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メタボ大王さんの長野県の旅行記

善光寺に至る女神の系譜

  • 夫婦
  • 2人
  • 史跡・歴史

女人救済の寺といわれる善光寺には、その縁起から如是姫、百済の女官、皇極天皇、蘇我馬子の娘である初代尊光上人、御三卿とされる弥生御前など女性の系譜がある。1日目はアンズの里といわれる長野市東条の玉依比売命神社、竹原笹塚古墳、菅間王塚古墳など。2日目は市街地の如是姫像、妻科神社、加茂神社、善光寺大本願、善光寺本堂などをめぐり、女神・女性の系譜と古代豪族蘇我氏の影を追ってみた。

長野ツウ メタボ大王さん 男性 / 70代

1日目2019年4月29日(月)
10:00-11:00

玉依比売命神社

長野市

「玉依比売命神社」を   >

長野市松代町東条天王山南麓に鎮座する玉依比売命神社の参道入口の鳥居。左奥に神社があり天王山から右の尾根を登ると尼巌山(あまかざりやま)となる。神社から上った場所が「天王山」で古墳もある。一番低い場所を何故「天王山」と呼ぶのか。

10:00-11:00

玉依比売命神社

長野市

「玉依比売命神社」を   >

玉依比売命神社由緒書。人皇八代孝元天皇16年4月16日に勧請し、現在地には寛喜2年(1230年)に遷座。式内社。主祭神:玉依比売命。天照皇太神、建御名方富命、素戔嗚命を合祀。正月7日の「児玉石神事」は古墳時代からの翡翠の勾玉、管玉を主とした「児玉石」の数を改めるもので、数の増減によりその年の吉凶を占うもの。翡翠の勾玉は「三種の神器」の一つでもあり、この地の古さを示す。古来「天王」とは「午頭天王」のことで素戔嗚命と習合して「八坂神社」の祭神でもあるが、素戔嗚命を合祀するこの神社の山も「天王山」と呼んだものか。

10:00-11:00

玉依比売命神社

長野市

「玉依比売命神社」を   >

児玉石の数は毎年数が変わり、昭和43年は786個あり内591個が県宝に指定された。平成23年には827個に増えている。勾玉、管玉の多くは古墳から出土したものだろうから、古墳の多さを示している。多くの古墳は破壊され、勾玉などだけが神社に奉納されたのではないか。アンズ畑などから今でも出土する勾玉・管玉があるので数が増減するのではないか。奇妙山周辺には500を超える積石塚古墳があり、また、破壊されたものを含めると相当数の古墳があったようだ。管玉、勾玉の玉作りの大規模工房だったとされる奈良県橿原市曽我町の曽我遺跡との関係から蘇我氏の進出もあったのか。馬と関係があったとされる蘇我氏であるが、この地も古代「大室牧」に隣接している。

10:00-11:00

玉依比売命神社

長野市

「玉依比売命神社」を   >

天王山の斜面に石垣を積んで社殿が建てられている。奥の本殿を見ようと裏に回ろうとしたところ防犯ブザーがけたたましく吹鳴した。神社で初めての経験。「児玉石」の盗難防止か。本殿の屋根には真田の「六文銭」があり、千木も鰹木もなかった。

10:00-11:00

竹原笹塚古墳

玉依比売命神社参道入口から竹原地区方向に傾斜地を上ると竹原笹塚古墳がある。道路脇の案内標識が草に覆われ見落としてしまった。向こうに見えるのが有名な「皆神山」である。

10:00-11:00

案内板では「屋根形天井のある石室古墳は、長野盆地周辺に30余基あるが、当古墳の石室は規模が最も大きい。成因については、百済の公州所在の古墳中に相似の構造を持つものがあることから、朝鮮半島との関係が推察され、造営は古墳時代後期の6世紀半ばのものと考えられている」としている。

10:00-11:00

草に覆われた古墳上部。合掌形の石が恐竜の背中のようにうねっている。

10:00-11:00

南方の開口部側から見たところ。古墳上部の祠へ上るためなど石垣も大部積み替えられた様子。草を刈れば長野県最大の合掌形石室の奥行きがわかるのだが。(竹原笹塚古墳のレプリカが長野市立博物館にあり必見)

