さとけんさんの静岡県の旅行記

【国清寺から】伊豆半島の付け根をドライブする【我入道の渡し・井上靖文学館まで】
- 1日目2018年4月26日(木)
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朝7時9分、伊豆の国市の国清寺(こくせいじ)にやってまいりました。韮山反射炉から直線で北へ4kmほどの所にあるお寺です。修行僧の食べる国清汁の発祥地ということでございます。ちなみに国清汁というのは、同じく修行僧が召し上がる建長汁が醤油仕立てであるところを「味噌で仕立てる」そうですね。国清寺は1362年に、足利管領の畠山国清が創建したお寺です。昨日の雨がやんで、清々しい空気が満ちる境内を、それではお参りしていきます。
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こちら、国清寺の仏堂・釈迦堂です。門前の案内板によれば、御本尊は観世音菩薩ということです。本堂はこのお堂の裏手にありますので、多分、本堂に御本尊がいらっしゃるのかと思いました。
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釈迦堂の中には鎌倉時代の仏像と伝わる釈迦如来像が安置されています。合掌一礼でお参りをします。
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こちらが国清寺の本堂です。案内板によれば「上杉憲顕 大いに修築 巨刹となす」・「往昔 殿堂壮麗ににして子院78宇を有しなり」とありますので、往時には、かなり大規模な伽藍が広がっていたのであろうと、勝手に想像してみました。今はとても静かな、鳥の鳴き声が響くひんやりとした境内でありました。国清寺を辞します。
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香山寺にやってきました。韮山反射炉から北へ2kmほどのところにあるお寺です。開基は山木兼隆と伝わります。山木兼隆は源頼朝の挙兵時に、最初に攻め込まれ、討ち取られた方です。このお寺のわずかに西には山木兼隆の館の跡があります。
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きれいに整備された本堂の前にて合掌一礼のお参りをいたしました。
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山木兼隆の館跡から南へ300mほどのところにある本立寺にやってきました。こちらは韮山反射炉を造った江川英龍のお墓があるお寺です。
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参道には、江川英龍の像が建っています。江川家のお墓は本堂の裏にあります。
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本立寺の本堂です。新緑が鮮やかで、見事なグラデーションを見せていました。
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本立寺から西へわずかに行くと城池親水公園と小高い丘があり、この丘が韮山城のあった場所です。親水公園は韮山城の濠の跡が池になっている公園です。韮山城は、1493年に北条早雲によって本格的に築城され、その後100年に渡って存続した中世の城郭です。案内板によれば北条早雲が1519年に亡くなったのは、このお城であったそうです。1590年には豊臣秀吉の小田原攻めがあり、4万の軍勢に包囲されつつ3ヶ月を籠城戦で持ちこたえたそうで、1601年に廃城になったとのこと。城跡の山の上から、西の方角を眺めます。
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韮山城跡から西へ400mほどの所にある蛭ヶ小島にやってきました。源頼朝が伊豆に流されたのが、彼が14歳の時の1160年、そして挙兵したのが1180年。その間の流刑地がここ、蛭ヶ小島とされています。なお、源頼朝が北条政子との恋を実らせた1177年以降は政子の父の北条時政の館に居たのではないかと推定され、1160年からの17年間、頼朝はここにいたのであろうと、そのような内容が案内板に書いてありました。
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成願寺にやってまいりました。韮山城跡から北西へ直線で1.5kmほどの所にあるお寺です。近くを狩野川が流れています。こちらのお寺の創建には草餅売りのお婆さんの伝説があり、流人の源頼朝を毎日励ましていたお婆さんは、励ましていた相手が征夷大将軍に出世して大いに喜び、励まされたお礼として頼朝はこのお寺を建てたと、そのような伝説です。本堂の裏に川辺が広がっているからでしょうか、空がとても綺麗にみえる境内でございます。
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韮山駅とは狩野川を挟んで反対側(西)にある公園の一画に珍しいものがあるということで確かめにきました。魚雷の表面に残った地震動の跡です。この公園のある場所は、もともとは小学校があり、校庭に魚雷が飾られていたそうです。そして1930年・昭和5年の北伊豆地震(最大震度6)が発生、この地震によって、魚雷の台石が針となって魚雷の表層を削り、72センチほどの傷跡がのこり、これが天然の地震計のようになったとのこと。傷が出来上がった過程が図解で説明してあり、容易に想像できて、とても良い展示だと思いました。
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地震動の傷跡が残った魚雷はこのような建物の中にあり、外からガラス越しに見学することになります。
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地振動の擦痕から南西へ歩いて5分ほど、狩野川の西側の山際にある北条寺にやってきました。お寺の案内板には「巨徳山 北條寺」と條の字になっています。北条時政の子供であり北条政子の弟でもある北条義時が創建したお寺です。本堂前にて合掌一礼のお参りをいたします。
