やんまあさんの三重県の旅行記

◆三重F抜粋◆三重の国宝・重文・秘仏集合!MieMu 三重県総合博物館『第25回企画展・開館5周年記念特別展 三重の仏像〜白鳳仏から円空まで〜』
- 1日目2019年10月4日(金)
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三重の美仏は事前予約や秘仏など時間を掛けて見仏するしかなく、京都・奈良・滋賀などと同じノリで見仏できない。三重といえば伊勢で仏像のイメージはないかもしれないが、全国で第9位の国宝・重文の仏像がある。快慶仏と言えば新大仏寺のみだったが、2体ほど快慶工房の仏が見つかったそうな。
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■快慶作を持つ安楽寺とは?■三重県松阪市・安楽寺の「阿弥陀如来立像」は快慶作という噂がある。2017年4月の奈良国立博物館編『特別展 快慶―日本人を魅了した仏のかたち―』に「未出陳快慶作品」として記されたのが初出だったと認識している。その足?銘の写真から「巧匠法眼快慶」と判読できると記載されている。今回、見仏したがたぶん、快慶工房には間違いないく、快慶と言われても納得はできる。墨書の写真から確かに「功匠 法眼快慶」と文字が浮かび上がって来そうな気がした(笑)。次に「地蔵菩薩立像」は快慶作ではなく、よくて快慶工房という感じだ。顔の頬に違和感を感じる。顔を見ると運慶工房かもと思ったが、衣の長さが地面すれすれで、頭が丸いので運慶派ではない気もする。(理由は大報恩寺の十大弟子で言うと、衣が長く&頭が丸いのが快慶工房、衣が短く歩きやすく&頭が凸凹なのが運慶工房であることは分かっている。by東京国立博物館「大報恩寺展」より)。若干、藤田美術館の地蔵菩薩立像を思い出すと快慶かもと思わせるが。。最後にこの地蔵菩薩は奈良・眉間寺にあったことが墨書よりわかっているそうだ。この眉間寺は奈良の東大寺に属する寺で、今はもうない。また、この地域は、東大寺領だったことからも慶派の誰かが作ったのは確かだと思う。
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■謎の仏師「浄慶」とは??■鎌倉後期から室町の仏師で和歌山・すさみから三重・熊野あたりで活躍した仏師のようだ。「慶」が付くことから慶派を匂わすが、運慶工房・快慶工房の仏師には見えない。ただし、丹波・達身寺の工房は快慶の繋がりがあるように、慶派と繋がりがあるのかもしれない。No.46「薬師如来坐像@尾鷲・真厳寺」、No.62「阿弥陀三尊像@和歌山・持宝寺」が作例である。No.47「阿弥陀如来立像@重文」が浄慶作かも。
- 2日目2019年10月5日(土)
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東大寺など古刹に多い「誕生釈迦仏立像」が展示されていた。多くの誕生仏は天に突きさすような右手を上げているのだが、ここは頭の上に巻き付けている。そう、ラジオ体操風味である。
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「阿弥陀如来立像@重文」が展示されていた。奈良・京都の寺にいてもおかしくない仏像で、体型ががっちりしているので、元々は薬師如来立像だったのではないかと疑ってしまった。
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瀬古区
津市瀬戸区よりNo12「十一面観音立像@重文」が登場。パッと見た瞬間、京都・醍醐寺、滋賀・延暦寺と古刹に必ずいる平安時代前期のズングリムックリ十一面観音立像である。都の仏師作かと思われる。またNo.29「薬師如来坐像」と平安仏が多く持っていたらしく、それだけに寺がなくなったのは残念だ。
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津市の寺で「別所の観音さん」と呼ばれる。小さいながらも存在感が強い「千手観音立像@国宝」で、津市瀬戸区より「十一面観音立像@重文」と対なのではと思う所。
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伊勢に近く、内宮の荒木田氏所縁の地のため、神道中心と思いきや、仏像が多く残る地域で「普賢菩薩坐像@重文」がある。この仏像は、写真で見ると京都の仏像にいそうだが、奈良に近い南山城に多い腰がキュッと絞られた観音菩薩との認識だったが、結構、体格の良いどっしり体型にびっくり。釈迦三尊の脇侍で、象に乗り合掌することが多い普賢だが、持仏を持っていたり、貴重な仏像だそうだ。
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「男神坐像@重文」が展示されていた。熊野三山とは違う系統の神像で、どちらかというと京都・松尾大社の神像に近い。三重の伊勢神宮北側に神像が残っているのにびっくりした。
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光善寺
中央に「薬師如来坐像」で脇侍に「日光・月光菩薩立像」を率いる薬師三尊が展示されていた。元々は薬師堂に安置されていたが、廃寺となり光善寺に移されたそうな。本尊は都の外れに居そうな薬師如来で、脇侍は醍醐寺などに多い、シュッとしているよりも、ガタイのよい観音様。
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螺髪はないが、袈裟の衣やバランスが良く重量感がある「薬師如来坐像」が展示されていた。松阪市の中で大日如来など数多くの仏像を安置している寺。