10:00-11:00

妻入りとも見える石室は、妻入りで撞木造りといわれる縦長の善光寺本堂の建物を彷彿とさせる。石室はほぼ北の方角を向いているがやや西寄り。

11:00-12:00

竹原地区から更に斜面を上ると菅間(すがま)地区となる。清滝観音堂への案内看板などがある。周辺はアンズ畑である。正面の山は奇妙山。「菅間」の「スガ」は「蘇我」でもあり蘇我氏ゆかりの名だ。奈良の橿原市曽我町にある古代豪族蘇我氏の祖神を祀る「宗我坐宗我都比古神社」は「真菅(ますが)」と呼ばれる地区にあるが、この地は「菅間」である。なお、この山の後方には菅平もある。

11:00-12:00

松代東条のあんず

長野市

「松代東条のあんず」を   >

菅間王塚古墳手前のアンズ畑。周防柳の「蘇我の娘の古事記(ふることぶみ)」の中に「百済人はアンズを好み、唐人は梅を好み、倭人は桜を好む」との一文があるが、北信濃はまさにアンズの里であであるから百済人の里であったのか。古墳へは右手に見えるお寺(明真寺)を迂回しドッグランのある公園に駐車した方がいい。

11:00-12:00

菅間王塚古墳

県指定史跡。長野県最大の積石塚古墳。円墳で直径が34m、高さ6.7m。底部に屋根形天井の合掌形石室があり内部の四壁が朱に塗られていたとのこと。石室を石で覆う積石塚古墳である。先ほどの竹原笹塚古墳も元はこのような状況だったのか。

11:00-12:00

墳丘上には割石積み竪穴式石室があり追葬のもの。石室は真北から少し西の尼巌山に向いている。

11:00-12:00

古墳上部から長野市街地方向を見る。右手の山は尼巌山。左手奥の雪を残すのは白馬連峰。

11:00-12:00

雪を残す北アルプス。左から鹿島槍ヶ岳、五竜岳、白い唐松岳と八方尾根、右端は白馬鑓ヶ岳。中間の丘陵地の白い部分は安茂里地区の石灰岩の白土。やはりアンズの里。古墳の被葬者もこの素晴らしい風景に埋葬されることを望んだだろう。

11:00-12:00

ドックランの駐車場から狭い道を上ると清滝観音堂に至るが駐車場はない。岩沢地区から広い道を上ると上記の案内看板がありここに車を駐車する。観音堂の建物は見えているが獣除けの電気柵があり入れない。道路を歩いて下り迂回する。

11:00-12:00

明真寺清滝観音堂

長野市

「明真寺清滝観音堂」を   >

境内も雑草が伸び荒れた様子。建物は立派なものだが。

12:00-13:00

観音堂から更に山道を上ると清滝阿弥陀堂の案内看板がある。陶芸家の工房もある。ここに車を駐車。

12:00-13:00

清滝阿弥陀堂

山側の参道を少し上ると阿弥陀堂となる。京都の清水寺のように舞台がせり出している。樹木が伸び視界はないが、創建当時は眺めのいい場所ではなかったか。

12:00-13:00

阿弥陀堂の前に鳥居と階段があり、上部には男根様の石碑がある。隷書でわからない字があるが「(龍)精之碑」か。

12:00-13:00

石碑の右方の崖を見上げると柱状節理の岩盤からまさに精霊のように降る清滝。岩だらけの奇妙山に降った雨が僅かな量の滝となって静かに落ちている。東条の斜面に暮らした人々にとってまさに命の水で聖水だっただろう。

12:00-13:00

柱状節理の岩盤に木の根がうねるように伸び、石碑も自然と落ちた岩を利用したのではないかと思わせた。積石塚古墳も豊富な岩があればこそ。

13:00-14:00

清滝阿弥陀堂付近からの眺望。手前の山の先が天王山で麓に玉依比売命神社がある。電柱のトランス部分が妻女山。松代藩からは佐久間象山など信濃を代表する偉人が輩出しているが、雄大な北アルプスが大きな人間を育てたとも思える。なお、中間の丘陵地の正面あたりに、川柳将軍塚(前方後円)、姫塚(前方後方)の古墳初期の二つの古墳がある。