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北條寺の本堂の左手に小四郎山と呼ばれる丘があり、その上には北条義時夫妻のお墓がありました。手を合わせました。
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成福寺にやってきました。こちらは元寇を退けた八代執権の北条時宗の三男である北条正宗という方が創建したお寺とのこと。こちらのお寺も青空がとても綺麗でした。
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成福寺からすぐの所にある光照寺にお参りします。開宗は1175年ということで、頼朝挙兵の5年前ですね。御本尊は阿弥陀如来です。
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光照寺のわずかに西に、北条政子の産湯を汲んだ井戸と伝わる井戸跡があります。この付近に北条氏の館があったようです。
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北条政子の産湯井戸から森山西公園の駐車場で少し休憩し、こちらの真珠院にやってきました。真珠院は八重姫の悲話が伝わるお寺です。つい一ヶ月半ほど前に、伊東の街を歩いて音無神社や最誓寺などをおとずれましたので、この案内板に書かれている八重姫の悲恋とその子供の千鶴丸の悲惨伝承は、記憶に新しいところです。
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真珠院は陽の光に照らされて、鮮やかな緑の境内でした。八重姫に思いを馳せ、お参りします。
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こちらは参道の右手にある八重姫御堂の脇にて行われている梯子供養です。
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真珠院の本堂前にて、お線香をたて、お参りしました。良いお参りができました。
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願成就院にやってきました。こちらには国宝の仏像があるということで500円の拝観料を払い、写真正面のお堂に入ります。阿弥陀如来坐像・不動明王と二童子像・毘沙門天像、これらが運慶の作ということで、お堂の裏手の宝物館に展示されている仏像の胎内からでてきた銘札ともども、とても興味深く拝見しました。
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願成就院には北条時政のお墓があります。
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願成就院には足利茶々丸のお墓もあります。北条早雲によって滅ぼされた方です。
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願成就院のすぐ隣には守山八幡宮があります。急傾斜の階段を上ってお詣りしました。
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時刻は11時過ぎ、国道136号線沿い、伊豆長岡駅近くの中華料理・福成で昼食です。中華丼と醤油ラーメンのセット・700円を注文しますと、中華丼もラーメンもそれぞれ一人前!の量でございます。
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お得なランチでございました。量が多くて両メニューとも1割ほど残してしまいました。御馳走様でした。
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韮山反射炉にやってきました。こちらは30年ぶりの来訪であります。以前はもっともっと素朴な史蹟であったと思いますが、街を挙げての重点観光スポットになっている様子です。
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伊豆長岡駅へやってきました。伊豆長岡駅前ロータリーへの車両乗り入れ方法が2017年10月から変わり、一般車で駅前に駐停車する場合は、ロータリー横の有料駐車場に停めることになったようです。有料駐車場とはいえ、最初の20分間が無料です。
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駐車場に車を停め、駅前の観光案内所を訪れます。とても感じの良い観光案内所でした。パンフレットをいくつか、ゲットいたしました。10分ほどで駐車場にもどります。
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伊豆長岡駅から西へ1kmほどのところにあるアクシスかつらぎです。こちらではコンサートや寄席が開催されるホールなどがあり、屋外には姫のあし湯と名付けられた足湯がありました。なかなか熱いお湯でございますよ。無料です。
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そしてこちらは古奈湯元公園のよりともの足湯です。無料です。公園では草刈り作業中でした。
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源氏山の東のふもとにある西琳寺をお参りします。
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西琳寺にはあやめ御前の供養塔があります。あやめ御前は源頼政の側室でとても美しかったと伝わる女性ですが、この伊豆長岡古奈の出身とのこと、お墓は東広島市にあるようなのですが、出身地の古奈では西琳寺に供養塔が建てられています。
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こちらは源氏山の西にある湯らっくす公園です。こちらにも無料の足湯があります。
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こちらは源氏山の南のふもとにある最明寺です。