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西盛寺
三重県伊賀市三田1547。「さいせいじ」と読む。もと常住院という大きなお寺があったが戦国時代に焼失し、15世紀末に、天台真盛宗の開祖、真盛上人の弟子の真範尼によって再興されて、西盛寺としたという。「薬師如来坐像@重文」は首が太く体型もしっかりした仏像。
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津市にある寺で本尊は「馬頭観音」だが、「金剛界式大日如来坐像@重文」が展示されていた。鎌倉時代以降は円成寺で運慶が、石山寺で快慶が金剛界式大日如来坐像を作ったので、大日如来は鎌倉時代作からのイメージが強いが、平安の仏像はあり、ここは平安の大日如来代表と言えるかも。また、「阿弥陀如来坐像@重文」は優しいお顔で、浄土信仰の中心に大事にされた仏像であろうと想像させる。
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像高20cmぐらいの「銅造如来座像@重文」は湖北の仏像にそうな仏像。重文なのは平安時代には珍しいブロンズ製で、銅に微量の錫を加えた合金でできているからだと思われる。 最後に、平安時代から伝わる「十一面観音立像」も展示されていた。173センチの大きさで、頭と体のほとんどをヒノキの一材で造り出した一木造。太い腕やがっしりとした下半身など全体的に重厚な造形で、おそらく地元で制作されたもののようで、独特の御顔立ちが忘れられない。 最後に「仏頭」も展示されていた。東大寺の仏頭は運慶、新大仏寺の仏頭が快慶と比べてもなかなかの仏頭!侮るなかれ!
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「虚空蔵菩薩坐像@重文」は33年に一度の御開帳の仏像で2017年に御開帳したところだが出開帳した。寺内では薄暗く、周りに仏像が居たため、じっくり見仏できなかったが、今回はじっくり見仏できた。
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伊賀市の金毘羅神社にある芭蕉句碑の横に不動寺がある。平安時代の旧式様式の「不動明王立像」は、なかなかの雰囲気がある仏像。三重は密教系が流行らなかったので、明王・天は少ないが、伊賀に来ると京都・奈良の道でもあるので都仏師などがいきなり現れる。もしかしたら、そのうち重文になりそうな気がする不動明王である。
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「持国天立像@重文」「多聞天立像@重文」を見た瞬間、奈良の大安寺などに居てもおかしくない仏像に感じた。元々は神仏習合で「伊奈冨神社」に安置されていた仏像で一木造りである。もしかしたら、倒れた御神木などで作成したのかもしれない。次に「薬師如来立像@重文」も展示されていた。こちらも一木で、頭より下は室生寺式の衣文と思わせた。「深沙大将立像」も注目!横蔵寺と同じくオモシロ系の顔です。
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聖徳太子所縁の寺で、丈六仏画が4体があったが3体は焼失して、残りの「薬師如来坐像@重文」が展示されていた。寺では本尊に向かって右側に安置されている。この仏像は納入物が残っており、蘇我側の聖徳太子に所縁の寺でありながら、願主は物部姓の女性であるのが面白い。やはり、物部は蘇我と仲が良かったのか?蘇我から物部に嫁いだのか?
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「薬師如来坐像@重文」は明治時代に廃寺になった「三津定泉寺」の本尊で、今は宝物館で安置されている。墨書が見つかっており、内宮の宮司である荒木田氏と外宮の宮司である渡会氏が願主となっている。そう、神仏習合が確実にあったとわかる貴重な資料でもある。
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数年前、お堂の外から見仏したのだが、やっと間近で「阿弥陀如来坐像@重文」を見仏できた。こう見ると現在の伊賀市辺りは平安時代である一定の仏像があったことがわかり、重文が多いことから、金を持ちよい仏師に発注できる豪族がいたことがわかる。
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観音寺に続き、市場寺の「阿弥陀如来坐像@重文」登場!京都南山城に多い顔のコワモテ系の顔で目線は下で、近くから拝む様式と思わせる。衣文などは定朝様を踏襲している。奈良の南都七大寺で安置されていても、誰も違和感を感じないすばらしさで、一説では定朝作と言う専門家もいるそうだ。そして、なんといっても「四天王@重文」だ!ここの仏像の仏師は誰だ??そして四天王は一木とのこと。やはり、滋賀・甲賀も含め、仏像に必要な大木が多くあったのだろう。それで集まったお金で良い仏師を雇えたのかもと思った。
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伊勢神宮内宮の背後にある山の寺。アマテラスは大日如来の化身、アマテラスの本垂は十一面観音立像で長谷寺では脇侍になっている「雨宝童子立像@重文」を安置する。この関係はたまたまか?面白いのは頭に宝塔を乗せているのだが、多宝塔と言えば金剛界式大日如来である。アマテラス繋がりのこのダジャレ感満載の暗号に気づいた!?
