さとけんさんの滋賀県の旅行記

旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。三日目は水口宿から大津宿手前の石山駅まで。全二部作中その2
- 1日目2017年3月17日(金)
- 2日目2017年3月18日(土)
- 3日目2017年3月19日(日)
-
時刻は9時52分。ここから600mほど歩くと突き当り、左に旧東海道は曲がります。草津市草津1丁目付近の旧東海道筋にて。
-
時刻は9時58分。草津宿の追分道標が現れました。道標の後の壁は天井川の壁、道標を写真右手へ行くと東海道、左手(直進)へ行くと中山道という追分です。
-
草津宿追分道標の案内板です。「右 東海道いせみち 左 中仙道美のぢ」と彫られていいます。
-
この草津宿追分道標は1816年(文化13年)に建てられました。江戸時代の大幹道である東海道と中山道との追分に建つ道標ですから、さぞかし多くの旅人を見送ってきた道標でしょうね。なお、草津宿をこの先京都方面へ進むと立木神社が現れますが、その境内に保存されている道標は、1680年から1816年まで、この草津追分の地に建っていた古い道標です。
-
こちらは草津川隧道の案内板です。江戸時代に中山道を進む場合は、天井川である草津川の堤防を登り川越をしていたのですが、明治19年3月20日に完成したこのトンネルにより不便は解消されました。私が訪れたのは2017年3月19日ですので、隧道が出来て131年目ということになります。草津宿にて。
-
草津宿に掲げられた東海道と草津宿の案内板です。
-
さて、草津宿を歩き始めると、すぐに本陣跡が現れました。
-
草津宿の本陣は見学することができます。入館料は240円、「草津宿街道交流館」との共通券は350円。月曜日は基本的にお休みです。共通券を買って見学します。時刻は10時3分です。
-
草津宿の門をくぐったところ。右手の受付で入館料を払います。館内の撮影は、資料の一点撮りは禁止されています。全体的な風景としての撮影はOKとのことでした。
-
時刻は10時19分。草津宿本陣にて。撮影OKな全体的な風景というのはこんな感じでしょうか。本陣内はとても広い。しかし、ここに大名行列が収容されるにはちょっと狭いかな、お殿様は上段の間に一人でしょうから、あとの8畳の間などに(廊下も部屋になったと説明がありますが)、身分のそれほど低くないお侍がぎゅうぎゅう詰めになっていたのだろうかしらん。いやいや、脇本陣や旅籠に分散したとはいいますから、本当のところはどうだったのかな、などと考えながら館内を周りました。私は今朝、水口宿を発って草津宿まで比較的速足で歩いてきましたので、身体も温まって汗ばんでいたのですが、3月も下旬に入ろうかというのに気温が低い当日の本陣内はとても冷えていて、見学しているうちに冷え冷えとしてきました。館内にぎゅうぎゅうづめにされたお侍は、暖房役も果たしていたのかもしれぬと、そんなことを考えながら30分ほど見学しました。
-
草津宿本陣の外観です。草津宿本陣から250mほど草津宿の東海道筋を歩くと草津宿街道交流館へ至ります。
-
10時39分。草津宿街道交流館へ到着であります。
-
連子格子が良い雰囲気をだしています。草津宿街道交流館も見学していきます。館内は撮影禁止のようです。江戸時代の旅装を体験できるコーナーでは撮影できます。「たびのもちもの」というコーナーでは、旅の手荷物を少なくする工夫を昔の旅人もしていたということや、その道具の展示などが面白かった。小銭入れを「早道」と呼んだそうですね。旅籠の(上等な)朝食や夕食の模型の展示とそのレシピの配布などもあります。一番面白かったのは浮世絵の体験コーナーで、重ね刷りをしていくと一枚の画になるというもの。初めてでしたので面白かったですね。ついつい時間を過ごしました。
