺の切妻造、三間八脚門。左に西方天、右に東方天を安置する。
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14:00-15:00
仁和寺 五重塔
五重塔は寛永21年(1644年)徳川家光の寄進により建立。高さ36.18メートル。東寺の塔と同様各層の屋根がほぼ同じ大きさになっている。内部に大日如来を安置する。
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14:00-15:00
仁和寺 金堂
金堂は寛永年間(1624−1644年)に御所内裏の正殿「紫宸殿」[慶長18年(1613年)建立]が移築されたもの。阿弥陀三尊が安置されている。
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14:00-15:00
仁和寺 御影堂
御影堂は寛永18年−正保2年(1641−1645年)頃の建立。慶長年間に造営された内裏清涼殿の用材が用いられた。弘法大師像、宇多法皇像、本寺第2世親王像を安置。
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14:00-15:00
仁和寺 観音堂
観音堂は延長6年(928年)頃の造営とされている。現在の堂は寛永18年−正保2年(1641−1645年)頃の建立。本瓦葺入母屋造、本尊は千手観音菩薩。
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16:00-16:00
坂本城址
坂本城は元亀2年(1571年)信長の命により明智光秀が築いた城。琵琶湖の南西岸に位置し、西には比叡山脈、東には琵琶湖と天然の要害を具えていた。『日本城郭大系 11』
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16:00-16:00
坂本城址
坂本城築城の目的は、焼き討ち後の比叡山延暦寺の監視と琵琶湖北方の豪族を抑え、琵琶湖の制海権を手中にすることであった。本能寺の変後秀吉が城主となり、守将丹羽長秀が城下町を整備したが、大津城築城の際、資材が移され廃城となった。『日本城郭大系 11』
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16:00-16:00
坂本城跡・東南寺
東南寺は天台宗の寺院。延暦年間(782-806年)最澄が両親の追善供養のため、庶民への布教のために開いたのが始まりとされる。境内は坂本城の二の丸跡にあたる。
紅葉を求めて愛知・滋賀・京都の古刹やベスト・スポットへ
1日目の旅ルート
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