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宿番号:312673

自慢は津軽人の朝ご飯がコンセプトの朝食と市内一の眺めの朝食会場

JR奥羽本線弘前駅より徒歩12分・青森空港より車で50分

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  • 「パワースポットの街・弘前」

    更新 : 2011/5/30 17:07

     東北新幹線が平成22年12月4日に全線開業し、新青森まで延伸。平成23年の4月23日から7月22日まで、青森県単独では初の「青森ディスティネーションキャンペーン」が実施されますが、弘前城はその年に築城400年をむかえます。弘前城は藩祖、津軽為信が軍師、沼田面松斎(めんしょうさい)に土地の選定を依頼。面松斎は風水、陰陽道を駆使し土地を選定。二代目藩主、津軽信枚の時代に完成しました。沼田面松斎は兵学、易学、天文学に通じ、徳川家康の側近として有名な天海大僧正(上野の東叡山寛永寺、日光の東照宮は天海が建立)とは、ともに比叡山で修行した師弟関係であると伝えられています。天海は風水、陰陽道により江戸の街づくりを行ったとされ、面松斎は天海のアドバイスにより、弘前城、弘前の街づくりを行ったことは間違いありません。江戸の街づくりは京都を見本にしたと言われていますので、京都〜江戸〜弘前が一本の線で結ばれることになります。何故、京都が1,200年もの長きにわたり繁栄したのか、何故徳川幕府が400年にわたり政権を維持できたのか、弘前城が戦時の空襲にもあわず、さしたる震災にも見舞われずに建設された当時のものが残っているのか。鬼門に弘前八幡宮、裏鬼門に同一宗派による寺町、禅林街を配し、またその他にも結界を張り、風水、陰陽道による街づくりを行ったからに他ならないと信じています。
     弘前はこのての話が豊富で、二代目藩主の正室、満天姫(まてひめ)がその鍵を握っています。何故、津軽家の菩提寺が徳川家の菩提寺のひとつ、上野の寛永寺の近くにあるのか。何故、日光の東照宮の子院第一号が弘前に建立されたのか。その他、江戸時代初期の高名な仏師、円空の津軽に残る仏像、歴史好きの方は狂喜乱舞する高照神社の宝物の数々。東京に残る津軽藩の武家屋敷等、興味は尽きず、不定期ながら次回から徐々にその魅力の一端をご紹介します。

    弘前パークホテル 乾

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