-
時刻は11時21分、草津宿街道交流館から300mほど歩いて立木神社へやってきました。こちらには古い道標が保存されています。
-
立木神社に保存されているのは、草津宿の追分道標に1680年から1816年まで建っていたと推定されている道標です。
-
こちらが立木神社境内に保存されている道標です。
-
立木神社の境内に保存されている道標には「みぎハ たうかいとう いせミち」と彫られているそうです。
-
立木神社へお参りしてから、旧東海道歩きを続けます。
-
旧東海道筋に面して建つ立木神社の鳥居です。草津宿にて。
-
草津市草津4丁目付近から橋を渡ります。渡り終えると左手に光伝寺が現れます。
-
時刻は11時34分、草津市矢倉1丁目の光伝寺へお参りしていきましょう。
-
草津市矢倉1丁目の光伝寺です。
-
草津市矢倉1丁目の光伝寺の本堂です。
-
光伝寺から300mほど旧東海道筋を進みますと、矢倉道標が現れます。瓢泉堂というお店の軒先に道標と説明板があります。草津市矢倉2丁目付近の旧東海道筋にて。
-
こちらが矢倉道標です。東海道と矢橋道の追分に1798年から建てられています。
-
草津から京都へ向かう旅人は、ここを東海道へ進むと瀬田の唐橋を渡ります。矢橋道を進むと琵琶湖畔・矢橋湊へ出て、そこから船で大津へ渡ります。矢橋道を経て船で渡った方が歩く距離も時間も短くて楽ですが、船は強風など天候の関係で出航するかどうか安定性が無く、かつ、船旅には転覆などの危険もあります。一方、東海道を進めば、瀬田の唐橋を渡ることの出来る着実な経路ですが、船旅よりも歩かなければなりません。さてさて貴方ならどちらを選びますか?江戸時代の旅人はここで思案をしました。その様子が「瀬田へ廻ろか矢橋へ下ろか此処が思案のうばがもち」という歌に詠まれています。姥が餅はここ矢倉の立場(休憩所)の茶店で売られていた名物の餅です。
-
江戸時代の旅人が、矢橋道経由で船旅の近道にするか、それとも歩く距離も長くて時間もかかるが確実な陸路で瀬田の唐橋を渡るか、それを思案した場所、矢倉道標。そこで、「武士(もののふ)の やばせの舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋」という歌が詠まれました。「急がば回れ」の語源とされる歌です。レファレンス事例(滋賀県立図書館)によれば、この歌は平安後期の歌人源俊頼が詠んだものとも、室町時代の連歌師・宗長の歌とも言われているそうです。急がばまわれは、まさにこの場所でのことだったのですね。
-
歌川広重の浮世絵・東海道五十三次「草津宿・名物立場」に描かれた矢倉道標です。江戸時代の人々もこの石柱を見ていたという、いわば証拠ですね。草津市矢倉2丁目付近の旧東海道筋にて。
-
1798年建立の矢倉道標。「右やばせ道 これより廿五丁 大津へ船わたし」と彫られています。さて私は、東海道を歩いて瀬田の唐橋を目指します。
-
矢倉道標を過ぎて旧東海道筋は矢倉南交差点で国道1号線に合流します。本来ならばクロスするだけなのですが、旧東海道筋が消滅している部分がありますので、矢倉南交差点から野路町交差点までの100mほどは国道1号線沿いを歩きます。そして野路町交差点で国道1号線を左折した時の景色が写真の景色です。時刻は11時53分。ここから50mほど前進してから右手へ入っていきます。
-
国道1号線野路町交差点を左折し50mほどで右手へ入った場所から旧東海道筋をみた景色です。ここからはしばらく道なりで旧東海道筋を建部大社を目指して歩いて行きます。比較的穏やかに歩くことの出来る道です。草津市野路6丁目付近の旧東海道筋にて。
-
