Shotaさんの愛知県〜愛媛県の旅行記
奈良・しまなみ・因島・今治・丸亀・三田・甲賀・知多方面
- 1日目2023年12月31日(日)
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08:00-08:00
伊賀上野城は、慶長13年(1608年)入封した、築城の名手藤堂和泉守高虎が大改修を施した城である。『日本城郭大系 10』 上方を意識して築かれた高石垣は、いつ見ても堂々として美しい!
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08:00-08:00
入交(いりまじり)家住宅は、寛政期(1789-1800年)津藩、入交家の屋敷とされる。主屋、表屋、土蔵、長屋門が残っている。
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09:00-09:00
藤堂新七郎屋敷址
藤堂良勝、通称新七郎の屋敷址。良勝は高虎の従弟。高虎のほぼすべての戦いに従軍し、長年にわたり支えたが、大坂夏の陣で戦死。
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10:00-10:00
新薬師寺の開基は光明皇后または聖武天皇と伝わるが、奈良期創建の詳細については不詳。薬師如来を本尊とする華厳宗の寺院。 山門は鎌倉期の築造。往時隆盛の名残りを見せる。
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10:00-10:00
新薬師寺 境内
本堂脇、正月の装いをまとう石仏。苔、石垣、古木・・・
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10:00-10:00
南都鏡神社は天平から天平神護期 (729-767年)、近くの福智院に報恩が唐津から鏡神社を懇請したのが始まり。大同元年 (806) 年現地に移転、新薬師寺の鎮守社とされた。天照皇大神、藤原広嗣を祭神とする。
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10:00-10:00
春日山不空院は鑑真の住坊跡とされる地に、弘仁期 (810-824年) 空海が興福寺南円堂建立に先立ち、雛形を当寺に建てたとされる真言律宗の寺院。不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)を本尊とする。
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10:00-10:00
白樺派の文豪志賀直哉が大正14年 (1925年) 山科から転居、昭和13年 (1938年) 東京に移り住むまで過ごした住居。現在一般公開され、セミナーハウスとしても利用されている。
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11:00-11:00
率川神社は正式名称を率川坐大神神御子神社といい、推古天皇元年 (593年) 勅命により神武天皇の皇后、媛蹈?五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめ)を祭神として奉斎したと伝わる。
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11:00-11:00
伝香寺は宝亀2年 (771年) 鑑真の弟子、思託により開創とされる律宗の寺院。 ひっそりと建つ古刹、訪ねる人は多くないのか、大歓迎してくださった。
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11:00-11:00
天正13年 (1585年) 再興時に建立された、寄棟造・方三間の本堂には、本尊釈迦如来坐像が据えられている。
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11:00-11:00
漢國神社は推古天皇元年 (593年) 勅命により園神を祀ったのが始まりとされる。かつては園韓神社と称していたが、「韓」が漢に「園」が國となり、「漢國神社」となったと伝わる。
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11:00-11:00
本殿を囲う透かし塀の欄間には、山鳥と思しき鳥が彫られている。
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12:00-12:00
栴檀木橋は土佐堀川に架かる橋。江戸初期、蔵屋敷のあった中之島と船場の行き来のために架けられたとされる。
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12:00-12:00
ネオ・ルネッサンス様式を基調とした、大阪市中央公会堂は大正7年 (1918年) 竣工。「懸賞付き建築設計競技」の第一位案を基に、東京駅などを設計した辰野金吾と片岡安が実施設計を担当した。 堂々たる佇まいをみせる。
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12:00-12:00
銅座址(大阪市)
銅座は明和3年 (1766年) 設置。江戸期、銅は重要な輸出品であった。銅山からの荒銅を買い上げて「銅吹」たちに製錬させ、それを集荷して海路長崎へ回送した。
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12:00-13:00
適塾は江戸後期、天保9年(1838年)緒方洪庵が大坂船場に開いた蘭学の私塾。開塾25年の間、約3000人の入門者があったという。福沢諭吉、大村益次郎、箕作秋坪などが学んだ。
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12:00-13:00
緒方洪庵(田上惟章)(1810-63年)は備中足守藩士の三男。中天游の私塾「思々斎塾」を皮切りに、江戸、長崎などで蘭学、医学を学び、大坂で医業を開業。同時に上記「適塾」を開く。天然痘治療に大きく貢献した。
