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さとけんさんの三重県の旅行記

旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。一日目は伊勢朝日駅から亀山宿まで。全三部作中その2

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旧東海道筋を桑名宿から京都三条大橋まで歩きました。今回の歩きで、日本橋から京都三条大橋まで片道分を歩き終わりました。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2017年3月17日(金)

9時54分、四日市市日永4丁目付近の旧東海道筋にて。

四日市市日永5丁目付近の旧東海道筋に日永一里塚跡の石碑がありました。

日永の一里塚は、江戸から100里です。四日市市日永5丁目付近の旧東海道筋にて。

そしてこちらは「東海道名残りの一本松」四日市市日永5丁目付近の旧東海道筋にて。

東海道名残りの一本松の説明板。旧東海道の道幅は昔から変わっていないとのこと。四日市市日永5丁目付近の旧東海道筋にて。このあと、すき家四日市泊店で朝食兼昼食をとって、再び旧東海道筋へ復帰です。

10時27分、東海道日永郷土資料館(四日市市泊町13)の前に差し掛かりました。

東海道日永郷土資料館は「水・土・日・祝」の9時〜4時開館です。入場無料です。本日は金曜日のため、開館していません。

東海道日永郷土資料館を過ぎると旧東海道筋はすぐに国道1号線と合流します。四日市市追分2丁目付近にて。

日永の追分

四日市市

「日永の追分」を   >

国道1号線に合流して100mほどで「追分」交差点に至ります。ここが、東海道と伊勢街道の分岐点である「日永の追分」です。神宮遙拝鳥居が見えてきました。初代の鳥居は、江戸時代の1774年、伊勢出身の商人・渡辺六兵衛が、伊勢神宮を遥拝するために建立しました。1809年からは神宮の式年遷宮に合わせ、20年ごとに建て替えられてきたそうです。しかし1929年を最後にその行事は途絶えていました。1975年に鳥居は建て替えられましたが、2016年10月23日〜10月30日に行事が復活し、「内宮の別宮・伊雑宮の古材」を譲り受けて今の鳥居が建てられています。

日永の追分

四日市市

「日永の追分」を   >

日永の追分、鳥居をくぐったところに手水場があります。周囲より一段低いですが、もともとの「日永の追分」の高さはこの手水場の高さであったのを、1975年に嵩上げして公園のように整備したとのこと。(三重県環境生活部文化振興課県史編さん班のウェブサイトより)多くの人が水を汲みに来るとのことでしたが、私が訪れた時もペットボトルに水を汲んでいた御婦人と挨拶を交わしました。

日永の追分の案内板。

日永の追分にある道標。「右京大坂道」・「左いせ参宮道」と彫られています。この道標は1849年建立です。現在の日永神社にある東海道最古の道標は1656年から1849年までここに建っていました。

日永の追分「すぐ江戸道」

日永の追分

四日市市

「日永の追分」を   >

日永の追分にて。左に「伊勢街道」右に「東海道」と分かれます。今も、日永の追分から伊勢神宮まで、75km弱を歩いて参拝される方も多いようですね。いずれ、私もここから歩いて伊勢神宮に参拝したいと思っています。