時刻は11時55分、草津市野路5丁目付近の旧東海道筋にて。平清宗(平清盛の孫)がここ野路口で斬首されたと伝わります。首は京都へ送られ、胴はこの場所へ葬られたということで、胴塚と伝わる石塔があり、保存供養されているとのこと。清宗、時に17歳。1170年生まれの1185年没と伝わりますから、17というのは数えで、今なら高校1年生くらいでしょうか。
-
草津市野路5丁目付近の旧東海道筋にて。覇者の栄枯盛衰は盛者必衰の理でもありましょう。覇者にとっては滅ぶもまた冥利なのかもしれない、そう考えると庶民の穏やかでささやかな幸せもまた意味のあるものなのでしょう。
-
平清宗の説明板から150mほど歩きますと、左手に新宮神社の鳥居が現れます。旧東海道筋から左手へ入って、お参りしていきましょう。草津市野路5丁目付近の旧東海道筋にて。
-
旧東海道筋から200mほど左手へ歩くと、新宮神社が現れます。草津市野路6丁目付近にて。
-
新宮神社の本殿は1523年建立です。江戸期全期を通じて、東海道の旅人の多くがこの本殿をお参りしたことでしょう。草津市野路6丁目付近にて。
-
新宮神社の境内では氏子の方でしょうか、お掃除をされていました。草津市野路6丁目付近にて。
-
旧東海道歩きを続けましょう。草津市野路7丁目付近の旧東海道筋にて。
-
時刻は12時13分、「野路 萩の玉川」。萩の名勝と言われた場所です。
-
萩の名勝とはどういうものなのか。私が想像するに、宿場を外れると昔の街道は人家もまばらな道であったとおもうのですが、ここは草原の中の一本道で、例えていうのなら箱根仙石原のススキ野のような一面の草原で、それがススキでなくて萩であったなら、確かに萩の名勝、しかも秋の月あかりの中の萩となると、それは美しかっただろうと思います。しかし、そのような人家疎らな寂しい道の夜、怖くなかったんですかね?などと、想像に想像を重ねて楽しみました。なお、千載和歌集には「あすもこむ 野路の玉川 萩こえて 色なる波に 月やどりけり」という歌があり、作者は「急がば回れ」の話にも登場した源俊頼とのことです。
-
時刻は12時19分、建部大社を目指して旧東海道筋を歩きます。なお、ひとつ前の写真の萩の玉川を過ぎると建部神社まで約1時間、休憩する適当な場所がありません。このことはペース配分の参考にしてください。草津市南笠東1丁目付近の旧東海道筋にて。
-
草津市南笠東1丁目付近の旧東海道筋。写真の奥へ道なりにあるいていきます。
-
草津市南笠東3丁目付近の旧東海道筋。
-
時刻は12時34分、大津市月輪2丁目の旧東海道筋にて。この辺りになってくると、午前中の速足の疲れが出てきました。建部大社はまだ遠い。
-
大津市一里山1丁目付近の旧東海道筋。写真の交差点は「一里山一丁目」交差点、信号を渡って写真奥へ進みます。
-
大津市一里山2丁目付近の旧東海道筋。この付近から建部大社はあと30分くらいです。
-
12時43分、一里山二丁目交差点にて、この信号を渡って正面奥へ進みます。この交差点には一里塚跡の案内板があり、ここが東海道筋で間違いないと安心できます。
-
一里塚の石碑と案内板です。大津市一里山2丁目付近の旧東海道筋にて。
-
大津市一里山2丁目付近の旧東海道筋にて。明治の末に一里塚は取り除かれてしまったとのこと。
-
12時53分、ここまで道なりに旧東海道筋を歩いてきましたが、この先100mほどで、旧東海道筋は左へ直角に曲がります。大津市大江4丁目付近の旧東海道筋にて。
-
この交差点です。この四ツ辻を左へ直角に曲がります。大津市大江5丁目付近の旧東海道筋にて。
-
大津市大江5丁目付近の旧東海道筋、ありましたありました、正面の電柱に「旧東海道」の文字と矢印が、私のルートが間違っていないと教えてくれています。本当にありがたいですね。
-
