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さとけんさんの旅行記

旧東海道を歩く。神奈川宿から平塚宿・全三部作中その1

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  • 芸術・文化
  • 史跡・歴史

横浜駅から平塚駅まで、旧東海道をトレーニングを兼ねて歩きました。権田坂など、なかなか興味深いポイントを歩きました。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2017年2月19日(日)

7時29分。まずは横浜駅を降り立って、旧東海道筋へオンコースします。正面の橋が「かみだいばし」旧東海道筋は右から左へ橋の上を通っています。写真右が日本橋方面、写真左が京都方面。

神奈川宿のかみだいばしへ階段を上ります。

時刻は7時30分。今日は神奈川宿をスタートです。

前回歩いてきたのが写真右から左に向けて。今日は神奈川宿・保土ヶ谷宿・戸塚宿・藤沢宿・平塚宿と歩きます。

神奈川宿、ここからは平地が続きます。

旧道は道なりです。神奈川宿にて。

日曜日朝の旧東海道筋・神奈川宿には、ほとんどひと気はありません。

ここはとにかく道なりで歩けばいいので楽です。神奈川宿にて。

7時40分。国道16号をクロスします。神奈川宿にて。

横断歩道を渡り国道16号をクロスします。神奈川宿にて。

神奈川宿から保土ヶ谷宿へ向けて歩いています。国道16号浅間下交差点付近。

旧東海道は、写真奥へ向かって歩きます。国道16号線・浅間下交差点付近。

7時44分、浅間町の浅間神社付近。

横浜市西区浅間町の浅間神社です。

しばらくはこのような道を歩きます。神奈川宿から保土ヶ谷宿へ向かう道。

7時48分、旧東海道筋に古い建物を見つけます。詳細はわかりません。浅間町三丁目付近。

神奈川宿から保土ヶ谷宿へ向かう旧東海道筋の景色。

7時52分、商店街がみえてきました。正面が旧東海道、右手に分岐するは八王子街道です。

右手は八王子街道。横浜市西区浅間町四丁目付近

ここが旧東海道と八王子街道の追分。横浜市西区浅間町四丁目付近

旧東海道を進みます。松原商店街が現れます。

神奈川宿と保土ヶ谷宿の間の松原商店街を歩く。

松原商店街は昭和の商店街の雰囲気を残しています。

時刻は8時ジャスト、横浜市保土ヶ谷区天王町付近。

橘樹神社の鳥居です。

現代の帷子川を渡ると相鉄線・天王町駅です。

現代の帷子川。江戸時代の帷子川と川筋が変わっています。現・帷子橋を渡ります。

正面が天王町駅。東海道筋は左折してすぐに右折です。

右折して相鉄線の高架をくぐります。天王町駅前にて。

旧帷子橋跡記念碑などがある公園が現れます。天王前公園です。

「かつての帷子橋の跡地は、現在の天王前公園の一部にあたります」旧帷子橋跡地の説明版。天王町駅前にて

帷子川の昔と現在の川筋の変化が判ります。旧帷子橋の位置も判別できます。

水色が現・帷子川の川筋。薄い紫色が旧・帷子川の川筋。上下に延びる赤い線が旧東海道筋。

旧東海道筋を進みましょう。天王前公園にて。

天王前公園にある「歴史の道」の案内板

天王前公園を離れて保土ヶ谷宿へ向かいます。

時刻は8時17分、かつてここに橋がありました。「反則センター」交差点にて。

反則センター交差点です。東海道本線の保土ヶ谷駅まで250mほどの距離です。

8時19分、左が保土ヶ谷駅のの駅前ロータリー。旧東海道筋は右側のビルの間を抜けます。

保土ヶ谷宿の旧東海道筋を進みます。

保土ヶ谷宿・高札場跡の案内柱

東海道線の踏切です。保土ヶ谷宿にて

保土ヶ谷宿にて、しばらく列車の通過待ちです。

保土ヶ谷宿はこの踏切を渡ってから右へ曲がります。

右手へ曲がるポイント、国道1号線「保土ヶ谷1丁目本陣跡」交差点。ここに程ヶ谷宿・本陣跡があります。

程ヶ谷宿本陣跡の説明版。国道1号線沿いです。昔の絵に注目してみましょう。

本陣の所で、旧東海道がまがっています。まさに現在の道筋と同じですね。

神奈川宿方面からきて、左が戸塚宿方面です。

程ヶ谷宿本陣跡前にて

程ヶ谷宿本陣跡地

程ヶ谷宿本陣跡地から写真奥へ、旧東海道筋戸塚宿方面

こちらは程ヶ谷宿脇本陣跡の説明柱。

この脇本陣の説明柱は保土ヶ谷消防署本陣消防出張所にあります。

そしてこちらは、程ヶ谷宿の旅籠、本金子屋跡。

程ヶ谷宿・本金子屋跡の説明柱。

程ヶ谷宿から戸塚宿へ向けて国道1号沿いを歩きます。

程ヶ谷宿の一里塚跡と上方見付跡(京都側の見付跡)が現れます。

程ヶ谷宿の一里塚、江戸日本橋から8番目の一里塚とのこと

程ヶ谷宿の松並木についての説明があります。保土ヶ谷宿の松並木はここから境木( 後ででてきます)まで約3kmも続いていて、それが昭和初期ごろまでは比較的良好な状態で残されていたとのこと、見てみたかったなー

