宿・ホテル予約TOP > うちの宿自慢特集 > うちの宿自慢特集/横山大観ゆかりの宿 熱海大観荘

大観荘の歴史とゆかりの人/うちの宿自慢特集

掲載期間:2012年4月2日~2013年3月31日

お宿直送の情報満載!日本全国!うちの宿自慢

うちの宿自慢TOPへ 静岡/うちの宿自慢へ

大観荘の歴史とゆかりの人

大観荘の歴史とゆかりの人

【大観荘の歴史】
昭和13年に中山鉄鋼所の創業者である中山悦治翁がこの地を
買収し、その後中山翁の別荘として建てられたのが始まりです。
旅館として営業を開始したのは昭和23年7月、当時は現在の
本館5部屋と離れ1部屋でのスタートでした。

【大観荘のゆかりの人】
■日本画の巨匠 横山大観
その当時大観画伯は熱海伊豆山に別荘を持ち、熱海をこよなく
愛されたそうです。
大観画伯と中山翁とは懇意の間柄にあり、度々大観荘を訪れ
宿泊されておられました。
大観画伯が大変お気に召され宿泊された「大観の間」は、今も
大観荘を代表する特別室として使われております。
中山翁は旅館開業にあたり、大観画伯の名前を頂戴する事を懇願し
大観画伯も「ここの眺めは雄大であり、大観の名にふさわしい」と
快く承諾して頂き「大観荘」の名がついたと言われております。

■数寄屋造りの第一人者 平田正哉
建築に関してはまさに鬼という表現がふさわしい存在でした。
平田氏ほど製図を書き続けた建築家はいないと言われ、大半の
時間を製図と趣味である彫刻に費やしたと言われています。
平田氏との出会いは、中山翁が兵庫県の芦屋に本宅を手掛けた時
施主に対し筋の通らぬ事は聞かずお世辞一つ言わない平田氏が
奇異に映ったようで、その態度は強く印象に残ったのでした。
平田氏の資質を見抜き、多くの仕事を任せたその中の一つが
大観荘なのです。
現在別荘当時より残っている部屋は、本館特別室「大観の間」と
「松風の間」です。

■日本の造園史家 龍居松之助
日本庭園協会・日本造園協会・日本造園士会設立などに参加し
我が国の造園学の草分けと呼ぶに相応しい活動を続け昭和33年に
紫綬褒章を受章されました。
大観荘の庭は、当初中山翁の手により作庭が進められていましたが
中山翁は龍居氏と知り合い、完成間近だった庭園を壊し龍居氏の
手に委ねました。
龍居氏は大島・初島の借景を十分考慮に入れ、完成していた池を
取り壊すなどの思い切った改造を施し、中山翁は一言の苦言を
呈する事なく見守り見事に完成したのでした。
龍居氏の造園家としての腕がいかに高く買われていたかが伺える
エピソードと言えるでしょう。

画像は特別室 大観の間の貴重な別荘当時の様子です。

関連する周辺観光情報

伊豆山神社

温泉床と海を一望の貸切露天風呂で熱海の温泉を堪能

和室 数寄屋造りの和室でのんびり詳細・予約 ¥24,000~/人 (2名利用時)
和室 南別館詳細・予約 ¥27,600~/人 (2名利用時)

更新 : 2012/10/13 16:05

このページのTOPへ