時刻は12時55分、ひとつ前の写真の四つ辻を左折した時の光景。ここから450mほど直線で歩きまして、今度は右へ直角に曲がります。大津市大江5丁目付近の旧東海道筋にて。
-
時刻は13時1分、ここを右へ進みます。大津市大江3丁目付近の三つ辻にて。
-
ひとつ前の写真の三つ辻です。よく見ると写真中央から左にある電柱に「旧東海道」の文字と矢印が書かれています。大津市大江3丁目付近の三つ辻にて。
-
この後は大きな道にぶつかるまで、道なりに600mほど歩きます。大津市大江3丁目付近の旧東海道筋にて。
-
時刻は13時8分。突き当りの道を左へ進みます。ここまで来ましたら建部大社はもうすぐそこです。大津市大江3丁目付近の旧東海道筋にて。
-
県道16号線の神領交差点へ向けて直線を歩きます。写真正面に神領交差点が見えてきました。まっすぐ行って交差点を左でも、この場所を左へ進んでもどちらでもいいでしょう。建部大社は写真左手にあります。大津市神領1丁目付近の旧東海道筋にて。
-
一枚前の写真の左手に、このような新しい道標が建っています。左へ進んでみましょう。大津市神領1丁目付近の旧東海道筋にて。
-
時刻は13時15分、ようやく建部大社に到着であります。疲れました。
-
建部大社の一之鳥居をくぐり、参道を行くと、参道は左へ直角にまがります。
-
左へ直角に曲がると二之鳥居が現れます。建部大社にて。
-
そしてここが建部大社の神門です。何かコスプレのイベントが境内で行われていた、もしくはこれから行われる、そんな雰囲気でございます。右手にはイベント受付が出ていました。
-
建部大社・近江國一之宮の拝殿へ、お参りしましょう。
-
一之宮ですので、境内はとっても立派です。このあと境内のベンチに腰を掛けて、ゆっくり休みました。境内は前述のイベントの準備でしょうか、パイプ椅子が並べられて音響設備なども設置されており、コスプレをした人々が行きかうなど賑やかでありましたが、ゆっくり休めてとても良かったです。今、この旅行記を書いている際に興味が出ましたので、当日何が行われていたのか調べましたら、「建部唐橋おそうじ散歩〜戦国コスプレもあるよ〜」というのが行われていいて、コスプレイヤーとカメラマンは、13時から14時の瀬田の唐橋周辺の清掃イベントへ参加しなければならないという企画、それでですかね、建部大社の境内でベンチに座っている際、イベントの運営らしき人々が私に興味を持たれているような雰囲気を感じておりました。私はコスプレカメラマンではございませんので、ゴミ拾いはご容赦でございます。
-
時刻は13時46分、県道16号線の「神領」交差点です。建部神社の境内で休憩をとらせていただき、元気になりましたので、この先、瀬田の唐橋を見学します。今日のゴールは石山駅で、そこから宿泊先の野洲へ電車で向かう予定ですが、このまま歩くと、1時間くらい予定よりも早くゴールすることになります。多分、水口宿から草津宿までがハイペースであったためと思います。そこで、石山駅でゴールするか、その先少し距離を稼いで義仲寺近くの膳所駅(ぜぜえきと読むのですね)へ行くか迷ったのですが、まあ今日はゆっくりしようかと、当初の予定通り石山駅をゴールとしました。
-
時刻は13時52分。神領交差点から200mほどで瀬田の唐橋の東詰に到着です。瀬田の唐橋は交通の要衝といいますが、それは現代も同じのようで車の交通量が実に多い場所です。ただし歩道がしっかりありますので、怖い思いはいたしません。
-
瀬田の唐橋の東詰・交差点を渡る前に見かけた道標です。「太神山不動寺」「是より二里半」と書いてあるのでしょうか。
-
おぉ。これが瀬田の唐橋ですな。
-
現在の瀬田の唐橋は、1979年(昭和54年)に竣工した橋です。橋の欄干の擬宝珠は代々の橋の擬宝珠が受け継がれているとのこと。この色(唐茶色)に塗り替えられたのは2012年とのことです。
