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メタボ大王さんの長野県の旅行記

消えゆく雪形と「千国(ちくに)街道」(塩の道)をめぐる

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消えゆく雪形と「千国(ちくに)街道」(塩の道)をめぐり、安曇野市から大町市、白馬村、小谷(おたり)村まで北上した。消えてゆく雪形と豪雪と急坂に難渋を極めた千国街道(塩の道)の一端を覗いた。越後糸魚川から信州松本までの約30里(120q)を千国街道又は「塩の道」と呼んだが、中間の小谷村千国に松本藩の千国番所があった。春から秋は牛馬、冬は歩荷(ボッカ)と呼ばれる人が命懸けで街道を往還し、生活物資を運搬した。庚申塔、観音様、石仏群、馬頭・牛頭観音の多さが、今でも土石流などの災害が多い危険地帯の安全を祈った人々の願いを現している。

長野ツウ メタボ大王さん 男性 / 70代

1日目2018年6月17日(日)
09:00-10:00

北アルプス展望美術館(池田町立美術館)

池田町(北安曇郡)

「北アルプス展望美術館(池田町立美術館)」を   >

蝶ヶ岳。白い蝶が最後にはっきり。黒い蝶は形がわからなくなった。雲がかかった所は常念岳。

09:00-10:00

北アルプス展望美術館(池田町立美術館)

池田町(北安曇郡)

「北アルプス展望美術館(池田町立美術館)」を   >

蝶ヶ岳の白い蝶が完成。胴体が現れたが白い羽根が消え始めた。

09:00-10:00

北アルプス展望美術館(池田町立美術館)

池田町(北安曇郡)

「北アルプス展望美術館(池田町立美術館)」を   >

東天井岳から大天井岳に続く山稜。東天井岳の白い仔犬がますますはっきり。

09:00-10:00

北アルプス展望美術館(池田町立美術館)

池田町(北安曇郡)

「北アルプス展望美術館(池田町立美術館)」を   >

東天井岳の白い仔犬。太った仔犬。シロクマにも見える。

10:00-11:00

宮本橋

大町市宮本橋から見る爺ヶ岳と鹿島槍ヶ岳。

10:00-11:00

大町市宮本橋から見る爺ヶ岳。南峰の種まき爺さんは大きくなりわからなくなっている。その右の小さい「北の種まき爺さん」はもう少し大町寄りに行かなければわからない。

10:00-11:00

大町市宮本橋から見る鹿島槍ヶ岳。獅子がなんとかわかるが鶴はわからない。

11:00-12:00

爺ヶ岳

大町市

「爺ヶ岳」を   >

大町市高根町付近からみる爺ヶ岳南峰の「北の種まき爺さん」。形が大きくなったが、人の姿で背中に何か背負ったような姿になった。

11:00-12:00

青木湖

大町市

「青木湖」を   >

青木湖から見る小蓮華山、白馬駒ヶ岳。雪が溶けそれらしき残像を残すものもあるが、主な雪形は崩れてしまった。

11:00-12:00

小蓮華岳の種まき爺さんは、かごを背負った様子だが、大きく黒い部分が広がってしまった。仔馬とその左下の種まき爺さんもわからなくなった。

11:00-12:00

白馬駒ヶ岳の尾長鶏もわからなくなった。

11:00-12:00

白馬八方尾根

白馬村(北安曇郡)

「白馬八方尾根」を   >

白馬村神城付近からの八方尾根南側。「そばまき爺さん」はまだ完成してない。一番遅い雪形で7月にならなければ完成しないか。パラグライダーが飛んでいるが、雄大な景色を上空から眺めるのも爽快だろう。

11:00-12:00

白馬パラトピア 五竜パラグライダースクール

白馬村(北安曇郡)

「白馬パラトピア 五竜パラグライダースクール」を   >

飯森神社に向かう途中丁度パラクライダーが降りてきた。上空には何機も飛んでいた。

13:00-14:00

飯森神社(白馬村)

飯森神社。飯森神社前が千国街道(塩の道)で飯森宿だった。飯森には白馬五竜スキー場があり、五竜岳への登山口だが、飯森神社の奥社は八方尾根第3ケルン下の八方池にあるようだ。伝承によると、当時、八方池に大蛇が巣食い、村人に悪事を働いていた事から、領主である飯森氏が八方池の畔に社殿を設けて祈願すると不思議と大蛇が現れる事が無くなったと伝えられている。創建伝説に由来して、雨乞い、水乞いに御利益があるとされる。祭神:罔象女神(弥都波能売神)、菅原道真。