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13:00-13:00
「アメリカ村」は1970年代、倉庫を改装した店舗で、アメリカ西海岸から輸入した古着、ジーンズ、中古レコード、雑貨などが販売されるようになったのが始まり。
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13:00-14:00
町家山口家(堺市)
山口家住宅の主屋は、慶長20年(1615年)大坂夏の陣で町が全焼した直後に建てられた、現存する江戸前期の町家のひとつ。
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13:00-14:00
千利休は大永2年(1522年)堺の商家に生まれ、わび茶を大成したばかりでなく、信長、秀吉や諸大名との関係も深く、大きな影響力を持った。屋敷址には、椿の井戸と利休ゆかりの大徳寺山門の部材で建てられた井戸屋形がある。
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13:00-14:00
茶匠「千利休」と歌人「与謝野晶子」の生涯や人物像などを通じて、堺の歴史・文化の魅力を発信する文化観光施設。さまざまな催しが企画されている。
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16:00-17:00
玉子焼きてんしん(明石市)
「あかし焼き」が食べたくて明石市内をウロウロ。やっとたどり着いた「てんてん」。暫らく待って、「玉子焼き」にありついた。ウマい!もう一人前! 店主のお孫さんらしき坊やがお手伝いを。おつりをチップ?にと差し出したら、首をふる。それでもと渡した。と、追いかけてきて、半分返すという!そう言わずにとやっと納めてもらった。いとおしくなってまった。
- 2日目2024年1月1日(月)
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07:00-07:00
青山古戦場(姫路市)
「黒田官兵衛古戦場址」 永禄12年(1569年)姫路城主小寺官兵衛(黒田官兵衛)率いる軍勢が龍野城主赤松政秀の軍勢を破り、初陣を飾った青山・土器山の合戦址。
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08:00-08:00
楯岩城は赤松範資の子(広岡)則弘が建武期(1334-38年)に築いたとされる山城。本丸、二の丸、三の丸、土塁、石垣が残る。『日本城郭大系 12』
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08:00-09:00
閑谷学校は寛文10年(1670年)岡山藩主池田光政によって開かれた日本最古の庶民のための学校。他藩の子弟にも門戸は開かれ、就学年齢は8歳頃から20歳頃まで。儒教を中心とした教育がなされた。
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08:00-09:00
右手に見える講堂の屋根には窯変瓦が使われ、300年経過しており、床には漆が塗られている。 大鳥圭介(工学者、外交官)正宗白鳥(文学者)大原孫三郎(実業家)三木露風(詩人)西周(哲学者)などが此処で学んだ。
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10:00-11:00
福山サービスエリア(下り)
福山サービスエリアで「お好み焼 さんちゃん」を見つけた。定番の「広島やき そば肉玉」を堪能!満足!!!
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11:00-11:00
土居城址(尾道市)
土居城は幸崎城主、村上丹後守吉房の居館とされるが、詳細は不詳。
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11:00-12:00
金蓮禅寺(尾道市)
因島にある寶鏡山金蓮寺は、文安6年(1449年)因島村上氏、第二代当主村上吉資開基になる曹洞宗の寺院。薬師如来を本尊とする。
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11:00-12:00
金蓮寺 村上一族墓所
天正5年(1577年)村上水軍(因島村上氏)の菩提寺扱いとなったため、村上一族歴代の墓が並ぶ。
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11:00-12:00
片刈山城(因島水軍城)は清原守高の居城と伝え、数段の郭を残す。『日本城郭大系 13』 「因島水軍城」と呼ばれているのは、城郭風建築の村上水軍資料館である。
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11:00-12:00
因島資料館(尾道市)
因島資料館は上記水軍城の登り口にある。船道具、船玉、廻船業文書などの資料を保存・展示する歴史民俗資料館。
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12:00-12:00
茶臼山城址(尾道市)
茶臼山城は永正期(1504-21年)村上義高の時、河野氏に攻め落とされたが、後、その子高吉の時、再興したという。『日本城郭大系 13』 現在、光明寺往生院が建つ。
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12:00-12:00
青陰城は、因島の中央やや西よりの標高275mの青影山山頂に築かれていた。村上義弘築城とも伝わるが定かではない。
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13:00-13:00
多々羅展望台(今治市)
多々羅展望台から生口島と大三島を結ぶ国内最長の斜張橋、多々羅大橋と多々羅海峡を見下ろす!