-
時刻は13時54分。瀬田の唐橋の東詰より瀬田川をみる。どこかの大学の漕艇部でしょうか、ボートの練習をしている集団があります。いいですねー。
-
瀬田の唐橋の東詰には早咲きの桜が可憐に咲いております。
-
瀬田の唐橋の東詰にて。何か石柱がありますね。それでは瀬田の唐橋を渡ってみましょう。
-
時刻は13時57分、「せたからはし」とあります。
-
瀬田の唐橋の東側の橋を渡りました。瀬田の唐橋は東の大橋と西の小橋から成ります。
-
それでは西側の瀬田の唐橋の小橋を渡りましょう。
-
写真向う側(東側)からきて中島を経由して西へ渡ります。瀬田の唐橋。
-
こうやってみると、結構盛り上がってますね。瀬田の唐橋・歩道部にて。
-
瀬田の唐橋を渡り切って西詰の信号です。ここを渡って200mほど歩くと「鳥居川」交差点がありますので、そこを右折します。
-
瀬田の唐橋から鳥居川交差点への途中に京阪電気鉄道石山坂本線の踏切があります。
-
京阪電気鉄道石山坂本線の「唐橋前」駅です。
-
時刻は14時8分、ここが鳥居川交差点。ここを右へ直角に曲がります。大津市鳥居川町付近の旧東海道筋にて。
-
大津市鳥居川町付近の旧東海道筋・鳥居川交差点を右折した時の光景。ここから600mほど歩くと石山駅です。
-
石山駅の手前に京阪電気鉄道石山坂本線の踏切があります。この先の松原町西交差点までが旧東海道筋になります。明日の朝のスタート地点でもあります。
-
松原町西交差点を左へ外れますと、すぐに石山駅です。14時17分。この後、電車で野洲駅へ向かい、夕食を食べてホテルにチェックイン。明日の歩きに備えて早く寝ます。
-
本日の歩数は49,481歩、距離はだいたい38kmでした。疲れました。明日はいよいよ京都三条大橋へ到着です。
- 4日目2017年3月20日(月)
旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。三日目は水口宿から大津宿手前の石山駅まで。全二部作中その2
1日目の旅ルート
さとけんさんの他の旅行記
-
【長野県の桜】高遠城址公園、上田城跡公園の桜を訪ねて、別所温泉・旅館南條に泊まる【2025年4月】
2025/4/14(月) 〜 2025/4/16(水)- 一人
- 1人
今年は長野県の高遠城址公園と上田城跡公園の桜を観てまいりました。長野県の桜はちょうど満開を迎えて...
32 2 0 -
【東日本パス】鶴岡・角館・東八森・秋田・長岡・湯檜曽を普通列車で周る【2025年3月】
2025/3/22(土) 〜 2025/3/27(木)- 一人
- 1人
北海道&東日本パスを利用して、普通列車で東北を周ります。4月の初旬ごろに実施するつもりでしたが、今...
166 3 0 -
【18きっぷ】松葉ガニを求めて兵庫県の新温泉町と香住町を目指す【2025年3月】
2025/3/2(日) 〜 2025/3/6(木)- 一人
- 1人
美味しいカニを求めて、旅をしております。2年前の、カニ・カニ・カニのカニ料理三昧を忘れられずに、今...
63 2 0 -
【千年の王都】京都の旅4日目・5日目。西本願寺・東本願寺・大徳寺、そして東寺【2024年12月】
2024/12/15(日) 〜 2024/12/19(木)- 一人
- 1人
今回の京都旅行は清水五条に宿をとりまして、賑やかな京都も落ち着いた京都も、様々な京都を楽しむこと...
310 2 0
みんなのコメント(0件)
投稿する
投稿に際しては、必ず観光ガイドご利用規約をご確認ください。
閉じる皆様がより快適にご利用いただくための「投稿上のルール」や、
投稿内容の利用に関して記載しております。
さらに表示する