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さとけんさんの滋賀県の旅行記

旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。四日目は石山駅から京都三条大橋まで。全二部作中その1

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旧東海道筋を桑名宿から京都三条大橋まで歩きました。今回の歩きで、日本橋から京都三条大橋まで片道分を歩き終わりました。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2017年3月17日(金)
2日目2017年3月18日(土)
3日目2017年3月19日(日)
4日目2017年3月20日(月)

時刻は4時38分の野洲駅です。宿泊しましたのは野洲駅から徒歩3分ほどのセントラルホテル野洲。フロントが24時間対応ですので気兼ねなく早朝にチェックアウトできるところが良い所です。野洲駅の始発電車に乗るために早めにチェックアウトです。今日は京都三条大橋に到着し、13時過ぎの高速バスに乗って東京方面へ帰る予定ですので、朝の出発は心持ち早め、石山駅へ向かいます。

時刻は5時6分。石山駅を出て、松原町西交差点からスタート、写真は松原町西交差点からJR東海道本線の高架をくぐる道です。まだ暗いです。

時刻は5時27分、大津市中庄1丁目付近の旧東海道筋です。松原町西交差点から道なりに旧東海道筋を歩いて、大津市杉浦町20−31の若宮八幡神社付近を直角に北へ曲がり、さらに道なりに歩いて、この写真の辻(京阪電鉄の中ノ庄駅の東、地番で言うと大津市中庄1丁目1−6付近)を右へ直角に曲がります。ここまでのルートはその2ヶ所だけ注意すれば、難しくありません。

時刻は5時35分、空が白み始めている以外は判りづらい写真ですが、大津市木下町11−27付近のY字路を左へ旧東海道筋を進みます。写真はそのY字路部分です。そしてその先の突き当り(滋賀県大津市木下町15−33の響忍寺の壁)を右へ折れて100mほどで左へ行き、半円を描くように道なりに進んで、フレンドマート大津西の庄店の脇を通って西へ直角に曲がります。

時刻は5時37分、正面が滋賀県大津市木下町15−33の響忍寺の壁です。突き当たって右へ100m行ったら左です。

時刻は5時38分、ここが左へ行くポイント、地番で言うと大津市木下町15−24付近の旧東海道筋です。左へ行くと道は道なりに半円を描きます。途中でフレンドマートがでてきます。

時刻は5時39分、こちらが、フレンドマート大津西の庄店(大津市西の庄20−1)です。このお店の、写真でいうと左側へ道が抜けますのでそちらへ行くと道は道なりに右へ(西へ)直角に曲がります。

時刻は5時41分、この場所がフレンドマート大津西の庄店の脇へ入って行った道が右へ直角に曲がるポイント。地番で言うと、大津市西の庄16付近です。ここを過ぎたら後の東海道筋は難しくありません。

時刻は5時41分、空も随分と明るくなってきました。大津市西の庄付近の旧東海道筋にて。

時刻は5時45分、旧東海道筋は鉤型に右へ行ってさらに左へ曲がりますが、道なりです。写真は右へ行く最初のカーブ。大津市西の庄付近の旧東海道筋にて。

そしてこちらが左へ行くカーブ。大津市西の庄付近の旧東海道筋にて。

時刻は5時47分、大津市馬場1丁目付近の旧東海道筋にて。

義仲寺

大津市

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時刻は5時51分、義仲寺(ぎちゅうじ)へ到着です。このお寺には、神奈川・大磯の鴫立庵や京都・嵐山の落柿舎と並ぶ日本三大俳諧道場の一つの「無名庵」があります。

義仲寺

大津市

「義仲寺」を   >

義仲寺には1184年の粟津の戦いで戦死した木曽義仲のお墓があります。松尾芭蕉も遺言によりこのお寺に葬られました。

大津市馬場1丁目にある義仲寺。JR東海道本線・膳所駅もしくは京阪膳所駅から徒歩6分ほどです。

時刻は5時53分。開門は9時ですので、本日は残念ながら境内へは入ることが出来ません。再訪を期して東海道歩きを続けましょう。大津市馬場1丁目にある義仲寺門前にて。

義仲寺

大津市

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義仲寺の拝観料は300円、開門時間は9時から17時(11月から2月は16時まで)、閉門日は月曜日(ただし、4・5・9・10・11月の月曜日は無休で開門)です。