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13:00-13:00
甘崎城は上浦町甘崎部落の岸近く、古城島にあった水軍城。天智天皇10年(671年)越智氏によって築かれた日本最古の水軍城。文禄・慶長の役においては水軍の基地となったし、家康も内海経営の拠点としている。『日本城郭大系 16』
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13:00-14:00
芸予諸島の大島にある「村上海賊ミュージアム」は2004年開館。村上水軍(村上海賊)の一族、能島村上氏の資料・書籍を保存、展示している。
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13:00-14:00
玄関前に展示されている、復元された小早船(武吉丸)。このような小舟を駆使して、芸予諸島を中心とする複雑な海流の海域の実質的制海権を握っていた。 母方の祖父が村上水軍の末裔であったということで想像をたくましくした。
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14:00-14:00
亀老山展望台は「建築を消そう」という試みで、隈研吾建築都市設計事務所が設計・施工した(1994年完成)。凸型の建築ではなく、凹型の孔のような形状の「見えない建築」に仕上がっている。
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14:00-14:00
雲と橋と海。大島の南端、標高301.1mの亀老山展望公園のブリッジからは、世界初の三連吊橋「来島海峡大橋」と「来島海峡」の潮流、「石鎚山」を眺めることができる。
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14:00-15:00
姫内城址(今治市)
姫内城は火内鼻と呼ばれる来島海峡に突き出した半島に築かれていたとされるが、詳細は不明。
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15:00-15:00
来島城は、しまなみ海道「来島海峡サービスエリア」沖の来島にあった海城。周囲約1kmの島全体を水軍要塞化した、村上水軍の根拠地。応永26年(1419年)村上義顕の三男吉房が築城。『日本城郭大系 16』
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15:00-15:00
近見山宝鐘院延命寺は、聖武天皇の勅願を受け養老4年(720年)行基開基になると伝わる真言宗豊山派の寺院。不動明王を本尊とする。 中門はもと今治城の城門の一つで天明期の建造とされる。
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15:00-16:00
今治城は慶長7年(1602年)築城の名手藤堂高虎が築いた平城。高虎が今張の地に城を構えたのは、この地が水陸交通の要衝であり、芸予諸島を中心とした瀬戸内海中央部の制海権を確保するためであった。『日本城郭大系 16』
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15:00-16:00
天守下に建つ、藤堂高虎像。加藤清正、黒田如水と並んで築城の名手とされた高虎が生涯で携わった城は20を超えるといわれる。代表的なものは、赤木城(熊野市)大須城(大須市)宇和島城(宇和島市)江戸城(東京都)伊賀上野城(伊賀市)津城(津市)そして今治城である。
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15:00-16:00
吹揚神社(今治市)
吹揚神社は今治藩廃藩の際、市内の「神明宮」「蔵敷八幡宮」「厳島神社」「夷宮」の四社を合祀し、明治5年(1872年)今治城内に造営された。
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16:00-16:00
作礼山千光院仙遊寺は天智天皇の勅願により、伊予の太守越智守興が堂宇を建立したと伝わる高野山真言宗の寺院。千手観音菩薩を本尊とする。
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16:00-17:00
タオル美術館ASAKURA は地元のタオルメーカー、一広株式会社が2000年に建設。5階建ての建物に、1万坪のヨーロピアンガーデンを併設する。綿花から糸になるまでの紡績工程、タオルの製織工程を実際の機械を使って展示している。
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16:00-17:00
入口に立つタオルアート。 実用的で適当なタオルをと思ったが、キャラクターやアートっぽいものが多かった。
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17:00-17:00
永納山城址(西条市)
永納山城の築城に関する詳細は不明。天智天皇2年(663年)の白村江の戦いの頃、九州北部、瀬戸内、近畿地方において築かれた古代山城のひとつではないかと推定されている。
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17:00-17:00
鷺ノ森城址(西条市)
鷺ノ森城は応永期(1394-1427年)伊予国守護職、河野通之が桑原河内守通興に命じて築かせた平城。後、天正13年(1586年)秀吉の命を受けた小早川隆景の軍に攻められ落城。『日本城郭大系 16』
