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さとけんさんの滋賀県〜京都府の旅行記

旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。四日目は石山駅から京都三条大橋まで。全二部作中その2

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旧東海道筋を桑名宿から京都三条大橋まで歩きました。今回の歩きで、日本橋から京都三条大橋まで片道分を歩き終わりました。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2017年3月17日(金)
2日目2017年3月18日(土)
3日目2017年3月19日(日)
4日目2017年3月20日(月)

旧東海道

大津市

「旧東海道」を   >

時刻は7時18分。旧東海道筋は大津市追分町にて国道1号線から左手へ分岐します。藤尾交番の前を通ります。

写真右手の建物が藤尾交番(大津市追分町1−30)です。しばらく道なりに歩きます。

時刻は7時22分、旧東海道筋は、「山科追分」もしくは「髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)」と呼ばれる辻へ至ります。写真の分かれ道は道なりに右へ進みます。写真右手は滋賀県大津市追分町、左手は京都府京都市山科区髭茶屋屋敷町です。

山科追分の辻に建っている道標です。「みきハ京ミち」(みぎは京みち)と彫られています。大津市追分町付近の旧東海道筋にて。

道標の横には案内板がありました。東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点であって、馬子が馬を追い分けることから「追分」となったとのこと、ここは大津絵の発祥の地であるという内容が書かれています。大津絵とは江戸時代に東海道を旅する旅人に大津宿の名産として認知されていたユーモラスなタッチの絵で、土産や護符(お守り)として人気があったようです。

山科追分にて。昔の絵を見て、そして現在の辻をみる。想像が膨らむ瞬間でもあります。江戸時代にはどういう感じでどんな人達が行き交っていたのでしょうね。実際に見てみたいものですねー。

大津市追分町の追分町自治会館の前に建っている追分町の案内柱です。旧東海道を進みましょう。

時刻は7時26分、大津市横木1丁目付近の旧東海道筋です。

時刻は7時30分、大津市横木1丁目付近の旧東海道筋に歩道橋が現れます。国道1号線を渡る歩道橋です。

歩道橋の入り口にはこの様な張り紙がありました。「旧東海道をお歩きの皆様 この歩道橋をお渡りください 渡り終えましたら 五十メートル先の三叉路を 右に進んでください。旧三条街道(横木)です」とあります。嬉しいですね、こういうのは。大津市横木1丁目付近の旧東海道筋にて。

歩道橋の上から眺めた景色です。左手に国道1号線が走っています。右手の道を五十メートルほど進んで、右手へ進みます。大津市横木1丁目付近の旧東海道筋にて。

時刻は7時32分、旧東海道筋はここを右手へ進みます。大津市横木1丁目付近の旧東海道筋にて。

大津市横木1丁目付近の旧東海道筋を進みます。

時刻は7時46分、旧東海道筋の「山科駅前」交差点で右を見て写真を撮ったところです。写真正面には京阪山科駅があり、地下には地下鉄東西線山科駅があり、写真右手から左手へ旧東海道筋が延びています。

山科駅前交差点です。ここを過ぎて旧東海道筋を歩きましょう。写真正面奥へ進みます。

時刻は7時52分、旧東海道筋に五条別れ道標が現れました。京都市山科区御陵中内町付近にて。

この「五条別れ道標」は1707年に沢村道範によって建てられました。この道標をまっすぐ西へ道なりに進めば京都三条大橋に出て、この道標を左へ南下して京都薬科大学南校舎の手前を右(西)へ曲がって道なりに進むと西野八幡田町付近で「渋谷街道」に合流、その渋谷街道を西へ歩いて行くと京都東山五条の少し南へ至ります。五条と三条とに分かれる場所という意味の五条別れ道標なのですね。京都市山科区御陵中内町付近にて。

五条別れ道標には、北面に「右ハ三条通」、東面に「左ハ五条橋 ひがしにし六条大仏 今くまきよ水道」、西面に「願主 沢村道範 建立」と彫られているとのこと。京都市山科区御陵中内町付近にて。どういう意味なのか判らないのが、「ひがしにし六条大仏 今くまきよ水道」ですが、これは多分六条大仏というのは方広寺の大仏様のことで、きよ水道は清水みちのことだと思います。「今くま」って何でしょうかね?調べましたら、今熊野という地名が方広寺や京都国立博物館の近くにありますので、多分その場所のことでしょう。

