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さとけんさんの滋賀県の旅行記

旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。三日目は水口宿から大津宿手前の石山駅まで。全二部作中その1

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旧東海道筋を桑名宿から京都三条大橋まで歩きました。今回の歩きで、日本橋から京都三条大橋まで片道分を歩き終わりました。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2017年3月17日(金)
2日目2017年3月18日(土)
3日目2017年3月19日(日)

ホテルを5時15分ごろチェックアウトして、水口宿西見附跡に5時27分に到着、そこからスタートしました。写真の時刻は5時38分、ようやく空が白みだしてきました。甲賀市水口町北脇付近の旧東海道筋にて。

時刻は5時42分、水口宿西見附を出発した後は、直接が3kmほど続きます。早朝の道、はるか遠くの信号が良く見えます。甲賀市水口町北脇付近の旧東海道筋にて。

時刻は5時58分、もう随分と明るくなってきました。甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて。

甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて、ここを過ぎると街道は野洲川に近づきます。

時刻は6時3分、このポイントで旧街道筋は左手へ分岐します。左手へ入って100m弱ほどで泉一里塚跡があります。甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて。

泉一里塚跡を過ぎてすぐの景色。そろそろ野洲川沿いへ出ます。甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて。

時刻は6時6分、旧東海道筋は野洲川にぶち当たります。甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて。

野洲川・横田の渡し跡です。東海道十三渡の一つとのこと。甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて。

横田の渡し跡から更に川っぷちへ近づいてみますと、横田橋の歴史についての案内板がありました。ここ甲賀市水口町泉と対岸の三雲が明治24年に橋で結ばれたとのこと。昭和4年に橋の位置が変わり、さらに昭和27年の国道1号線の敷設によって現在の橋になったとのこと。甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて。

この場所から対岸の三雲へ、明治24年(1891年)から昭和4年(1929年)まで横田橋が架けられていたわけですね。甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて。

そしてこちらは「横田渡常夜燈」についての案内板です。1822年に建てられました。ここが横田渡の泉側の岸ですよという、目印だったわけですね。甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて。

明治24年から昭和4年まで架かっていた横田橋と横田渡常夜燈の古写真です。甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて。

こちらが現在の横田渡常夜燈。おおきいです。甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて。

それでは東海道歩きを進めましょう。時刻は6時10分。甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋にて。左手は野洲川、正面に国道1号線です。国道に合流します。

甲賀市水口町泉付近の旧東海道筋は国道1号線に合流して500mほどで横田橋に至り野洲川を渡ります。

横田橋東詰にかかる歩道橋が見えてきました。横田橋の歩道部分に行くために、あの歩道橋を渡ります。滋賀県湖南市朝国付近の旧東海道筋にて。

歩道橋からみた横田橋。正面渡って三雲です。歩行者は向かって右側の歩行者専用の橋を渡ります。滋賀県湖南市朝国付近の旧東海道筋にて。

時刻は6時20分。野洲川を横田橋で渡ります。滋賀県湖南市朝国付近の旧東海道筋にて。

横田橋を渡り終えると階段でおりて、左折して、道路の高架をくぐり三雲駅前に行きます。滋賀県湖南市三雲付近の旧東海道筋にて。

高架をくぐって道なりに50mほど歩くと三雲駅前に至ります。滋賀県湖南市三雲付近の旧東海道筋にて。

正面にJR草津線の三雲駅が出てきました。三雲駅前を写真で左から右へ通る道が旧東海道筋です。

時刻は6時24分。JR草津線・三雲駅。旧東海道筋は写真左手にある三雲側の「横田の渡し」へ辿ってからここへ戻ってくるのが正当な筋ですが、今日はここを右折してそのまま石部宿へ向かって歩きます。なお、土山宿で見かけた石碑(森鴎外の日記の文章の碑文)によれば、森鴎外は明治33年3月2日に、ここ三雲駅から土山宿まで(だいたい18kmの行程)を人力車で2時間ほどで移動していたそうです。