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18:00-23:00
ホテルトレンド西条(西条市)
ホテルトレンド西条はだいぶ年季の入ったビジネスホテル。疲れたので早速フロにと思って驚いた。シャワーカーテン?がかなり短い!案の定、ユニットバスの床は水浸し!参った。
- 3日目2024年1月2日(火)
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08:00-08:00
栴檀山教王院香園寺は6世紀末、聖徳太子が建立したと伝わる真言宗系の単立寺院。大日如来を本尊とする。境内には山頭火の句碑「南無観世音おん手したたる水の一すぢ」(右)「秋の夜の護摩のほのほの燃えさかるなり」(左)が建つ。
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08:00-08:00
天養山観音院宝寿寺は、天平期 (729-748年) 聖武天皇の勅願により奉斎と伝わる真言宗善通寺派の寺院。十一面観世音菩薩を本尊とする。
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08:00-09:00
崇神天皇第35年 (紀元前63年) 石鎚の峯に神を勧請したのが起源と伝わる。従って、石鎚山を神体山とする神社であり、石鎚毘古命を主祭神とする。
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08:00-09:00
石鎚神社
祖霊殿奥から湧き出ている水が「神水」として崇められている。
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09:00-09:00
石鉄山金色院前神寺は奈良初期、役の行者、役小角開基と伝わる真言宗石鉄派総本山の寺院。阿弥陀如来を本尊とする。
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09:00-09:00
伊曽乃神社は成務天皇7年、武国凝別命(たけくにこりわけのみこ)が天照大神を祀ったことに始まると伝わる。天照大神荒魂、武国凝別命を祭神とする。
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09:00-09:00
境内の神輿庫には例大祭で用いられる大人神輿と子供神輿が収められている。
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10:00-10:00
禎祥寺は鎌倉期の創建と伝わるが、詳細は不詳。観音堂の藤は樹齢400年余りとされ、4月から5月にかけて見事な花を咲かせることで知られる。
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10:00-10:00
観音堂 瓦
観音堂屋根には見事な鬼瓦が青空に映えていた。
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10:00-10:00
西条藩陣屋は寛永期(1624-44年)一柳直盛の子直重が入封して築いた陣屋(平城)。郭、城塁、井戸、堀の他、大手門が西条高等学校の校門として残っている。『日本城郭大系 16』
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10:00-10:00
旧西条藩陣屋址に建つ西条郷土博物館は、江戸期の西条藩にまつわる資料、地元の田中大祐が収集した鉱物資源、生活道具類などを展示する。
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11:00-11:00
金子山城址(新居浜市)
金子山城は、南北朝期に新居郷の地頭頭金子一族の金子十郎宅世が築いた山城とされる。郭の址がが残る。『日本城郭大系 16』
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12:00-12:00
川之江(仏殿)城は、暦応元年(1338年)伊予国大領河野通政が築いた平山城。郭、石垣が残る。『日本城郭大系 16』 現在、本丸址に犬山城の天守を模した天守が建つ。
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13:00-13:00
天霧城は、貞治期(1362-68年)讃岐守護細川氏の被官、香川氏が築いた山城。郭、土塁、石塁、空堀が残る。『日本城郭大系 15』
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15:00-16:00
丸亀城は慶長2年(1597年)信長の従兄弟にあたる生駒親正が築いた平山城。天守、大手門、御殿表門、番所、長屋、土塀、石垣などが残り、「亀山公園」になっている。『日本城郭大系 15』
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15:00-16:00
丸亀城天守。純軍事的構造ながら、二重の南北両面に唐破風をつけ、三重は南北棟屋根入母屋造で、北面に格子付きの大窓、東西に千鳥破風を付けた、堂々たる構えである。『日本城郭大系 15』
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16:00-16:00
瀬戸大橋の完成を記念して1988年、橋の香川県側袂に整備された海浜公園。瀬戸大橋タワー、瀬戸大橋記念館、展示会場などの施設がある。
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16:00-16:00