時刻は7時57分、私は三条大橋を目指しますので、五条別れ道標を西へまっすぐ行きますと、三条通・府道143号線にぶつかって合流します。京都市山科区御陵別所町付近の旧東海道筋にて。旧東海道筋は、この府道143号線を右手に300mほど行って左手に分岐します。途中、JR東海道本線の高架をくぐります。

京都市山科区御陵別所町付近の旧東海道筋。左の道は府道143号線・三条通、目の前の高架はJR東海道本線です。

時刻は8時ちょうど。旧東海道筋はこの地点を左へ入って行きます。右手の電柱に「旧東海道」の案内板が見えております。このルートで間違っていないとホッとします。京都市山科区御陵久保町付近の旧東海道筋にて。

旧東海道筋は、この細道ですが、間違っておりませんので、安心して前へ進んでください。京都市山科区御陵久保町付近の旧東海道筋にて。

京都市山科区御陵鴨戸町付近の旧東海道筋です。今は平地の道ですが、直に登り坂になってくるでしょう。

時刻は8時5分、京都市山科区日ノ岡鴨土町付近の旧東海道筋です。道の先が上りになってきました。

時刻は8時7分、京都市山科区日ノ岡ホッパラ町付近の旧東海道筋。とうとう本格的な登りです。えっちらほっちら登っておりますと、少年が自転車で上っていく!

時刻は8時8分、京都市山科区日ノ岡ホッパラ町付近の旧東海道筋です。かなりの傾斜であることを判っていただけますでしょうか。

時刻は8時13分、京都市山科区北花山山田町付近の旧東海道筋です。道は平坦になりましたが、細いです。

時刻は8時16分、京都市山科区北花山山田町付近の旧東海道筋は府道143号線に合流します。ここから府道143号線を1.1kmほど歩くと地下鉄東西線・蹴上駅に至ります。ここから200mほどで粟田口刑場跡地が左手にあります。その刑場跡から更に200mほど歩くと道の傾斜が段々なくなって、その後下りに転じます。

時刻は8時27分、京都市山科区厨子奥花鳥町付近の旧東海道筋です。左のレンガの塀で囲まれた建物は蹴上浄水場(京都市東山区粟田口華頂町)です。この下り坂は歩道が広いのですが、広い分、自転車が後ろから勢いよく走ってきます。この写真の場所まで下り坂が500mほど続きます。この先蹴上駅付近を通過してウェスティンホテルあたりまでは坂上から900mほどの下り坂となり、土台、自転車のスピードもとても速いですので、なるべく歩道の端を歩いて、人とすれ違って膨らんで歩くときは、後ろを振り返って自転車を確認した方が良いでしょう。

時刻は8時29分、左手に地下鉄の蹴上駅が現れました。旧東海道筋は緩やかに左へ90度曲がります。いよいよ三条大橋まで直線で1.6kmほどになりました。

時刻は8時30分、府道143号線を挟んで蹴上駅の対面にレンガ造りのトンネルを発見です。あのトンネルは蹴上トンネル、通称・ねじりまんぽです。あのトンネルをくぐって歩いて行くと400m・5分で南禅寺の山門へ行くことが出来ます。もう、そんな場所に、まさに京都へ来ていたのですな。

時刻は8時36分、京都市東山区夷町付近の旧東海道筋です。

こちらは京都・粟田神社です。旧東海道筋は写真左から右へ撮影者の後を抜けています。

8時37分、旧東海道筋を歩きながら左をみた景色。この道を行くと青蓮院・知恩院・円山公園・月真院・高台寺・ねねの道と続きます。今日はそちらへは行かず、写真左から右へ撮影者の後を抜ける旧東海道筋を進みます。

ひとつ前の写真の対面の写真です。平安神宮の鳥居が見えます。それでは写真右から左へ、撮影者の前を抜ける東海道筋を歩くとしましょう。

時刻は8時40分、京都市東山区五軒町付近の旧東海道筋です。

そして8時50分、目の前に京都三条大橋が現れました。

8時51分。京都三条大橋到着。擬宝珠も映える京都の青空。到着が予定よりも1時間早くなりました。

江戸時代の旅人は、ここに着いてからあちらこちらと京都の街を歩き回ったのでしょうね。歩けば歩くだけ他人を先んじることができるという時代でもありました。京都三条大橋にて。