三雲駅前を右折(西へ)して続く旧東海道の景色。

しばらくは、いかにも旧東海道という道を歩いて行きます。湖南市三雲付近の旧東海道筋にて。

湖南市三雲付近の旧東海道筋にて。道が曲がりくねっていていかにも旧道という感じ。

時刻は6時31分、少し油断をしてしまいました。この川を渡り道なりに進めばよかったのですが、いろいろと工事がされていたのと石碑が少し離れていたからでしょうか、この先ルートを間違えてしまいます。湖南市三雲付近の旧東海道筋にて。

この橋を渡り右手へ道なりで歩いてから次に出てくる踏切を渡る旧東海道筋なのですが、この写真の左手にある踏切を渡ってしまいました。湖南市三雲付近の旧東海道筋にて。

草津線の踏切の手前には石碑が建っています。湖南市三雲付近にて。

草津線の電車が通っています。湖南市三雲付近にて。

この先、歩きながら何かおかしいおかしいと思い、携帯電話で地図情報を確認すると旧東海道筋から離れつつあることを発見。旧東海道へ復帰する道筋を考えてから再び歩き出します。湖南市三雲付近にて。

時刻は6時42分、ようやくここで旧東海道筋へ復帰しました。本来であれば写真の「踏切を渡ってすぐ右手の道」からやってきて、踏切を向うからこっちへ渡って、写真左手へ抜けていくのが旧東海道筋です。今回は写真の背後からやってきて街道筋へ復帰しました。湖南市三雲付近の旧東海道筋にて。

旧東海道筋へ復帰したかなどうかなと思っている時に道標らしきものを発見。湖南市吉永付近の旧東海道筋にて。

おお、これはありがたい。これでこの道が正しい旧東海道筋であると確認できました。湖南市吉永付近の旧東海道筋にて。ホッとしました。が、結果的にこの先は草津宿手前まで、随分と自動車の危険を感じることが多かったルート部分になりますので、歩く際は十分にお気を付けください。

時刻は6時46分。目の前にトンネルが見えてきました。大沙川隧道 (地元の通称:吉永のマンポ)です。この横断歩道を渡っている時に危険な目に遭いました。横断歩道も決して安全ではありませんね。湖南市吉永付近の旧東海道筋にて。

こちらが大沙川隧道です。写真の左右の方向で大沙川(野洲川の支流)が流れています。いわゆる天井川です。とはいっても普段はあまり水が流れていないそうです。大沙川隧道は明治17年(1884年)に造られた歴史的な建造物です。湖南市吉永付近の旧東海道筋にて。このトンネル部分も暗い・細い・カーブの途中出見通し悪いという危険部分ですので、できるだけ素早く通り抜けます。

大沙川隧道をくぐってすぐ左に、隧道の上に出られるルートがありますので、上へ行ってみましょう。湖南市吉永付近の旧東海道筋にて。

大沙川隧道の上、天井川が流れる部分。この日、水は流れていませんでした。湖南市吉永付近の旧東海道筋にて。

大沙川隧道を過ぎてすぐの旧東海道筋の景色。道は細く曲がりくねっています。この地点では、対面から、このカープに沿わないでまっすぐに走って来る自動車があり、路側帯なども踏み越えて壁際を走り抜ける運転でしたので、ビックリするとともに、こちらの路側帯を歩いていて本当に良かったと、逆の路側帯を歩いていたらかなり危険な目に遭っていたと思いました。湖南市吉永付近の旧東海道筋にて。

時刻は6時56分、夏見の里の案内板です。この辺りには茶店があって、トコロテンや茶碗酒の計り売りをしていたそうです。情景が目前に広がるようで、こういう案内板も良いものですね。湖南市夏見付近の旧東海道筋にて。