手前に程ヶ谷宿の一里塚。程ヶ谷宿にて。

それでは戸塚宿へ向けて旧東海道筋を歩きましょう。国道1号線を戸塚へ向けて右側の歩道へ移動します。程ヶ谷宿にて。

時刻は8時45分、国道1号線「保土ヶ谷二丁目」交差点、ここを右手に旧東海道筋は分岐します。

ここの旧東海道筋は歩道がありません。路側帯も狭かったりしますし、自動車の交通量はおおいので、要注意ポイントであります。国道1号線・保土ヶ谷二丁目交差点付近にて。

この道筋の突き当り「元町ガード」交差点を左折します。旧東海道の名物ポイント・権太坂はもうすぐそこです。

時刻は8時53分、横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町三丁目付近、元町ガード交差点にて。横断歩道を渡って左手です。

旧東海道筋は左へ曲がって150mほどで右折し権太坂となります。

横浜市の旧東海道筋・権太坂付近。次を右へ入ります。

ここから権太坂へ入る。右手の塀に注目してください。

こちらは1957年(昭和32年)に刊行された「東海道五十三次 日本橋−天竜川」(角川写真文庫)の12ページに掲載されている昔の権太坂の入り口です。写真右手の塀に注目してください。

現在の権太坂の入り口、塀の様子から、三段に分かれていることが判ります。一番下の塀は、上の昔の写真に写っている塀と、果たして同じか否か。

旧東海道筋・権太坂の入り口です。昔の面影を僅かながらに遺しています。

権太坂の入り口の様子。上の昔の写真とだいたい同じアングルです。坂の曲がり具合は同じ感じです。

それでは権太坂を登っていきましょう。

けっこう長い坂になります。権太坂にて。

この一番下の石の塀は、昔の写真に写っている塀と同一である感じがします。あくまでも私の感想ですが。

権太坂、けっこうな坂です。今日は日曜日のため通学生はみかけませんが、以前歩いた際は平日の朝でしたので、坂の上の高校生が大勢、元気よく坂を上って通学していました。

時刻は8時59分、権太坂は横浜横須賀道路を越えます。

9時ちょうど、横横道路の上の権太坂。旧東海道筋。

権太坂陸橋とあります。旧東海道にて。

旧東海道の権太坂を登っていきます。

権太坂の説明版があります。

江戸から来た旅人が初めて体験するキツイ上り坂であったこと、坂の上から眺める神奈川の海が美しかったとのこと。旧東海道筋の権太坂にて。

まだまだ権太坂は続きます。

権太坂を上る途中、高校の校庭越しに富士山がみえてきました。

権太坂の説明版。昭和30年代まで、江戸時代の往時の姿をとどめていたという権太坂、みたいみたい、みたかったなー

昭和初期の権太坂の様子だそうです。権太坂途中の案内板より。

権太坂の名称の由来について、2説が紹介されています。権太坂途中にて。

右手の高校を過ぎると左手にに小学校が現れます。坂はまだまだ続く。権太坂の途中にて。

おっ、権太坂の上りがいよいよ終了のようです。

旧東海道筋の権太坂を上り切ったところにある駐車場からみる富士山。これは素晴らしい眺めだ。カメラマンの姿もありました。

時刻は9時9分、旧東海道筋、権太坂を上ってからみた富士山の景色。

旧東海道筋・権太坂をのぼりきった場所にて。良い景色ですね。旧東海道を挟んで反対側はどうみえますかな?

上の写真の反対側の景色はランドマークタワーが遠望できます。家屋や高い建物がない江戸時代には、神奈川の海が見えたとのこと。午前中の早い時間は、キラキラと東の陽射しを反射して、さぞかし綺麗な景色であったことでしょう。

時刻は9時12分、権太坂を上って平地になっています。境木の地蔵堂を過ぎて焼餅坂を下るまでは上下差のない平地を歩きます。

横浜市保土ヶ谷区権太坂二丁目付近の旧東海道筋にて。

正面に横浜市立境木中学校と境木小学校が並びます。この突き当りを右折します。横浜市保土ヶ谷区権太坂二丁目付近の旧東海道筋にて。

横浜市保土ヶ谷区権太坂二丁目付近の旧東海道筋にて、ここを右折して150mほど歩くと境木地蔵尊です。この続きはその2へ続きます。

旧東海道を歩く。神奈川宿から平塚宿・全三部作中その1

1日目の旅ルート

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