日永の追分を過ぎてすぐの旧東海道筋

日永の交差点から250mほどで「四日市あすなろう鉄道内部線」の踏切を越えます。

四日市あすなろう鉄道内部線の踏切を越えてすぐに左へ入ります。写真の左手は追分駅があります。

追分駅を過ぎて左手へ入った旧東海道筋の風景。四日市市追分3丁目付近

四日市市小古曽2丁目付近の旧東海道筋。

旧東海道に面して建つ小許曽神社(おごそじんじゃ)の石柱

四日市市小古曽2丁目付近の旧東海道筋。道なりに右へまがり100mほどで左へ道なりに曲がります。

四日市市小古曽2丁目付近の旧東海道筋を道なりに右へ曲がったところの風景

四日市市小古曽2丁目付近の旧東海道筋にて。道なりに左へ曲がります。

四日市市小古曽付近の旧東海道筋。この先、鎌谷川を国道1号線の橋で渡りますので、次に出てくる「小曽根三丁目」交差点を国道1号線へ向かって左へ入ります。

ここが小曽根三丁目交差点。左へ入ります。

時刻は10時55分、国道1号線の歩道橋からの景色。目の前を鎌谷川が流れています。四日市小曽根交差点にて。

鎌谷川を国道1号線の橋で渡っているところ。渡りきってから左手へ入ります。

国道1号線沿いで鎌谷川を渡り切って旧東海道筋は左へ入ります。四日市市釆女町付近にて。

鎌谷川を渡り左手へ入った四日市市釆女町付近の旧東海道筋の風景。

四日市市釆女町付近の旧東海道筋の風景。この先道なりに右へ曲がります。

四日市市釆女町付近の旧東海道筋を道なりに右へ曲がります。

四日市市釆女町付近の旧東海道筋を道なりに右へ曲がった風景。この先150mほど歩いて旧東海道は左折し、杖衝坂へ向かいます。

時刻は11時6分、四日市市釆女町付近の旧東海道筋。ここを左折して杖衝坂へ入っていきます。

杖衝坂手前の旧東海道筋。写真奥の道が上りになっていくのが判ります。

いよいよ上り坂のスタートです。四日市市釆女町付近の旧東海道筋、杖衝坂にて。

杖衝坂の途中に「うつべ町かど博物館」(四日市市釆女町3473)がありました。

「うつべ町かど博物館」(四日市市釆女町3473)

うつべ町かど博物館」(四日市市釆女町3473)は水・土・日・祝の9時から12時まで、開館しています。入場無料です。本日は金曜日のため閉館しています。

時刻は11時9分、旧東海道・四日市市采女の杖衝坂を上っています。

旧東海道・四日市市采女の杖衝坂を上っています。舗装されていますが、かなりの勾配です。

旧東海道・四日市市采女の杖衝坂にて。石碑が建っていました。

杖衝坂の途中ですが、石碑を見学していきましょう。

1688年に、松尾芭蕉がこの坂にて落馬しているとのこと。そして「徒歩(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな」という句を詠んだそうです。杖衝坂にて。

芭蕉句碑。「徒歩(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな」 杖衝坂にて。

それでは杖衝坂を更に上りましょう。四日市市采女付近の旧東海道筋にて。

杖衝坂の終点が見えてきました。四日市市采女付近の旧東海道筋にて。

杖衝坂の頂上から上ってきた道を振り返る。四日市市采女付近の旧東海道筋にて。

それでは街道を歩いていきましょう。四日市市采女付近の旧東海道筋にて。

時刻は11時14分、坂を上ったところにある「血塚社」。倭建命(ヤマトタケルノミコト)の足の出血を封じたと言われる血塚の祠があります。四日市市釆女町付近の旧東海道筋にて。

右手を走るのは国道1号線。旧東海道筋は合流します。四日市市釆女町付近。

しばらく国道1号線沿いを歩いて行きます。四日市市釆女町付近の旧東海道筋にして。

時刻は11時43分。どうやら道を間違えたらしい。国道1号線に合流した後、1.2kmほど歩いて、旧東海道筋は左手へ分岐するのですが、ぼんやり歩いていて見落としたようです。国道1号をずっときてしまいました。鈴鹿市木田町付近の国道1号線の景色。

時刻は11時45分。国道1号線を歩いている私のルートに、左手から旧東海道筋が合流してきました。この場所から石薬師宿までのルート取りを判り易く説明してくれている案内板がありました。国道1号線の「木田町大谷」交差点付近の旧東海道筋にて。

案内板にあるように、まず地下道を通って、国道1号線の右側の歩道にでます。国道1号線の木田町大谷交差点にて。

時刻は11時50分、旧東海道筋は国道1号線と分岐して石薬師宿へ入って行きます。写真の左手の道が国道1号線、右手の道が旧東海道筋です。

石薬師宿へ入って行きます。午前中に通った四日市宿は現代も繁華な街で、賑やかな分、落ち着いて宿場町を楽しむことは出来なかったのですが、こちら、石薬師宿は、いかにも旧東海道の宿場町の現在といった穏やかな空気に包まれております。