13:00-14:00

飯森神社石仏群案内板。神社だけではなく、庚申塔、馬頭観音などを置き、村民だけでなく千国街道を往還した旅人の信仰を集めた。お参りする時はいくらかのお賽銭を上げただろうし、街道を整備する村の収入になっただろう。

13:00-14:00

塩の道 千国街道の案内と庚申塔、石像供養塔、二十三夜塔、馬頭観音など。

13:00-14:00

元文6年(1741)、安永5年(1776)、寛政10年(1798)、安政7年(1860)、不明の5基の庚申塔があるようだ。石の浄財置き場もある。

13:00-14:00

馬頭観音。飯森あたりは平坦地のためか牛ではなく馬だったのか。白馬岳の「代掻き馬」のように、馬は農耕にも運搬にも使われただろう。しかし馬は臆病で、狼や山犬が出てくると逃げてしまうので、山の中では闘争心が強い牛が使われたよう。

14:00-15:00

白馬鑓ヶ岳

白馬村(北安曇郡)

「白馬鑓ヶ岳」を   >

白馬鑓ヶ岳左側、大出原の左寄り中腹。鶴首と双鶏。大部溶けてきたが、まだ、形がわかる。

14:00-15:00

白馬岳

白馬村(北安曇郡)

「白馬岳」を   >

白馬岳から小蓮華山への鞍部の下の黒い「代掻き馬」の雪形ががまだはっきりわかる。

14:00-15:00

切久保諏訪神社

白馬村(北安曇郡)

「切久保諏訪神社」を   >

塩の道 白馬村切久保諏訪神社。神社の社殿は御神木の杉を引き立てるかのように簡素だ。兎に角、杉は立派だ。旧皇族、朝鮮王お手植えの木もある。岩岳スキー場の入り口に佇んでいる。

14:00-15:00

切久保諏訪神社

白馬村(北安曇郡)

「切久保諏訪神社」を   >

白馬村切久保諏訪神社の御神木の大杉。目通り幹回り10.2m、高さ41m.。治承元年(1177年)に地元の方が献木したとの伝承。杉の案内板には「細野諏訪社の杉。樹齢1000年」と記載されている。真っ直ぐな堂々とした姿はまだ伸びる感じがする。境内を雪解け水がとうとうと流れており水分は豊富だ。周辺にも杉の大木が多い。山国長野県でも幹回り10m以上の杉は6本しかない。パワースポットの戸隠神社中社の三本杉でさえ10mに満たない。(「長野県の巨木」HP)

14:00-15:00

切久保諏訪神社

白馬村(北安曇郡)

「切久保諏訪神社」を   >

切久保諏訪神社の拝殿の扁額。諏訪大社宮司守矢真幸書とある。南小谷村の方が寄進。白馬村、小谷村には諏訪社が多い。大町・池田は仁科神明宮で伊勢神宮の荘園だった場所。安曇野は穂高神社で海の民。越後との国境である小谷村戸土(へと)の神社では、諏訪大社御柱祭の前年に式年薙鎌(なぎかま)打ちの神事が行われ、諏訪大社の宮司なども来られ、諏訪大社の威光を示すようだ。

14:00-15:00

風切地蔵(白馬村)

白馬村落倉の千国街道(塩の道)にある「風切地蔵」。落倉高原の見晴らしのいい丘にあり、風も強そうだ。台風や風による被害も多かったのではないか。

14:00-15:00

風切地蔵案内板。案内板に記載されているように、鎌を立てて風を切る風習は、中国地方から東北地方まであるが、諏訪大社が基だ。諏訪大社は日本一の軍神としても崇敬されてきたが、元は山、風水源を司る農耕の守護神、風鎮めの神であった。

14:00-15:00

小蓮華山

白馬村(北安曇郡)

「小蓮華山」を   >

白馬村落倉から見る小蓮華山東端の「嫁岩」。何人もの姿が現れている。

14:00-15:00

越度峯石仏群(長野県小谷村)

小谷村石仏群の一つ。千国街道から少し外れた場所だが峠道にある。糸魚川から松本までの塩の道でも、小谷村ほど難所が続くところはない。旅の安全を祈願した人々の願いが込められた石仏、観音様、庚申塔などがいたるところにある。

