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メタボ大王さんの長野県の旅行記

善光寺七社めぐり

  • 夫婦
  • 2人
  • 史跡・歴史

善光寺は謎の寺であり諏訪大社と関係が深く「七」にこだわる。「七」は北斗七星として天の中心でもあり御霊封じでもある。仏教の初七日、四十九日は忌明けを示す。善光寺の御開帳は丑と未の数えで7年毎、諏訪大社の御柱は寅と申の7年毎。善光寺には古くから七橋、七井、七清水、七塚、七小路、七社、七院の49名所があった。このうち善光寺七社といわれる美和神社、湯福神社、武井神社、加茂神社、妻科神社、柳原神社、木留神社を北から南へと徒歩で回ってみた。美和神社から湯福神社までの途中の城山にある江戸時代まで善光寺境内にあった健御名方富命彦神別神社(城山県社:水内大社)と善光寺にも寄り権堂で食事もした。七社のうち五社の祭神は諏訪神であり善光寺と諏訪大社の関係の深さがわかる。善光寺ではお戒壇めぐりと資料館も見学。極楽の錠前は本尊と結ばれているとのことであるが、堂内唯一の角柱である守屋柱には物部守屋の首が埋められているとの話しもあり暗闇の寒さが一層増す。

長野ツウ メタボ大王さん 男性 / 70代

1日目2017年12月15日(金)
09:00-10:00

美和神社

善光寺七社の美和神社。長野電鉄本郷駅の西側にある式内社。奈良の大神神社と同じ三輪鳥居。大神神社は三輪山をご神体とし古代豪族の大三輪氏と関係があるが、美和神社付近は三輪と呼ばれる地籍である。「延喜式」神明帳では水内郡九座の筆頭である。

09:00-10:00

美和神社由緒。祭神は大物主命(オオモノヌシノミコト:大国主命の和魂)。三代実録に、貞観8年(866)2月、信濃国水内郡三和・神部の両神が怒り、兵乱や病気を流行らせるというので、朝廷が国司らに命じてお経を読ませて鎮まらせたという記録がのこる。相殿に国業比売神と神部神を祀る。出雲系の豪族と朝廷との争いを想起させる。

09:00-10:00

美和神社拝殿。境内にはケヤキの大木がある。北西隅に仙台市岩切青麻山を総本社とする末社の「大青麻彦神社」がある。古来から近年まで麻は信濃で広く栽培されていた。神主は常駐しておらず武井神社が兼務している。

10:00-11:00

健御名方富命彦神別神社(城山県社:水内大社)

美和神社から旧北国街道の相ノ木通りから城山に登ると健御名方富命彦神別(タケミナカタトミノミコトヒコカミワケ)神社。約20分。善光寺の東に隣接する城山公園の一角、横山城跡に鎮座する。善光寺本堂北側に「年神堂」としてあり善光寺の守護神であったが、明治初頭の神仏分離に伴い現在地に遷座した。諏訪大社の祭神でもある健御名方富命(建御名方神)を祀っている。寅年・申年には武井神社・妻科神社・湯福神社との持ち回りで御柱祭が行われる。城山県社、水内大社とも呼ばれる。善光寺内陣に本田善光、妻、息子を祀っているが、本来であれば浅草寺と三社様のように、善光寺境内にあったこの神社に三社として祀ってもよさそうだが諏訪神を祀っている。現在の境内には明治天皇お手植えの松があり行幸記念碑もある。善光寺七社には入っていない。元々が善光寺境内にあったものだからか。

10:00-11:00

健御名方富命彦神別神社(水内大社)拝殿

10:00-11:00

健御名方富命彦神別神社(水内大社)拝殿の扁額。光仁天皇勅語「祭祀神祇國之大典」を揮毫したのは「石上神宮司正四位 立木兼善」とある。明治4年長野県権令(ごんれい)=知事となり、その後横浜裁判所長、貴族院議員を経て石上神宮の宮司となった方らしい。

10:00-11:00

湯福神社

長野市

「湯福神社」を   >

水内大社から城山公園内を横切り善光寺の北側を進み長野西高校の手前に湯福神社がある。入口両側の門柱は善光寺大勧進と大本願が奉納しており関係の深さを示す。両部鳥居。湯福神社、武井神社、妻科神社は善光寺の三鎮守ともいわれている。