時刻は5時58分、義仲寺を離れて京阪電鉄の踏切を渡ります。渡るとすぐに分かれ道が現れます。その分かれ道は左へ(Y字路と考えるなら左・四叉路と考えるなら真ん中)行きます。大津市打出浜付近の旧東海道筋にて。

時刻は5時58分、踏切を渡って最初の分かれ道です。この辻をY字路と考えますと左手へ、四叉路と考えますと真ん中の道(写真左手奥へ延びる道)を進みます。大津市石場付近の旧東海道筋にて。

電柱に「旧東海道」の案内板がでていました。このルートで間違っていないとホッとします。大津市松本2丁目付近の旧東海道筋にて。

時刻は6時ちょうど。二つ目の分かれ道が現れます。この分かれ道も左手へ入ります。左手へ行くと、国道161号線の京町一丁目交差点まで、約1.2kmのほぼ直線の旧東海道筋が現れます。大津市松本2丁目付近の旧東海道筋にて。

大津市松本付近の旧東海道筋です。1.2kmの長いストレートを歩きます。遠くの信号も山も見えるし、早朝で車の通りも人通りも少ないですので、とても気分よく歩くことができました。ただ、交差点を渡る際は、十分お気を付けください。

時刻は6時6分。旧東海道筋の左手に滋賀県庁が見えてきました。旧東海道筋は写真で言うと左手から右手へ延びています。大津市中央3丁目付近の旧東海道筋にて。

大津百町

大津市

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時刻は6時10分。かつて大津百町と称された大津宿の町並みが続きます。大津市京町2丁目付近の旧東海道筋にて。

大津百町

大津市

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大津市中央2丁目付近にて。この辺りは通りの右と左で町名が違います。左手は京町、右手は「中央」です。

大津市京町2丁目付近の旧東海道筋にて、歩いてきた道を振り返ります。前も後も直線の街道筋であることが判ります。

旧東海道

大津市

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時刻は6時12分、大津市京町2丁目付近の旧東海道筋に、石碑が現れました。

露国皇太子遭難地碑

大津市

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明治24年(1891年)5月11日この場所で、ロシア帝国の皇太子ニコライ(のちに露国皇帝・ニコライ二世)が警察官・津田三蔵に斬りつけられるという暗殺未遂事件が発生しました。大津事件です。大津市京町2丁目付近の旧東海道筋にて。

露国皇太子遭難地碑

大津市

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その日、来日中の露国皇太子ニコライは、京都から琵琶湖への日帰り観光へ来ていたそうです。滋賀県庁で昼食を摂った後、人力車に乗って旧東海道を移動していた際に襲われたとのこと。ニコライ皇太子は傷を負いましたが命に別状はありませんでした。日清戦争が始まる3年前(日露戦争が始まる13年前)の事件です。事件当時の日本は明治維新から24年経過しているとはいえ、世界的には自他認める小国であったに違いないでしょう。この事件が当時の日本人をさぞかし緊張させたであろうことは想像に難くありません。ある一瞬に、歴史を左右する出来事の舞台となったこの場所は、今では全くその気配を消しており、石碑が無ければ何事もなく通り過ぎることでしょう。

時刻は6時15分、旧東海道筋は国道161号線にぶつかります。京町一丁目交差点です。1.2kmの長い直線が終わり、ここで左折します。

時刻は6時16分、写真は国道161号線・旧東海道筋を南へ(京都方面へ)歩いています。京町一丁目交差点付近にて。

時刻は6時20分、大津市札の辻付近の国道161号線・旧東海道筋上を路面電車として走っていた京阪電鉄京津線が自動車道路と分岐する地点です。旧街道筋を振り返る形で撮影し、写真正面が北です。

関蝉丸神社下社

大津市

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時刻は6時26分、関蝉丸神社下社へ到着です。お参りしていきます。

関蝉丸神社下社

大津市

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関蝉丸神社の下社の参道には京阪電鉄の線路が横切っていて踏切があります。