15:00-16:00

牛方宿

小谷村(北安曇郡)

「牛方宿」を   >

千国街道に現存する唯一の牛方宿(うしかたやど)。山坂が多い千国街道では夏場の運搬は牛が必要。蹄が割れていない馬では坂道に踏ん張りがきかないよう。

15:00-16:00

牛方宿

小谷村(北安曇郡)

「牛方宿」を   >

牛方宿であった千國家住宅の案内板。母屋、土蔵(塩の道ギャラリー)、塩倉などがある。

15:00-16:00

牛方宿

小谷村(北安曇郡)

「牛方宿」を   >

玄関を入ると左手に馬屋がある。馬や牛が土間に休んでいた。牛方(うしかた)は牛の様子が見える玄関の中二階の様な蚕棚に寝た。人牛一体だったんだ。

15:00-16:00

牛方宿

小谷村(北安曇郡)

「牛方宿」を   >

牛方宿の内部。手前が茶の間、奥が客間(座敷、上座敷)で普通の旅人も休んだらしい。左手に台所があり、台所と茶の間には囲炉裏がある。

15:00-16:00

牛方宿

小谷村(北安曇郡)

「牛方宿」を   >

牛方宿上座敷床の間の扁額。「千國昌」で千國家(千國)が栄えるの意。落款に「朝鮮李容○」とあるが、朝鮮の書画家が日本に来た場合に「朝鮮」を入れるようだ。本国では朝鮮を入れないし、朝鮮画には無落款のものも多いらしい。画人を賤しみ後世に名を遺すことを恐れたらしい。日本海は北前船が往来しており朝鮮の文人墨客も乗せただろう。日本の書画家もそうだが、日本全国ばかりか朝鮮、中国まで旅をしながら、宿代かわりに書画を遺したり、現地で書画を売っている。中国や朝鮮からの書画家も多かったのではないか。

15:00-16:00

牛方宿

小谷村(北安曇郡)

「牛方宿」を   >

牛方宿の上座敷に置かれた屏風。右は蘭と鉢。中央が竹。左は何の鳥か。鳥には「辛巳」(かのとみ)と作成年があり1941年(s16)か1881年(M14)か更に古いか。落款が読めないがユーモラスな筆致は朝鮮の画家か。南画だが筆に勢いがある。一枚一枚に落款と印があり、同じ作者が何回かに分けて描いたものを屏風にしたものか。

15:00-16:00

千国街道

小谷村(北安曇郡)

「千国街道」を   >

牛方宿土蔵(塩の道ギャラリー)あった千国街道のポスター。このように牛方が塩を積んだ牛を曳いて峠を往還した。夏場は牛が冬は歩荷(ボッカ)と呼ばれる人間が塩を運んだ。ボッカは一人で塩一俵(約47s)、牛は二俵づつ。牛方は6頭の牛を追った。ボッカは十数人が一団となって雪の山坂を越えた。ボッカも牛方も沿道の農民で、糸魚川からは「上り荷」として塩や鰤などの海産物が、信州からは「下り荷」として麻やたばこ、大豆、生薬類、綿などが運ばれた。麻は漁師の漁具としてなくてはならないものだった。

15:00-16:00

牛方宿の隣接にある塩倉。錆びる鉄釘は使用されていない。大切な塩の保管庫。小谷村大網地区にあったものを移築したよう。

15:00-16:00

塩倉の案内板。

16:00-17:00

千国の庄史料館

小谷村(北安曇郡)

「千国の庄史料館」を   >

復元された千国番所。その後部に酒屋だった大きな民家を移築した「千国の庄史料館」がある。ビデオシアターやジオラマがあり、塩の道、小谷村の祭りなどがわかる。

16:00-17:00

千国の庄史料館

小谷村(北安曇郡)

「千国の庄史料館」を   >

再建された入り口が暗い番所に入って何があるのかと顔を左に向けると番所役人の人形がこちらを睨んでいる。本物そっくりの人形でびっくりする。一人で訪ねた女性が腰を抜かさんばかりに悲鳴を上げたらしい。確かに人形だとわかるが見られているようで、長居はできなかった。松本藩の番所で通行税として塩を徴収したようで、隣に塩倉がある。小谷村の塩の道は見るべき所がたくさんあるので、改めて塩の道として訪ねたい。

消えゆく雪形と「千国(ちくに)街道」(塩の道)をめぐる

1日目の旅ルート

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