13:00-14:00

更に道路を上がると奇妙山に至る稜線が望める。岩山であることがわかる。奇妙山周辺に積石塚古墳が集中しているが、副葬品から渡来人と結びつける「大陸墓制説」もあるが、豊富な岩から「環境自生説」も納得が行く。千曲川左岸の古墳が地名から渡来人が居住したと思われる地域でも土石混合墳が多く、完全なる積石塚古墳は見られない。

14:00-15:00

桑根井空塚古墳

一端藤沢川まで降り、皆神山の裾野の市道を地蔵峠方向に向かうと豊栄の桑根井地区に桑根井空塚(そらづか)古墳がある。道路から少し東の畑に入るが、こんもりした木立が古墳とわかる。6世紀から7世紀前半の積石塚古墳で、横穴式の合掌形石室が残っている。古墳ではあるが、付近の方3軒くらいの墓でもある。

14:00-15:00

合掌形石室入口には石の観音像のようなもの置かれている。竹原笹塚古墳より入口は大きい気もする。奥行きもありひんやりした空気が流れてくる。古墳の東側、上部は墓地となっている。

15:00-16:00

皆神山

桑根井空塚古墳の目の前は皆神山である。周辺にも積石塚古墳が点在し松代大本営皆神山地下壕の入口がある。この山そのものが古代のピラミッドだったとする説もありパワースポットとして訪れる人も多い。1965年8月から2年間にわたりこの山を震源とする群発地震が発生し、世界で初めて地震に伴う発光現象が撮影された。地震に伴う湧水もあり塩素を含んでいたため田畑に影響を与えた。皆神山はトロイデ火山であり、頂上の火口部分にゴルフコースが作られている。古くからの信仰の山であるが。

15:00-16:00

加賀井温泉一陽館

国民宿舎松代荘の東にある知る人ぞ知る秘湯「加賀井温泉一陽館」。明治時代からの温泉で建物が老朽化しており入るのを躊躇してしまうが、混浴の露天風呂のドロのような温泉が身体にいいと通う常連も多い。角質化した踵がぽろぽろとれる。女性は水着で入る人もいるが裸の人も。松代群発地震の頃は湯量が増えたようだが、現在は露天風呂の湯量は少ない。源泉の吹き出しは地球の鼓動のようである。鉄分が多いためか白いタオルが茶色く変色するするのは覚悟したほうが。内湯は男女別にあり、熱めで透明な湯がとうとうと出ている。源泉掛け流し。ぬるめの露天風呂に1時間、内湯に5分。

2日目2019年4月30日(火)
08:00-09:00

如是姫

長野駅善光寺口にある如是姫の像。善光寺縁起ではインドのビシャリ国の無信心な長者月蓋(がっかい)の娘如是である。国中に熱病がはやり娘もかかってしまい、お釈迦様に救いを求めたところ西方の極楽浄土にいる阿弥陀如来を招くよう念仏を唱えることを教えられるとの物語である。

08:00-09:00

妻科神社

長野市

「妻科神社」を   >

県庁の西北にある妻科神社の祭神は八坂刀売命 (やさかとめのみこと)で、建御名方富命彦神別神(建御名方神)の后(きさき)神である。一説には建御名方神の御子神の妻科比売命(つましなひめのみこと)が祭神とも。(6/18 撮影)

08:00-09:00

妻科神社

長野市

「妻科神社」を   >

妻科神社の茅の輪。茅(ち=かや)とは、茅萱(ちがや)菅(すげ)薄(すすき)などの総称で、この輪をくぐり越えて罪やけがれを取り除き、心身が清らかになるようにお祈りするもの。「スサノウ」と結びつけるものもある。(6/18撮影)