10:00-11:00

湯福(ゆぶく)神社由緒。御祭神:健御名方命(タケミナカタノミコト)の荒御魂。創始は定かではないが、善光寺鎮守として崇敬される。善光寺七社なおかつ戸隠神社の守り神である戸隠三所権現の一社。諏訪大社と同じく風鎮めの神。15町の産土神(ウブスナガミ)でもある。

10:00-11:00

湯福神社

長野市

「湯福神社」を   >

湯福神社境内に善光寺開祖「本田善光」廟。西暦700年ころの古墳の磐がある。神社の所在地である箱清水は弥生時代後期の「箱清水式土器」が出土している。

10:00-11:00

湯福神社

長野市

「湯福神社」を   >

本田善光廟。内部の磐。善光寺では「本田善光」としているが、湯福神社の由緒では「本多善光」としている。この古墳の下から刀、骨が出たとの近隣者の話もあった。本田善光は善光寺絵物語としても、古墳には善光寺にかかわる者が埋葬されたのか。

10:00-11:00

湯福神社拝殿。神紋は梶の葉で諏訪大社と同じ。直ぐ西側の長野西高校の校章も梶の葉。湯福、加茂、妻科、柳原、木留の5社は上西之門町に鎮座する弥栄(やさか)神社が兼務しており、御朱印は弥栄神社で頂ける。

10:00-11:00

湯福神社

長野市

「湯福神社」を   >

御柱は寅と申の年に行われるが、湯福神社、武井神社、妻科神社、水内大社(城山県社)の四社で持ち回りで行われている。四社が善光寺を囲む四隅となる。

10:00-11:00

湯福神社

長野市

「湯福神社」を   >

湯福神社拝殿西前に建てられた御柱(二之柱)。古くは諏訪大社のように四隅に四本の御柱を建てたようだが、近年は二本のようだ。長野市内には180社の諏訪社があり50社以上で御柱行事が行われており、御柱は2〜4本のようだ。全部が4本も建てていると用材がなくなるからか。

10:00-11:00

湯福神社

長野市

「湯福神社」を   >

湯福神社の天然記念物のケヤキ。右が樹齢900年。左が700年と推定。

10:00-11:00

湯福神社

長野市

「湯福神社」を   >

湯福神社の天然記念物ケヤキの説明。樹齢700年を超すケヤキが三本ある。保護のため柵がありパワーは頂けない。由緒ある神社の前に「洗濯屋ケンチャン」という我々世代にはドキドキする名前のクリーニング屋さんがある。店主は芸名「湯福絃一」という演歌歌手でもあり神社訪問時行き会えればユニークな話が聞ける。芸名の「湯福」は勿論神社から頂いたもので神社への思いも熱い。

11:00-12:00

善光寺(長野県長野市)

長野市

「善光寺(長野県長野市)」を   >

湯福神社からは日本忠霊殿の塔と善光寺本堂が見える。善光寺を参拝。内陣(お戒壇めぐり)と日本忠霊殿にある善光寺資料館の観覧料がセットで500円である。翌日のお朝事迄有効。お戒壇めぐりは真っ暗で寒く壁も冷たい。極楽の錠前はご本尊と結ばれているとのことであるが、堂内唯一の角柱である守屋柱には物部守屋の首が埋められているとの話しもあり一層怖くなる。善光寺が守屋の「怨霊封じ」のため建てられ諏訪大社上社の真北にあるなど、北向観音、生島足島神社との関係も別の機会に回りたい。

11:00-12:00

武井神社

湯福神社から善光寺を参拝し、参道を下り大門交差点を左折して暫く歩くと武井神社。 朱塗りの両部鳥居が鮮やか。拝殿も近年建て替えされたのか新しい。

11:00-12:00

武井神社の由緒。御祭神は健御名方神。前八坂刀売(マエヤサカトメ)神、彦神別(ヒコカミワケ)神を合祀。武井とは諏訪大社の大祝(おおほうり)家である。 江戸時代文化年間以前は「武井明神」と呼ばれていたが、その後本来の武井神社に戻ったよう。 諏訪系の神社であるので御射山祭や御柱祭が行われる。氏子19町の産土神でもある。

