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お江戸日本橋は俳句の三俳聖がいた聖地だった 一茶
更新 : 2010/2/20 12:50
日本橋に三俳聖 がいた! 時代こそ違え、日本橋に存在していました
お江戸日本橋は俳句の聖地メッカだった! 【与謝 蕪村 松尾芭蕉 小林一茶の三俳聖】
日本橋 三俳聖がいた聖地の散策コース
むろまち小路の芭蕉句碑・鮒佐→時の鐘通りの蕪村の句碑→十思公園内時の鐘→久松町の一茶
をめぐる一日をお楽しみください。
写真は 小林一茶 江戸滞在中はいまの久松町小学校の北側の松井家に寄宿していた。
幼くして江戸へ奉公に出て、25歳のとき二六庵小林竹阿に師事して俳諧を学ぶ(論拠不肖であるが、藤沢周平著『一茶』では小林竹阿には実際あったこともなく弟子というのは一茶の詐称かも)。
29歳の時、故郷に帰り、翌年より36歳の年まで俳諧の修行のため近畿・四国・九州を歴遊する。
39歳のとき再び帰省。病気の父を看病したが1ヶ月ほど後に死去、以後遺産相続の件で継母と12年間争う。一茶は再び江戸に戻り俳諧の宗匠を務めつつ遺産相続権を主張し続けた。
50歳で再度故郷に帰り、その2年後28歳の妻きくを娶り、3男1女をもうけるが何れも幼くして亡くなっていて、特に一番上の子供は生後数週間で亡くなった。きくも痛風がもとで37歳の生涯を閉じた。2番目の妻(田中雪)を迎えるも老齢の夫に嫌気がさしたのか半年で離婚。3番目の妻やをとの間に1女・やたをもうける(やたは一茶の死後に産まれ、父親の顔を見ることなく成長し、一茶の血脈を後世に伝えた。1873年に46歳で没)。
私が好きな句 「我と来て遊べや親のない雀」
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