子猫が捨てられていた。
うっそうとした杉山を車で走っていたら 道端に何かの生き物、
通り過ぎてから子猫と気づき急いでバック、
居た。
道端に一つ すぐそばの藪の中に三つ。
泣き声もあげず 近づいた自分に寄り添うこともなく、
奥に何かを宿した弱々しい眼差しで、
じいっと自分を見つめる四つの生き物。
「俺だってどうにも仕様がないじゃないか 見つめないでくれよ、
君たちは捨てられて たまたま俺が見つけただけなのだから、、、。
だからといって そこから何かが始まることもないのだから、、、。
頼むから 通りすがりの俺をそんな目で見てはいけないよ。
俺から言えることは唯一つ、
生きるか 死ぬかなのだよ。
生きたければ 移動して活路を開けば良い、
そうでなければ そこに居て何かの餌食になるしかないのだよ」
昨日、商工会.市会議員との懇談会があり、上のようなイメージが頭の中をグルグル回り続け、
成熟型経済社会の中で猫を捨てたものは誰か、捨てられた猫とは何かを無言のうちに思い続けていた。
今は、良い時代ではない。
モノがあっても心の冷えた時代は、決して良い時代ではない.....