与島 PA から瀬戸大橋を見上げる。 坂出市与島町、瀬戸中央自動車道のパーキングエリアで、瀬戸大橋の途中にある。
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17:00-17:00
下津井城址(倉敷市)
瀬戸内海の要所に位置した、下津井城は文禄期(1592-96年)宇喜多直家の子、秀家が既存の小城を改築したと考えられている。郭、石垣、天守台、礎石、堀切などが残る。『日本城郭大系 13』 城址に建つ下津井祇園神社の社碑は中川一政の筆。味わいがある。
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17:00-18:00
常山城は文明期(1469-87年)児島郡北西部の国人、上野土佐守が築いたと推定される山城。郭、石垣、井戸、堀切などが残る。『日本城郭大系 13』
- 4日目2024年1月3日(水)
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08:00-08:00
淡河城址(神戸市)
淡河城は貞応元年(1222年)淡河荘地頭職として補任された北条氏の一族、淡河氏の城であったとされる。天守台、堀、土塁が残る。『日本城郭大系 12』
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09:00-09:00
黒滝は兵庫県三木市の美嚢(みのう)川に架かる滝。高さ4メートル、幅30メートルあり、雄滝と雌滝の2段に流れる。 水量が少なかったのが残念!
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10:00-10:00
茶臼山城址(神戸市)
茶臼山城は天正元年(1573年)在地土豪、一連坊祐之が構えた居城。秀吉の三木城攻めの際、仙石権兵衛秀久に攻められ、落城。
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10:00-10:00
三田(城)陣屋は、もと紀州奥熊野九鬼を本拠とした豪族の裔、九鬼久隆が三田に封じられて築いた陣屋。石垣・内堀が残る。『日本城郭大系 12』
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10:00-10:00
下田中城址(三田市)
下田中城の築城については不詳。最初は北畑重政の居城であったが、永正期(1504-21年)には池田勝俊の居城となった。その後、再び北畑氏に復したが、荒木村重に滅ぼされた。『日本城郭大系 12』 城址には神明神社が建つ。
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13:00-13:00
岩間山正法寺(岩間寺)は、養老6年(722年)泰澄が開いたとされる真言宗醍醐派の寺院。千手観音菩薩を本尊とする。境内には樹齢千年余の桂の大樹がある。
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14:00-14:00
草津サービス・エリア(上り)
この「京ネギきざみうどん」が食べたくて、草津サービス・エリアに立ち寄る。たっぷりのネギと関西風の出汁が旨い!
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15:00-15:00
「守山宿」は近江国野洲郡にあった中山道67番目の宿場。江戸初期、寛永19年(1642年)「守山宿」の制札が与えられた。
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15:00-15:00
守山城址(守山市)
守山城は、天文期(1532-54年)六角氏によって築かれ、永禄10年(1567年)頃、稲葉右京貞通の時に滅んでいる。『日本城郭大系 11』 城址には曹洞宗大光寺が建つ。
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16:00-16:00
小槻大社は古代、栗太郡の豪族、小槻山君が於知別命を祀ったのが始まりとされる。於知別命、大己貴命を祭神とする。
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16:00-16:00
下戸山古墳(栗東市)
下戸山古墳は直径50m、高さ7.5mの円墳。古墳中期、4世紀末-5世紀初頭頃の築造と推定されている。葺石・埴輪などが検出された。
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17:00-17:00
建部大社は景行天皇46年、日本武尊の妃・布多遅比売命が日本武尊を「建部大神」として祀ったのが始まりとされる。日本武尊、大己貴命を祭神とする。
- 5日目2024年1月4日(木)
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09:00-09:00
甲賀流忍術屋敷(甲賀市)
この屋敷は、甲賀流忍者甲賀五十三家の筆頭格、望月出雲守の住居として元禄期に建てられたもの。「どんでん返し(回転戸)」「落とし穴」「隠し梯子と隠し部屋」などの仕掛けが施されている。
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09:00-09:00
六角堂は平面六角形の二重塔をもつ地蔵堂。天明8年(1788年)池田村の大工、中村喜惣治らにより建造された。
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09:00-10:00
大鳥神社は元慶6年(882年)創建。素戔嗚尊(すさのおのみこと)を主祭神とする。切妻造、檜皮葺、三間一戸の楼門は大正8年(1919年)再建。