08:00-09:00

加茂神社

加茂神社。由緒書では、「御祭神:玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)。善光寺如来遷座の折、如来の輿を担ぎし者この地に居住・開墾し加茂神を奉齋したと成す説と、天安2年(858)大本願第33世宝林上人が京都より赴任の際守護神である賀茂御祖神社(下鴨神社)の御分霊を当地に祀り、供奉した者が草分け・・」とある。同じ玉依比売命でも、松代東条の祭神と賀茂神社の祭神は別系統らしいが、海人系の女神であることは間違いない。大本願との縁故から、大本願上人が秋季例祭に参拝されるようで、仏教者が神社の祭日に拝礼することは全国的にも珍しい例とのこと。

09:00-10:00

善光寺大本願

案内パンフに「皇極天皇の命により蘇我馬子の娘である尊光上人を開山上人とし、代々尼公上人により継承され・・」とある。蘇我入鹿を暗殺した黒幕の一人が皇極天皇との説もあるが、その天皇が馬子の娘を開山上人に命じた理由はなんだろう。こちらでは蘇我氏が表に出ている。開山の「尊光」だが、「善光寺」の「善」も韓国語では「ソン」と読み同じくなる。天照大神や卑弥呼など、女性を神聖な霊的なもの、呪術的な象徴として奉ることが、新羅の「善徳女王」などにもあるが、女性の上人(しょうにん)を継承してきた大本願は古来の名残りかもしれない。善光寺縁起では地獄に堕ちる皇極天皇を助ける本田善光と息子の善佐(よしすけ)の物語がある。創作が平安末期のようだが、「地獄に堕ちる天皇」を創作・語ることを許した背景があったのか。助けられた皇極天皇の勅願により善光寺が現在地(当時は水内郡芋井の地)に創建されたことになっている。「日本書紀」では朝敵の大悪人とされ「馬子」と「入鹿」で「バカ」とまで蔑まされた名前にされている「蘇我氏」を語ることができた大本願には、皇室・藤原氏も一目を置かざるを得ない何かがあったのか。歴代の上人様は五摂家から入山されているようだ。

09:00-10:00

大本願の水子地蔵。毎月23日に水子や幼くして亡くなった子供の供養をしてくれる。多くの女性が訪れるようだ。

09:00-10:00

大本願の「ひとにぎり地蔵」。これは新しく作られたお地蔵さんのようだが、かわいらしいので女性に人気のよう。大本願の線香の灰なども釉薬にしているようだが、作っている方が松代町東条の陶芸家と聞き、何かの糸に引かれて来たように思えた。

09:00-10:00

善光寺(長野県長野市)

長野市

「善光寺(長野県長野市)」を   >

中世、多くの寺院が女人禁制であった中で女性に開放されていた善光寺。参詣者の半数が女性であったらしい。内陣には「御三卿の間」があり、開山である本田善光像とともに妻の弥生御前の像が祀られている。弥生御前の像は右膝が立て膝となっており、「朝鮮の宮廷女官の風習で渡来人ではなかったのか」とのこと。善光寺縁起では百済から日本に渡る阿弥陀如来を慕い百済の女官が海に飛び込み後を追う図がある。百済落城の女官入水の物語と重なってくる。

09:00-10:00

善光寺(長野県長野市)

長野市

「善光寺(長野県長野市)」を   >

撞木造りと言われる善光寺。妻入りの縦長の建物は合掌形石室古墳そのもののよう。寺の造営とともに古墳が終焉したが、死者を祀る形式が継承されたよう。善光寺の本尊である一光三尊阿弥陀如来は、百済の聖明王から欽明天皇に贈られ蘇我稲目が護ったもので日本最古との伝承であるが、秘仏として誰も見たことのない不思議なもの。

09:00-10:00

善光寺(長野県長野市)

長野市

「善光寺(長野県長野市)」を   >

善光寺本堂北側にある徳川家大奥供養塔。善光寺では、江戸両国の回向院などで出開帳を行っているが、大奥にも前立本尊などを運び供養を行ったよう。その他、女人救済の寺であった善光寺では多くの女性達の物語が絵解きなどと共に語り継がれている。

1日目の旅ルート

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