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最明寺には鎌倉幕府5代執権の北条時頼のお骨が分骨されているということで、北条時頼のお墓があります。
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こちらは狩野川リバーサイドパークの南にある江間堰記念碑です。書かれている銘文は、スラスラとはいかないけれど、なんとか読みすすめることができる比較的平易な昔の文章で書かれていました。先人の業績をたたえる碑です。
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江間堰記念碑の近くの土手を上ると狩野川が見えます。ここに堰を造り、田んぼに引き入れることで、多いに潤ったとのこと。江間堰記念碑と狩野川リバーサイドパークを見学してから、沼津の千本浜方面へ向かいます。
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千本浜公園の西の端近く、旧東海道と浜との間に「西間門自治会共同墓地」があり、芹沢舟仙のお墓があります。舟仙は一刀彫の彫刻師で、「三頭の馬を一盤の上に立たせた」一代の逸品を彫り上げたものの、これを注文主が一頭ずつバラバラにしてしまい、「好きな酒を三日も飲まなかった」という逸話が書かれていて、好きな酒を三日も飲まなかったなんてさぞかししょぼくれたんだろうなとか、三日で立ち直ったかとか、いろんな感想が湧いてきて、一世一代の力作をぶっ壊されるという一見、なんともヒドい、深刻な話のはずなのに、人間のおかしみを感じさせる面白いお話だなと思いました。
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そんな芹沢舟仙先生も1853年に亡くなり、今は旧東海道と千本浜に近い場所に眠っておられます。
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西間門自治会共同墓地から少しだけ東に行くと、旧東海道・現在の県道163号線沿いに妙伝寺というお寺がありまして、門を入った右手に大久保忠佐(おおくぼただすけ)という方のお寺があります。こちらの方は徳川家康に仕えた戦国武将でして、長篠や小牧・長久手、関ヶ原といった有名な戦いに参加し、1601年から1613に亡くなるまでは、沼津城を居城にしていたという方です。
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千本浜公園の方角から沼津港へ行く途中に若山牧水記念館があります。旅を愛し酒を愛した牧水さんは、ここ沼津の千本松原が一番のお気に入りであったそうで、この記念館の近くに永住の地として居宅を造られたとのこと。
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展示室は一室なのですが、学生時代の通信簿をみて彼の得手不得手を探ったり、石川啄木の臨終に立ち会った際に書かれた葉書など、これは牧水の寂しさが文面いっぱいに感じられるもので、私はしばらくその場を離れずにその時の情景を思い浮かべたりして、時を過ごしました。良い時間でした。
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千本浜にやってきました。本日は雲が多くて富士山がみえませんが、穏やかな空気が流れて気分の良い散策です。
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駿河湾の景色を見ながら、千本浜を歩きます。
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千本浜公園の松林の中へ入りますと、駐車場の入口近くに若山牧水の歌碑がありました。
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若山牧水、昭和3年9月17日、43歳という若さでこの世を去ります。
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千本浜公園内の案内図です。井上靖文学碑へ松林の中を歩いて行ってみましょう。
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こちらが井上靖文学碑です。「千個の海のかけらが 千本の松の間に挟まっていた 少年の日私は それを一つずつ食べて育った」という文面が刻まれています。素直で平易な表現でありながら実に情緒深い碑文だと思います。
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千本浜公園の道を一つ挟んで東、沼津西高等学校と本光寺との間の道の角に大きな石碑が建っています。1900年・明治33年の5月、千本松林の中で少なくとも100体以上の頭蓋骨が見つかり、手厚く改葬されたことを伝える石碑です。1580年の武田と北条の千本松原における合戦の犠牲者と推定・確認されているそうで、見つかった遺骨の「三分の二が男性、三分の一が女性、大多数は青年」で、老年及び幼少年はゼロということです。なんと過酷な時代を生きていたのでしょうか。
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時刻は16時過ぎ、そろそろ本日のお宿にチェックインしますか。
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本日は「KKR沼津はまゆう(国家公務員共済組合連合会沼津保養所)」に宿泊です。
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沼津はまゆうは、沼津御用邸記念公園のやや南に位置する宿で、部屋からは海岸が見えております。
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ひと風呂浴びて、部屋に戻りますと、いい夕日がみえております。このまま夕日を見ていたい気もしますが、18時からはお夕飯ですので、食堂へ向かいます。
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食堂で会席料理を頂きます。美味しいお夕飯でした。お刺身も美味しく、量も私にはちょうど良かったです。なんとも贅沢な時間を過ごすことができました。
