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堀江城というお城
更新 : 2011/10/20 5:44
花乃井の目の前にはパルパルというお洒落な遊園地がありますが、この遊園地があった場所にはむかし、「堀江城」という名前のお城があったそうです。
パルパルが建設されたのは昭和30年代で、その頃には誰も堀江城というお城に興味を持つ人はいなかったので、お城についてはほとんど調査されずに遊園地が建てられてしまい、今でも堀江城の詳細については謎のままだそうでございます。
観覧車のあるあのあたりが「本丸」だったのでしょうね。
戦国時代、堀江城の城主だったのは大澤氏という地方豪族でした。
大澤氏は駿河の大名・今川氏の忠実な家臣だったのですが、その当主・大澤基胤と基宿の親子はとても頑固な人物で、その頑迷さから徳川家康や武田信玄に何度も攻められたそうです。でも家康と信玄の猛攻にも、堅固な堀江城は落城せずに持ちこたえたそうですよ。徳川家康と武田信玄の軍勢の強さは戦国時代でも指折りでしたので、それに勝った(負けなかった)のはスゴイことです。
ただし、戦国時代に堀江城を落とした名将がひとりだけいまして、それは“戦国の三大梟雄のひとり”と言われた北条早雲だそうです。北条早雲といえば「伊豆から関東を征服した戦国大名」なのですが、どうしてそんな彼が浜名湖にあるお城を攻めたのかを話すと、長い話になります(ので省略します)。
(※堀江城は南北朝時代にも、その時代軍率において最強だった高師直・仁木義長らに陥落させられています。とてもドラマティックな歴史を持っている)
のちに大澤氏は、「最後まで頑強に抵抗したこと」を徳川家康に称えられ(?)、家康に赦されて秀忠から「高家」という役職に任じられています。高家というのは「歴史的に由緒ある家柄」が任じられたものですが、大澤家の家格は織田家や今川家や武田家よりも高く、吉良家と同等だったそうです。高家としての大澤氏は全国の諸大名に様々な儀礼格式を指導する立場となり、徳川家の多くの儀式をつかさどる家となりました。
どうして浜名湖のほとりのこんな小城の主がそんな「格式の家」になったのか、まったく不明なのですが。
遊園地パルパルのある小さな「堀江山」は、そんな土地なのでございました。
(利根川)
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