時刻は7時4分、夏見一里塚の案内板を発見しました。写真中央やや左下です。湖南市夏見付近の旧東海道筋にて。

夏見一里塚の案内板です。湖南市夏見付近の旧東海道筋にて。

夏見一里塚跡の案内板を過ぎて350mほど歩くと由良谷川隧道です。こちらは明治19年(1886年)築造です。江戸時代は天井川に行き当たると、土手を登って川の小橋か浅瀬を渡りましたが、明治になって天井川の下を通るトンネルを造ったとのこと。

時刻は7時28分です。湖南市柑子袋付近の旧東海道筋にて。この写真の地点より手前、湖南市柑子袋付近の旧東海道筋は見通しが良い直線の道路なのですが自動車の速度が出やすい危険な道でもあります。路側帯を歩く私に、対面からきたかなりのスピードの車がスーッと寄って来ることがあって、危ないと思いました。西から東へ、つまり朝日に向かって走っているという時間帯の危険もあるのでしょうか、歩く際は運転手の立場になって、どう歩いたら自動車にとっても歩行者にとっても危なくないかを考えながら歩いてはいるのですが、長距離を歩くと、どうしても危険な目に遭う確率は高くなりますので、歩く際は十分お気を付けください。

湖南市石部東7丁目付近の旧東海道筋。そろそろ石部宿へ入って行きます。石部宿といえば、江戸時代の旅人は京都を旅立って東海道を旅する場合、一日目はこの石部宿泊まりが多かったそうですね。江戸を旅立つ場合は、一日目の泊まりは戸塚宿であったと思います。健脚ですねー。

時刻は7時40分。石部中央交差点付近の旧東海道筋にて。

時刻は7時45分、湖南市石部西1丁目付近の旧東海道筋は田楽茶屋のある角を右へ曲がり200mほど歩いて左へ曲がります。鉤の手道(かぎのてみち)と言うそうです。

湖南市石部西1丁目付近の旧東海道筋にて。鉤の手道の案内板です。

鉤の手道はここで左へ曲がります。湖南市石部西1丁目付近の旧東海道筋にて。

湖南市石部西1丁目付近の旧東海道筋にて。鉤の手道を左へ曲がると、近江富士として知られる野洲の三上山が遠望できます。

時刻は7時53分、石部宿の西縄手の案内板です。石部宿を過ぎて旧東海道筋を進みましょう。湖南市石部西2丁目付近の旧東海道筋にて

時刻は7時55分、旧東海道筋はますます細く危ない道になります。結果として思うのですが、ここのポイント近く、もしくは石部駅の少し手前辺りからは、北を走る国道1号線(もしくは県道4号線)沿いの歩道を歩いたほうが危険ではないと思います。湖南市石部西2丁目付近の旧東海道筋にて

湖南市石部西2丁目付近の旧東海道筋にて。歩道がありません。前方の高架は国道1号線の高架です。

国道1号線の高架をくぐったところ。湖南市石部緑台2丁目付近の旧東海道筋にて。

湖南市石部北3丁目付近の旧東海道です。歩道も車線もありませんが双方向通行の道路です。

湖南市石部北3丁目付近の旧東海道筋にて。運転手に自分が見えているかどうか不安になる道です。ほとんどの車は減速して車間をとって通過してくれます。

湖南市石部緑台2丁目付近の旧東海道筋にて。名神高速道路をくぐります。

時刻は8時10分、名神高速道路をくぐってすぐの栗東市伊勢落付近の旧東海道筋。自動車の交通量はありますのでお気を付けください。この先、写真奥の家屋辺りで路側帯がでてきますが、やはり石部宿あたりから国道1号線の「伊勢落」交差点付近までは大きな道路の歩道を歩いたほうが安全だと思います。

時刻は8時25分、栗東市六地蔵付近の旧東海道筋は左へ道なりに曲がります。

時刻は8時27分、何か立派な建物が見えてきました。栗東市六地蔵付近の旧東海道筋にて。

旧和中散本舗(大角家住宅)