- 2日目2018年4月27日(金)
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KKR沼津はまゆうです。朝の5時半、明るくなる時間が早くなりましたね。海岸沿いを散策したいと思います。
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おお。富士山が綺麗にみえてます。雲が多い空模様ですが、山はくっきり見えておりますね。
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牛臥山の大朝神社に参拝であります。
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こちらは日緬寺。とても静かな朝です。
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芹沢光治良文学碑の一つ、「風の鳴る碑」が建っています。風が通ると音が鳴る仕組みの碑であったそうですが、今は付近が立入禁止となっていて、碑自体も崩れかけておりますね。芹沢光治良文学碑はこの近くにもう一つ、「孤絶の碑」が建っています。
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「風の鳴る碑」は風化していましたが、一枚上の写真を撮った場所でそのまま左に目を転じますと、このように素晴らしい景色を見ることができます。旅館に戻りましょうか。
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朝食は食堂でバイキング、少しずついろんな種類の朝ご飯をいただきました。御馳走様でした。スタンダードプラン・一人利用で8,500円のところ、じゃらんで獲得した宿のクーポン500円に、富士山割引(富士山が見えたら500円引き)が適用されて、とてもお得でございますな。また利用したいと思いました。
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朝9時、宿からすぐの沼津御用邸記念公園にやってきました。松が香り、ひんやりとした風がそよ吹く、なんとも清々しい場所です。
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まずは西付属邸の見学です。
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昭和の建物の中を歩きながら、昭和天皇が父母に送った手紙などを読みます。あの時代の子供の可愛らしい言葉遣いは、時代の風のようなもので、現代にて真似をしようとしても、とても同じ雰囲気を作り出すことはできないような気がするな、などと考えながらブラブラいたします。
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おお。明るいですな。歪みガラスもとても綺麗。
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こちらの廊下が明るいのは、ガラス戸の上部に障子がはめられているからかしらん、と思いました。良い時間を過ごすことができました。
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松林を散歩していると、沼津市の歴史民俗資料館が現れます。沼津らしく、漁網など漁師の民具が展示されていました。
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今日は渡し舟に乗る予定を組んでいましたので、1時間ばかりでお暇しましたが、もう少しのんびりしていられる場所だなと、とても気に入りました。御用邸記念公園を辞し、沼津港へ向かいます。
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こちら、沼津港に設置されている水門です。水路からの津波を防ぐ水門とのこと。両側の塔とその間を結ぶ回廊には100円で、エスカレーターで昇ることができます。
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びゅうおからの眺めです。愛鷹山と富士山です。
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さて、我入道の渡しにやってきました。正確に言うと、我入道の渡しの沼津港のりばにやってきました。我入道の渡しは「我入道のりば」と「沼津港のりば」と「あゆみ橋のりば」があります。写真の中央、対岸に「我入道のりば」があります。
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こちらの沼津港のりばから舟に乗りたい場合は、備え付けの黄色い旗を振って、対岸の渡し舟に知らせるのですな。なお、渡し舟の航路は二つあって、狩野川の河口に位置する「我入道のりば・沼津港のりば」から沼津駅など沼津中心街に近い「あゆみ橋のりば」を結ぶ航路、これは発着時間が決まっていて、一日四往復ほどです。もう一つの航路は「我入道のりば」と「沼津港のりば」を結ぶ航路で、これは「あゆみ橋航路」の時間外に「随時」という感じで船に乗ることができます。どちらの航路も片道100円、あゆみ橋航路は片道15分から18分ほどの乗船時間になります。
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黄色い旗をふってみましょう。
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黄色い旗をふると、対岸の我入道のりばの船頭さんが気が付いたようです。
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渡し舟がやってきました。
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沼津港のりばからあゆみ橋のりばまでの往復でお願いします。往復で200円、10時半に出発して11時10分に戻ってくることになります。こちらの船頭さんは、道中、いろいろとお話や説明をしてくださいました。