「これやこの ゆくもかえるもわかれては しるもしらぬも 逢坂の関」の石碑が建っています。関蝉丸神社の下社にて。

こちらは関蝉丸神社下社の境内にある関清水神社です。

関蝉丸神社下社にて。蝉丸と言えば、前述の歌の他に、お正月の坊主めくりでの強烈な印象があります。坊主の札にも、赤い袈裟で後ろ姿で禿げ頭というようにいろいろとバージョンがありますが、私の家の百人一首は、蝉丸が茶色い袈裟を着て頭巾をかぶっているという、あれでございました。これが出ると持ち札を全部持って行かれるという強い印象が蝉丸にはあるのですが、実際の蝉丸さんは身分の高い御方という説があって、また琵琶の名人でもあり、そのため音楽芸術の神様でもあるとのこと。参道前に「音曲藝術祖神」という石碑が建っていたのもそのためなのですね。関蝉丸神社下社を辞して旧東海道歩きへ復帰します。

時刻は6時34分、大津市逢坂1丁目付近の旧東海道筋に「逢坂」の石碑が建っていました。旧東海道筋はこの辺りから登り坂になっていきます。

時刻は6時36分、国道161号線は逢坂一丁目交差点で国道1号線と合流します。この合流地点で山へ向かって右側の歩道が無くなりますので横断歩道を渡って道路左へ移動します。山から下ってきた自転車が信号無視をして通り過ぎていきました。滅多に歩行者がいなくて、いつものように誰も渡らないと自転車は思ったのかもしれまん。下りが長い分、自転車でもスピードが付いて危険ですので、信号が青になっても十分に気をつけて渡ってください。

逢坂一丁目交差点の横断歩道を渡って道路左側の歩道へ移ります。

時刻は6時41分、関蝉丸神社上社へ到着です。神社前にボタン式の横断歩道がありますので、それを渡ります。

関蝉丸神社上社は階段を登っていきます。かなり急な階段です。

関蝉丸神社上社の拝殿です。お参りしていきます。

時刻は6時49分。写真のような坂道が続いています。大津市逢坂1丁目付近の国道1号線・旧東海道筋です。この上り坂をランナーが駆け抜けていきました。

時刻は6度51分、大津市大谷町付近の旧東海道筋。登り坂が終わります。写真の信号で横断歩道を右へ渡り、右手に分岐する道へ入って行きます。

逢坂関跡

大津市

「逢坂関跡」を   >

大津市大谷町付近の旧東海道筋にて。国道1号線から旧東海道が右手へ分岐する地点に逢坂山関址の石碑がありました。

逢坂関跡

大津市

「逢坂関跡」を   >

大津市大谷町付近の旧東海道筋にある逢坂の関の説明板です。平安時代後期からは関所として機能していなかったうえ、関所があった正確な場所もわかっていないと書かれています。

国道1号線から分岐した大津市大谷町付近の旧東海道筋。この先に蝉丸神社があります。

時刻は6時56分、大津市大谷町付近の旧東海道筋にある蝉丸神社へ到着です。

逢坂山周辺には、蝉丸の名のつく神社が「関蝉丸神社下社」「関蝉丸神社上社」「蝉丸神社」と、三つあるのですね。大津市大谷町付近の旧東海道筋の蝉丸神社にて。

大津市大谷町付近の旧東海道筋の蝉丸神社の石段をのぼってお参りしましょう。

大津市大谷町付近の旧東海道筋の蝉丸神社の石段をのぼったところ。お社がない神社かと一瞬戸惑いました。つい二日前に通った鈴鹿峠の片山神社が、石段の先にお社が無かった神社でしたので。しかし右をみると・・・

階段をのぼって鳥居をくぐって右手をみると、このような参道と拝殿がみえました。大津市大谷町付近の旧東海道筋・蝉丸神社にて。

それではお参りしましょう。大津市大谷町付近の旧東海道筋・蝉丸神社にて。

時刻は7時2分。蝉丸神社を辞して旧東海道筋へ復帰、写真の歩道橋を渡って道路向かって左の歩道を約1km下ります。大津市大谷町付近にて。

時刻は7時16分。坂を下って来ると旧東海道筋・国道1号線は名神高速道路の高架をくぐります。この高架をくぐり終わったところで、旧東海道筋は国道1号線から左へ分岐します。大津市大谷町付近にて。

時刻は7時18分、旧東海道・国道1号線沿いを下ってきて、名神高速道路の高架をくぐり、旧東海道筋は左手へ分岐します。写真左手に藤尾交番がありその前を入っていきます。大津市追分町付近の旧東海道筋にて。このあとは「旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。四日目は石山駅から京都三条大橋まで。全二部作中その2」へ続きます。

旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。四日目は石山駅から京都三条大橋まで。全二部作中その1

1日目の旅ルート

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