Shotaさんの静岡県の旅行記

山中城から駿府城址、掛川城、浜松城へ
- 1日目2019年2月14日(木)
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13:00-14:00
山中城は永禄期(1558-70年)、北条氏康により小田原本城の西方防備のため築かれたと考えられている。典型的な戦国期山地城郭であり、一峰式山城に属す。『日本城郭大系 9』土塁、空堀、曲輪などが残っている。
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13:00-14:00
西の丸から見た障子堀。城跡全体がみごとに発掘、再現、維持・管理されている。丁寧に土を盛り、芝生が植えてあって、史跡の維持のため労力を惜しまないことに頭が下がる。
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13:00-14:00
山中城址
西の丸障子堀。障子の桟(サン)のようにみえることから。畝と底の落差はかなりあり、簡単には登れそうもない。丁寧に再現・保持されている。
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15:00-16:00
駿府城は天正17年(1589年)徳川家康により築城。『日本城郭大系 9』現在残っている中堀や外堀、石垣などを見てもこの城郭の規模の大きさが分かる。
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15:00-16:00
駿府城址
家康は天正14年(1586年)浜松城から未完のこの城に移っている。『日本城郭大系 9』規模の大きさは、家康が隠居して住んだことからも納得。
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17:00-17:00
掛川城は今川氏の重臣、朝比奈泰能により永生9年(1512年)頃築城と伝わる。『日本城郭大系 9』東海道の重要拠点、逆川の崖上に復元された木造天守閣は、城下町掛川の中心である。
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17:00-18:00
浜松城は前身の引(曳)馬城を基に永禄13年(1570年)家康が新たに築いたもの。岡崎城と並んで「出世城」として名高い。『日本城郭大系 9』復興天主閣は郷土博物館となっている。
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17:00-18:00
浜松城 石垣
野面積みの石垣が残されており、往時を偲ばせる。石垣の組み方は城によって違うが、和歌山城のものに似ているように思える。
山中城から駿府城址、掛川城、浜松城へ
1日目の旅ルート
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