栗東市

「旧和中散本舗(大角家住宅)」を   >

旧和中散本舗(大角家住宅)です。江戸時代、和中散という薬を売っていたお店です。国の重要文化財に指定されています。栗東市六地蔵付近の旧東海道筋にて。

大角家住宅の庭園は国の名勝に指定されているようです。栗東市六地蔵付近の旧東海道筋にて。

旧和中散本舗(大角家住宅)の見学は電話で予約すると出来るようです。栗東市六地蔵付近の旧東海道筋にて。

旧和中散本舗(大角家住宅)を過ぎると旧東海道筋は県道116号にかすめるような感じで近づきますが、道なりに右手へすすみます。栗東市六地蔵付近の旧東海道筋にて。

栗東市六地蔵付近の旧東海道筋にて。六地蔵一里塚跡が現れました。栗東市六地蔵付近の旧東海道筋にて。

時刻は8時41分、栗東市小野付近の旧東海道筋にて。「肩かえの松」とあります。

旅人がこの松の下で休憩し、肩に担いでいる荷物を掛け替えたとあります。私も荷物を掛け替えます。栗東市小野付近の旧東海道筋にて。

栗東市手原1丁目付近の旧東海道筋にて。名神高速道路と国道1号線を結ぶバイパスの高架をくぐります。

栗東市手原3丁目付近の手原稲荷神社・旧東海道筋にある石碑です。この道筋が旧東海道筋だと確認できます。

時刻は8時54分、栗東市上鈎付近の旧東海道筋にて。

時刻は8時58分、栗東市上鈎付近の旧東海道筋にて。曲がりくねった街道筋が少し上りになって橋を渡ります。

時刻は9時5分、栗東市川辺付近の旧東海道筋にて。ここで街道筋は道なりに右へ行きます。ちなみにここを左へ600mほど行くと、名神高速道路と県道117号線の交差高架がありますが、その場所は1984年のハウス食品脅迫事件の現場となったかなり有名な場所で、覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

栗東市川辺付近の旧東海道筋、道なりに右へ行くポイントには道標が建っています。このルートで間違いございませんね。

時刻は9時16分、栗東市岡付近の旧東海道筋です。曲がりくねった道で、ここでも危ない思いをしました。道が曲がりくねっている場所は、路側帯の全部分を踏み越えて壁際すれすれに通過する自動車も、滅多にはありませんが、全く無いわけではないので、歩行者として本当に気をつけるしかないと思います。

時刻は9時26分、旧東海道筋は国道1号線とクロスします。国道1号線「大路三丁目」交差点です。朝から4時間、歩きづめできましたので、この国道1号線沿いの食堂で朝食兼昼食を摂り休憩とします。今回の4日間の行程のうち、この3日目の朝方4時間・22kmの区間(水口宿から草津宿)は自動車に怖い思いをした区間です。皆様もお気を付けください。

時刻は9時51分、休憩を終えて旧東海道筋へ復帰、国道1号線の「大路三丁目」交差点を越えると東海道筋の県道116号線は県道143号線と名称を変えます。大路三丁目から県道143号線を100mほどすすみ、左手へ曲がります。この写真のポイントです。草津市大路2丁目付近の旧東海道筋にて。

ひとつ前の写真のポイントを左へ入った景色。登り坂になっていますが、草津宿の天井川を越えます。現在、水は流れていません。草津市大路2丁目付近の旧東海道筋にて。

旧東海道

草津市

「旧東海道」を   >

草津宿の天井川を越えてすぐに右手へ入った道をすすみ、草津宿の江戸口見附道標を通り過ぎた後の光景。ここから600mほど歩くと突き当り、左へ曲がって草津宿の本陣などを見学しましょう。この後は「旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。三日目は水口宿から大津宿手前の石山駅まで。全二部作中その2」へ続きます。

4日目2017年3月20日(月)

旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。三日目は水口宿から大津宿手前の石山駅まで。全二部作中その1

1日目の旅ルート

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