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阿蘇山西巌殿寺
更新 : 2012/4/25 15:47
西巌殿寺は726年、草千里と中岳火口の間の地域の古坊中(ふるぼうちゅう)に本堂が建てられ、密教系山岳仏教徒の修行の場として九州でも有数の霊場であり全国から修験者や行者、山伏が集まり、香の煙が絶えることがなかったといわれています。
その後、戦国の戦乱により古坊中の西巌殿寺は焼失し、江戸時代初期に加藤清正により分散していた衆徒、行者、山伏が呼び戻されて現在の坊中の地に復興され、阿蘇山上の山上本堂をも修復されました。
西巌殿寺の本来の門は東登山道側の大きな門ではなく街中の路地の先にある仲小路門になり、阿蘇山へ登る道も仲小路通りから西巌殿寺の下の横道を通り登っていたといいます。
その門をくぐると杉山の中にこの階段があり、夏目漱石の「二百十日」にも登場します。
「何でも突き当りに寺の石段が見えるから、門を這入らずに左に廻れと教えたぜ」
「饂飩屋の爺さんがか」と碌さんはしきりに胸を撫で廻す。
「石段は見えるが、あれが寺かなあ、本堂も何もないぜ」
と描写されています。
この階段を登ると阿蘇の古来の歴史を語る西巌殿寺があるはずですが、2001年不審火により消失し跡形もなく礎石だけを残しています。火災の際には本堂の燃え落ちた巨大な柱が消火活動を防ぎ2日間に渡り燃え続けといいます。
礎石だけを残した西巌殿寺跡、再建には莫大な費用を要しそのままの姿で11年が過ぎています。
これも阿蘇の歴史、まずはここを訪れて阿蘇山頂ロープウェイ乗り場の横に現存する西巌殿寺奥の院を訪ねられたいかがでしょう。流行り物ではなく手を合わせるだけの価値はある本来の阿蘇がここにあります。
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