9時前の京都、三連休の最終日、すでに多くの人出です。さすが京都であります。しかし今日の私は観光はいたしません。

三条大橋から先斗町・木屋町方面をみる。

前の12月に京都はみっちり観光していましたので、今日はお墓参りをして麻婆豆腐を食べて帰る予定です。三条大橋より鴨川をみる。

三条大橋から東方面をみる。考えてみれば、京都を発つ旅人は、いきなり山を二つ越えていくわけですね。なかなか大変なことだと思います。

時刻は8時55分、鴨川三条大橋の西詰にて。さて、旧東海道歩き、江戸から京都は一応完歩しました。通して歩きたいとか、京都から江戸へ向けて歩きたいとか、他の街道も歩きたいとか、まだまだあるのですが、とりあえずは完了でございます。

時刻は9時、鴨川沿いを四条まで下りまして、そこから東へ入って八坂神社の前を南へ曲がって、霊山護国神社へ向かいます。

予定したよりも時間が出来ましたので、ゆったりした気持ちで歩いております。

時刻は9時3分、正面の建物は祇園四条の南座です。ここを写真で左へ行くと八坂神社です。

時刻は9時8分、八坂神社でございます。ここを右へ行きます。ここまでの道もそしてこの先の道も、このあたりは外国の観光客の方が本当に増えましたね。歩道は人がいっぱいです。まだ9時なのに。ここ15年ほどで京都の街の雰囲気もまた変遷していくものでございます。

時刻は9時17分、京都市東山区桝屋町付近です。この坂を上っていくと霊山護国神社へ至ります。

歩道が整備されて随分と歩きやすくなっています。霊山護国神社付近にて。

時刻は9時21分、この時間でしたら、もう入山できると思います。

山への入山ゲートにはこのような立派な建物が出来ていました。霊山護国神社にて。

京都霊山護國神社

京都市東山区

「京都霊山護國神社」を   >

こちらが霊山護国神社の拝殿です。お参りをします。

霊山護国神社の墓所です。

高台ですので上るのも一苦労であります。霊山護国神社にて。

ああ、良い景色。京都の街を見守ってきました。霊山護国神社にて。

幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」

京都市東山区

「幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」」を   >

時刻は9時53分。今日は時間がありますので、こちらへも立ち寄ります。館内は撮影禁止です。緋毛氈に座って水分補給をしてから館内へ入りました。

時刻は10時41分。京都霊山護国神社を辞します。1時間ほど時間がありましたので、どこかへ立ち寄ろうかと思ったのですが、霊山から祇園四条へ向かう道の雑踏に驚きましたので、京都観光の中心地には長居をせずにバス停方向へ向かうこととしました。

今日は深草バス停より高速バスで帰りますので、藤森駅で下車しました。

味苑

京都市伏見区

「味苑」を   >

京都市伏見区竹田七瀬川町の四川料理・味苑へやってきました。藤森駅からは歩いて10分ちょっと、竹田駅からは歩いて5分です。

味苑

京都市伏見区

「味苑」を   >

そして再び麻婆豆腐定食を食す、味苑にて。辛い辛い。旨い旨い。

揚げ立ての唐揚げがやってきました。旨い旨い。京都・竹田の味苑にて。

満足しました。深草バス停へ向かいます。ちょっとというかだいぶ早いですが、ベンチに座ってゆっくり待ちましょう。

1本前のバスを見送る。この1時間、どこで何をしたら有効に使えただろうかと考えました。多分どこへ行っても今日は混雑しているから、ここでのんびりするのも悪くはないが、鴨川沿いを祇園四条駅から七条駅までのんびり歩いてくるのも悪くは無かったなと思います。連休最終日のバスは足柄を越えた辺りから渋滞に当たって、2時間ほどの延着でした。みなさん、お疲れ様でした。

本日は34,550歩、距離にして26kmと少しでした。今回4日続けて街道を歩いてみて、4日続けてそれなりの距離を歩くのは初めてでしたので少し不安でしたが、足を壊すことなく歩くことが出来たと思います。江戸日本橋から京師三条大橋まで通しで歩くとなると、15〜16日は歩き続けることになるわけで、それはまた大変だろうと思います。江戸時代の旅人はまったく健脚な方達でございます。

旧東海道を歩く。桑名宿から京都三条大橋まで。四日目は石山駅から京都三条大橋まで。全二部作中その2

1日目の旅ルート

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