11:00-12:00

社殿と二本の御柱。ここも四本はないようだ。

12:00-13:00

加茂神社

武井神社前の道路を西進し信州大学教育学部を過ぎ自治会館前に加茂神社がある。徒歩で約10分。近くに加茂小学校がある。入口は東からで拝殿・本殿も東向きである。

12:00-13:00

入って左手に加茂神社の社号標。善光寺大本願の奉納。後方に見えるのは旭山。

12:00-13:00

加茂神社由緒。初代大本願上人が信濃下向の際、日頃信仰していた京都賀茂御祖神社(下鴨社)の御神霊を奉持し祀ったと伝えられている。そのため例年秋の例祭には御参拝がなされる。入口左手の社号標は善光寺大本願が奉納したもの。西長野1町の氏神。 祭神は玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)を祀る。御神紋は菊桐。京都の加茂神社は京の守護神で皇室との関係も深いが、大本願の上人さんも代々皇室と関係がある方が就任されている。

12:00-13:00

加茂神社の茅葺屋根と拝殿正面の彫刻。幕末生まれで明治時代に北信地方の神社・仏閣を手掛けた宮大工・彫師の山嵜儀作の手になるものとの説明。

12:00-13:00

妻科神社

長野市

「妻科神社」を   >

加茂神社から南東に5分位で妻科神社となる。創祀年代は不祥。式内社。三代実録に貞観二年(860)二月五日、従五位下を叙せられたとあり貞観五年(863)二月十四日には従五位上に進んだとある。祭神は八坂刀賣命(ヤサカトメノミコト)で健御名方富命彦神別神社の御祭神の妃神とされゆえに「夫無(つまなし)」とも称されることがあるらしい。中世以降は戸隠神社の護法神として崇敬され、社の神紋は立梶紋。境内の右手に境内社・天神社があり、その横に石碑や石祠が並んでいる。善光寺鎮座以前の水内神として諏訪大社の県内に最も古い分社のひとつ。

12:00-13:00

妻科神社

長野市

「妻科神社」を   >

妻科神社拝殿前左右に御柱。こちらも2本のよう。神社は松代藩領であり川北17ヶ村の総社とされていためか、御柱もりっぱなもので地元経済界の重鎮が奉納している。

12:00-13:00

妻科神社拝殿東側の斜面にある石祠と石碑。かつて境内から勾玉、管玉が出土し、この斜面の上には古墳があったよう。

12:00-13:00

妻科神社

長野市

「妻科神社」を   >

妻科神社境内で一番大きなケヤキ。「千寿」との札が着いていた。

12:00-13:00

いむらや 権堂店

長野市

「いむらや 権堂店」を   >

妻科神社から権堂に回り長野市では有名な老舗のラーメン店で昼食。

12:00-13:00

「いむらや権堂店」であんかけそばとあんかけ焼きそばを食べる。くせになる味。

14:00-15:00

柳原神社

善光寺参道である中央通りを駅方向に下り、八十二銀行本店別館前の交差点の斜向かいに柳原神社がある。徒歩で約20分。健御名方命・少彦名命(スクナヒコノミコト)の二神を祭り、笹焼大明神と呼ばれ地域の崇敬を集めていた。文政元年(1818)に柳原神社と改称し、明治42年に誉田別命(ホンダワケノミコト)を合祀。 いまも笹焼神社(あるいは左善焼神社)と呼ばれ親しまれている。

14:00-15:00

柳原神社拝殿。社号標の裏に由緒と都市計画による移転改築等の経過が記されている。平成2年に本殿を移転、祝詞殿、拝殿、社務所等を新築。

14:00-15:00

木留神社

柳原神社西側の隧道を通りJRの線路をくぐり東側へ、出た所を右に旧北国街道沿いに南に約10分で木留(きどめ)神社。荒木にある。昔、善光寺の火災による幾度かの本堂等の再建の時、筏を組んで運ばれた用材を犀川から丹波島の渡しで陸揚げし、この神社に留め置いたらしい。また、犀川の流木がよくここに流れ着いたため木留明神とも呼ばれていたようだ。

14:00-15:00

拝殿。地元の方は階段を上り、履物を脱いで、緋毛氈を進み参拝している。

14:00-15:00

木留大明神の社額。

14:00-15:00

松代藩の高札場だった説明。

14:00-15:00

木留神社境内中央にあるケヤキの御神木。保護のために近くに寄らないよう注意書があるがパワーをもらっている方もいる。江戸時代は犀川の丹波島の渡しを渡った人がここで休憩し善光寺に向かったとか。樹齢は数百年とみられ街道往還の人々を見守っていた。

1日目の旅ルート

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