旧東海道石薬師

鈴鹿市

「旧東海道石薬師」を   >

石薬師宿は歌人・佐佐木信綱の出身地です。鈴鹿市石薬師町にて。

石薬師宿の江戸側の入り口には地蔵堂があります。鈴鹿市石薬師町にて。

地蔵堂の前を通って坂道を上っていきます。鈴鹿市石薬師町の石薬師宿にて。

予想通り、石薬師宿には穏やかな空気が流れております。歩いていて、とても気分が良いです。

時刻は12時ちょうど。石薬師宿の小沢本陣跡でございます。元禄の宿帳には「浅野内匠頭」の名も見えるとのこと。この場所にあった本陣に泊まったのですね。

こちらが石薬師宿の小沢本陣跡に建つ建物です。

石薬師宿の小沢本陣跡に建つ建物も見事な連子格子ですね。

一枚前の写真・連子格子の建物のとなりに建つ建物。こちらにも小沢本陣跡の説明板がありますね。旧東海道筋・石薬師宿にて

石薬師宿・小沢本陣跡の説明板、先ほどの説明板と内容は同じ、先ほどの説明板は「鈴鹿市」の説明板、こちらは「石薬師地区明るいまちづくり推進協議会」の案内板ですね。

東海道・石薬師宿、小沢本陣跡の隣には鈴鹿市立石薬師小学校があり、小学校の隣にはこの写真、「石薬師文庫」があります。現在は地域の図書館となっているとのこと。

佐佐木信綱記念館

鈴鹿市

「佐佐木信綱記念館」を   >

そして石薬師文庫の隣には佐佐木信綱の生家と佐佐木信綱資料館があります。こちらを訪ねてみましょう。

佐佐木信綱生家

鈴鹿市

「佐佐木信綱生家」を   >

佐佐木信綱の生家です。佐佐木信綱は明治5年にこの家で生まれ、数え年6歳まで石薬師宿で過ごしました。

石薬師宿・佐佐木信綱の生家の中には、佐佐木信綱が作詞をした「夏が来ぬ」の歌が流れています。

建物の中に入ることは出来ません。石薬師宿の筒木信綱の生家にて。

佐佐木信綱の作詞「夏は来ぬ」の歌詞。歌詞も良いし小山作之助作曲のメロディーも良い。明治29年(1896年)発表というこの歌、私も大好きな歌です。

こちらは生家の庭にある佐佐木信綱の「産湯の井戸」。石薬師宿にて。

佐佐木信綱は6歳までこの家で過ごしたのですが、5歳にして万葉集や山家集の歌を暗唱するように父親に指導されていたとのこと。数え5歳ということは満4歳という可能性もあるわけです。4歳で万葉集を暗唱!

佐佐木信綱は明治5年(1872年)にこの家で生まれたのですから、この家屋も歴史がありますね。石薬師宿にて。

環境・天才・努力がすべてそろっていたと、そういうことでございましょうか。石薬師宿の佐佐木信綱生家にて。

生家を見学した後は佐佐木信綱資料館の見学です。館内は撮影禁止でございますので、画像はありません。資料館の見学を終えたあと、資料館の外に掲載されている石薬師宿の案内板です。石薬師宿の佐佐木信綱資料館にて。

時刻は12時26分。佐佐木信綱資料館をでて石薬師寺へ向かいます。資料館隣接の小学校で卒業式が執り行われていて、ちょうど私が滞在している時間帯にフィナーレを迎えていました。私が居合わせましたのも何かの縁ですね。石薬師小学校の卒業生の前途に幸あれでございます。

石薬師宿の佐佐木信綱資料館から500mほど歩くと、国道1号線を渡る瑠璃光橋に至ります。この橋を渡ると石薬師寺です。

時刻は12時30分、石薬師寺の塀に掲載されている案内板です。

石薬師寺

鈴鹿市

「石薬師寺」を   >

石薬師寺へやって参りました。

石薬師寺

鈴鹿市

「石薬師寺」を   >

石薬師寺の参道を進みます。

石薬師寺参道の両側には可愛らしいお顔をされてお地蔵さまが並びます。

こちらにもお地蔵様。旧東海道筋の石薬師寺にて。

石薬師寺の由来です。門前の石薬師寺の案内板や佐佐木信綱資料館前の石薬師宿の案内板と併せて読んで、石薬師寺が先なのか石薬師宿(石薬師村)が先なのか、今一つ私には判りませんでした。どっちなんでしょうか。

石薬師寺

鈴鹿市

「石薬師寺」を   >

石薬師寺の本堂です。1629年建立。

石薬師寺

鈴鹿市

「石薬師寺」を   >

石薬師寺の本堂前から参道を見る。江戸時代、石薬師宿を通った旅人はこのお寺へお参りしたのではないかと思います。その風景は決してセピア色ではなく、空の青も雲の輝く白も、そして陽の光を反射する建物や水も、この景色とそうは変わらなかったのではないかと想像しました。建物などのレイアウトは変わったかもしれないし、参道は土だったかもしれない。そして、訪ねてくる人の髪の毛や服装は今とは違っていたことでしょう。

時刻は12時39分、石薬師寺を辞して旧東海道の先へ歩を進めます。この後は「旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。一日目は伊勢朝日駅から亀山宿まで。全三部作中その3」へ続きます。

2日目2017年3月18日(土)
3日目2017年3月19日(日)
4日目2017年3月20日(月)

旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。一日目は伊勢朝日駅から亀山宿まで。全三部作中その2

1日目の旅ルート

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