直江兼続/天地人特集
義と愛に生きた直江兼続
直江兼続は1560年、越後上田庄(南魚沼市)の坂戸城下で、坂戸城主・長尾政景の家臣、樋口惣右衛門兼豊の長男として生まれた。幼名は与六、元服して樋口兼続を名乗った。政景の妻の仙桃(洞)院に見込まれ、その子の景勝に仕えた。景勝が謙信の養子になると、ともに春日山城(上越市)に入る。謙信没後の御館の乱で景勝を勝利に導き、21歳の若さで家老に抜擢された。上杉家重臣・直江信綱の妻であったお船と結婚、直江家を継いで直江兼続と名乗った。主君景勝とともに謙信の教えを守り、義を重んずる治世を行い、秀吉によって景勝が会津に移封されたのに伴って、兼続も米沢城主となる。秀吉の死後、徳川家康に謀反の疑いをかけられた際に、上洛要求を拒んだ書状「直江状」が有名。景勝が米沢へ減封となった後も、米沢で治水事業など内政に力を注ぎ、上杉家の治世を支え続けた。
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イラスト/千原櫻子
直江兼続の年表
弘治元(1555)年 | 上杉景勝、坂戸城主・長尾政景の子として生まれる。 |
永禄3(1560)年 | 直江兼続、長尾政景の家臣・樋口惣右衛門兼豊の子として生まれる。 |
天正6(1578)年 | 上杉謙信死去。 |
天正7(1579)年 | 御館の乱で景勝が上杉景虎に勝利。 |
天正9(1581)年 | 兼続、お船と結婚し、直江家を継いで与板城主となる。上杉家の執政に就く。 |
慶長3(1598)年 | 景勝、豊臣秀吉から会津120万石への国替えを命じられる。兼続は米沢6万石を領す。 |
慶長5(1600)年 | 兼続、徳川家康から謀反の嫌疑をかけられ「直江状」を出す。 関ヶ原の戦い。 |
慶長6(1601)年 | 兼続死去。 |
元和9(1623)年 | 景勝死去。 |
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