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10:00-10:00
櫟野寺(甲賀市)
福生山自性院櫟野寺は延暦11年(792年)最澄開山と伝わる天台宗の寺院。十一面観音を本尊とする。
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10:00-10:00
櫟野寺(甲賀市)
昭和43年(1968年)の火災を免れた、東門の向拝。背面に「彫工、勢州桑名住、野々垣大兵衛、門人、兵助、清兵衛」の墨書。
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10:00-10:00
滝川城址(甲賀市)
櫟野寺近くの滝川城は、室町期に築かれたとされる平山城。信長の四天王、関東管領となる滝川一益が一時居城とした。土塁、空堀、城門址が残る。『日本城郭大系 11』
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10:00-11:00
油日神社の創祀年代は不詳。聖徳太子が社殿を建立し、油日大明神を祀ったという伝承がある。入母屋造、檜皮葺の楼門は永禄9年(1566年)建立。
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11:00-11:00
油日城址(甲賀市)
油日神社の西方、油日山麓端にあった油日城の城主は上野氏であったとされるが、それ以外は不明。土塁、堀が残る。『日本城郭大系 11』
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11:00-11:00
音羽野城址(甲賀市)
音羽野城は、文明期(1470-86年)頓宮四方介利盛が築いた丘城。元亀元年(1570年)信長に降るが、天正13年(1585年)秀吉に没収さる。曲輪、土塁、空堀が残る。
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11:00-12:00
加茂神社は岡田鴨神社から勧請したとされる。「ニニギ」「玉依姫命」「別雷神」を祭神とする。樹齢四百数年とされる椎の古木。
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14:00-15:00
鳴海城址(名古屋市)
鳴海城は応永元年(1394年)足利義満配下の安原宗範が築いた平山城。根古屋城とも呼ばれた。堀址が残るのみ。『日本城郭大系 9』
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15:00-15:00
善照寺砦址(名古屋市)
善照寺砦は永禄2年(1559年)信長が今川義元の尾張侵入に備えて築いた砦の一つ。現在は公園となっていて遺構はない。『日本城郭大系 9』
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15:00-16:00
大野(宮山)城築城の詳細は不明だが、初め尾張源氏の流れをくむという大野氏や一色氏が居住し、後に近江出身の佐治駿河守宗貞が三万石を領して城主となった。『日本城郭大系 9』 現在、天守を模した展望台が建っている。
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16:00-16:00
大慈山岩屋寺は霊亀元年(715年)行基により創建された尾張高野山宗の総本山。千手観音菩薩を本尊とし、別名岩屋観音とも呼ばれる。
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17:00-18:00
羽豆(はず)岬は、知多半島の最南端に位置し、三河湾と伊勢湾に挟まれている。沖の日間賀島と師崎(羽豆岬)を結ぶフェリーが出航するところ。所要時間は10分。
奈良・しまなみ・因島・今治・丸亀・三田・甲賀・知多方面
1日目の旅ルート
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- 1人
都内での治療・診察の後、目黒川や隅田川の混雑は避けて「常陸風土記の丘」へ。近くの城址を見ていわき...
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2024/4/1(月)
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もうサクラも咲いているだろうと、伊良湖方面のスポットを訪ねてみた。今春は気温の変化が激しいせいか...
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2024/3/16(土) 〜 2024/3/17(日)
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前回に続き、旧中仙道の宿場を塩尻宿から京都三条大橋まで辿りながら、周辺の城址や古刹、神社などを訪...
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2024/3/8(金) 〜 2024/3/9(土)
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都内で治療・診察をすませ、日本橋から旧中仙道の宿場を辿りながら、周辺の神社、古刹、城址などを訪ね...
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みんなのコメント(14件)
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