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こちらがライフジャケットです。乗船する際は、必ず着用することになります。
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出発しました。本日は風も強くなくて、穏やかな船旅でございますな。
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橋の下をゆっくりとくぐるのもなかなか気分の良いものでございます。我入道の渡し舟は、いつも運航しているわけではなくて、だいたい土日祝日・連休など運航日が決まっていますので、インターネットなどで確認してから訪れた方が良いと思います。
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舟の上から見る富士山は格別ですね。船頭さんが、景色の説明をいろいろとしてくださいます。今日は雲が多いのに山が良く見えると、そんな会話をしております。定員が12名の舟なので、混雑する時には乗ることが出来ない人も出てきてしまうということで、船頭さんは申し訳ながっておられました。
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狩野川の岸にこいのぼりが見えてきました。おっ、何かちっちゃいのが沢山いらっしゃってますねー。
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おーい、と幼稚園生と声を掛け合い、手を振り合います。船頭さん二人に乗客は私一人の渡し舟が川の上を占有しているような気分の良さであります。
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こちらがあゆみ橋のりばです。ちなみに沼津駅とあゆみ橋の間は、道を間違えずに歩いて徒歩8分ほどの距離です。私はここからまた戻りますので、舟の上で船頭さんたちと待っております。お客さんは現れませんね。
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時間になりまして離岸いたします。離岸時はモーターを回さずにこきこきと舟をこいで岸を離れます。
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やぁ、いつまでもこうしていたい、のんびりとした舟の上でございますな。
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箱根・駒ヶ岳、十国峠、天城などなど、取り巻く景色の中を舟は進みます。
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連休中はぶっ続けで運行するということで、お疲れ様でございます。岸が近くなりますと、ここは危ない、ここを通ろうという、舟の道をいろいろ探っておられます。
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おっ、これは粋ですな。お若いころはさぞかし鯔背でおられた船頭さんでしょう。
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船旅もそろそろ終いでございます。名残惜しい富士。
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沼津港のりばに到着です。ありがとうございました。お元気で。
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沼津港の飲食店街の出口あたりに、松福というラーメン屋がありまして、こちらで「うまいラーメン(太麺)」・800円を食べます。濃厚なスープの名前通りうまいラーメンです。
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沼津港から車で30分から40分ほどで、愛鷹山の山腹にあるクレマチスの丘にやってきました。
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井上靖文学館へ行きたかったのですが、クレマチスの丘は広いのですので駐車場選びにはご注意ください。私はとりあえず停めた駐車場が文学館へは遠いことに気が付き、再び車に戻って文学館の最寄りの駐車場に移動しました。
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井上靖文学館へやってまいりました。館内は撮影禁止でございます。
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館内には井上氏の作品の紹介とその背景の説明、そして所々に井上靖の素直で平易、簡潔で明瞭な、そして情緒深い言葉に触れることができまして、私は自分で戸惑いを覚えるほどに心を強く動かされたのでございます。文学館の係の方も、そんな私に声をかけてくださり、「お時間があればぜひ井上靖の肉声と言葉を聞いていってください」とビデオを勧めてくださいまして、実に貴重な時間を過ごすことができました。
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出会いというものは一生に一度のものであって、繰り返しのきかないものであるということに、薄々気が付いてきた私は、しかしながら、今までの出会い、特に人との出会いというものの大切さには、その人が亡くなってから気が付くという自身の身の程に、取り返しがつかないものを感じ後悔の連続を味わっておりますが、この文学館での井上靖の「僅かに人間ができることは、過去におけるそうした生涯一度の出会いというものを、おそまきながら大切にするくらいのことである」という言葉に触れて、なんと優しい言葉なのであろうかと、救われた思いがしました。まさに、この文学館でのわずか1時間半ほどの時間も、一生に一度の素晴らしい出会いであるのだなと、そんな気がいたしました。旅の終わりに、とても良い時間を過ごせたことを感謝いたします。
【国清寺から】伊豆半島の付け根をドライブする【我入道の渡し・井上靖文学館まで】
1日目の旅ルート
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