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以降、鎌倉時代の仏像
以降、鎌倉時代の仏像
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善教寺
四日市市南富田町7-3。一瞬、快慶?と思わせた三尺「阿弥陀如来立像@重文」が目に入る。そのうち、快慶?行快?など快慶工房のものとされるかも。
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名張市にも「極楽寺」があるので間違えないように。ここには本尊秘仏の御前立として活躍している「善光寺式阿弥陀三尊」が安置されている。墨書より1289年作となっているが、今では墨書から年代は見えないようになった。
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安楽寺
三重県松阪市・安楽寺の「阿弥陀如来立像」は快慶作という噂がある。2017年4月の奈良国立博物館編『特別展 快慶―日本人を魅了した仏のかたち―』に「未出陳快慶作品」として記されたのが初出だったと認識している。その足?銘の写真から「巧匠法眼快慶」と判読できると記載されている。今回、見仏したがたぶん、快慶工房には間違いないく、快慶と言われても納得はできる。墨書の写真から確かに「功匠 法眼快慶」と文字が浮かび上がって来そうな気がした(笑)。次に「地蔵菩薩立像」は快慶作ではなく、よくて快慶工房という感じだ。顔の頬に違和感を感じる。顔を見ると運慶工房かもと思ったが、衣の長さが地面すれすれで、頭が丸いので運慶派ではない気もする。(理由は大報恩寺の十大弟子で言うと、衣が長く&頭が丸いのが快慶工房、衣が短く歩きやすく&頭が凸凹なのが運慶工房であることは分かっている。by東京国立博物館「大報恩寺展」より)。若干、藤田美術館の地蔵菩薩立像を思い出すと快慶かもと思わせるが。。最後にこの地蔵菩薩は奈良・眉間寺にあったことが墨書よりわかっているそうだ。この眉間寺は奈良の東大寺に属する寺で、今はもうない。また、この地域は、東大寺領だったことからも慶派の誰かが作ったのは確かだと思う。
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東大寺別所の東担当の寺に快慶作の仏像があるが、実は顔だけ残って、体は後世のものである。墨書には重源と「大仏師安阿□」と記されており快慶作とわかり、墨書から快慶工房作の大仏である。現在は「如来坐像@重文」として安置されている。「俊乗上人坐像@重文」と「僧形坐像@重文」もあり、東大寺別所だけある仏像群。
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大きさは足りないが、本尊がいれば京都・三千院の脇侍に居ても違和感のない佇まいの観音で、墨書より「院春」とあり京都・院派の仏師作は確実だそうだ。慶派、院派とやはり京都繋がる仏像が多い地域だ。
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「地蔵菩薩立像@重文」を見てびっくり!おたま観音やん!!と思ったが、下は履いているので裸形地蔵菩薩という所か。元々は服を毎年、いや天皇が変わるごとに着せ替えていたと考える。これは京都・広隆寺、奈良・伝香寺などと同じ風習があったと妄想する。
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以前寺で見仏したときと印象が変わる。院派仏師作「愛染明王坐像」は奈良・西大寺などと比べ大きく、今まで見た愛染でも大きい方で、京都・禅林寺こと永観堂の愛染ぐらい良い!と思ったが、ちょっとトーンダウンした感じがする。さて、元々は伊勢神宮の外宮近くにあった寺らしい。
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南陽寺
おお〜今回の展示会で一番気に入った「宝冠釈迦如来坐像」で京都・円派仏師作のようだ。
- 3日目2019年10月6日(日)
◆三重F抜粋◆三重の国宝・重文・秘仏集合!MieMu 三重県総合博物館『第25回企画展・開館5周年記念特別展 三重の仏像〜白鳳仏から円空まで〜』
1日目の旅ルート
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