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やんまあさんの滋賀県の旅行記

◆滋賀湖北C◆[観音の里ふるさとまつり]で秘仏・美仏・国宝・重文公開!異形[千手千足観音]初見仏(長浜)

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作家・井上靖や随筆家・白洲正子も愛した観音菩薩が多い「観音の里」の見仏は、原則、予約必須が多いが、湖北で秘仏を一斉公開する「観音の里ふるさとまつり」というのがある。そこには昔からこの地域の人が守り続けた観音様がいた。そして、それ以上に、オモテナシがある温かい地域で、人が魅力的な地域でもあった。また、高野之祝、雨森氏、大和氏、井口氏、磯野氏、物部氏 、赤尾氏など豪族が腰を下ろした地でもある。※現在、本尊の写真撮影禁止の寺が増えているので注意!※ 湖北の山奥にある寺や、この地域の秘仏公開は過去旅行記『◆滋賀湖北A◆向源寺vs石道寺の十一面観音見比べと33年に一度の御開帳!東林寺!!(https://www.jalan.net/travel-journal/000050789/?screenId=OUW2209)』参照。

神社ツウ やんまあさん 男性 / 40代

1日目2019年10月19日(土)

観音の里ふるさとまつり

長浜市

湖北と言えば「十一面観音立像」をイメージする人が多いかと思う。十一面観音は、鶏足寺(己高閣収蔵)、石道寺@重文、医王寺@重文、向源寺@国宝、西野薬師堂@重文、大浦十一面腹帯観音堂、善隆寺(和蔵堂)などに多く安置されている。個人的には、湖北は若狭も入れて「馬頭観音」が多い地域でもある!長浜市に6体あり古くから「横山大明神」という神が信仰されており、横山大明神の本地仏を馬頭観音とし、平安末期から鎌倉初期にかけて制作されたものが多い!具体的には、鶏足寺、横山神社、徳圓寺、大谷山大通寺の宿坊・成円坊の本尊だった山門公民館(山門自治会)、高庵(ここうあん)などに安置されている。

観音の里ふるさとまつり

長浜市

オススメは向源寺「十一面観音立像@国宝」、石道寺「十一面観音立像@重文」、黒田観音寺「伝十一面観音立像@重文(准抵観音)」、赤後寺「十一面観音立像@重文」「伝菩薩立像釈迦如来立像@重文(薬師如来立像)」、徳圓寺「馬頭観音立像(足の裏全見せ馬頭)」、西野薬師堂「十一面観音立像@重文」&正妙寺「千手千足観音立像」

2日目2019年10月20日(日)

つるやパン

長浜市

「つるやパン」を   >

地元で60年以上愛されるパン屋さんで、有名なのはコッペパンにたくあんが入った「サラダパン」。最近テレビで取り上げられている気がする。関東ではまだ知名度なさそうですがね。

西光寺

長浜市

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滋賀県長浜市木之本町田部188。「さいこうじ」と読み、2019年「観音の里ふるさとまつり」で、「十一面観音立像」が開帳されていた。伝教大師・最澄作と伝えられ、作者は東林寺と同じ感じがする「ゆるかわ系聖観音」である。

鶏足寺(旧飯福寺)

長浜市

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現在は己高閣・世代閣に仏像を安置しており、紅葉の名所の寺。元々は己高山頂にあった観音寺の別院。本尊は「十一面観音立像@重文」だが己高閣に安置している。

己高閣・世代閣

長浜市

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雰囲気が法華寺の国宝十一面観音だなと思いました、ここの十一面観音も右足の親指が上がり腰をくねって、歩き出すところを表現している。注目は七体薬師如来立像で、七体勢ぞろいは千葉とここの2カ所しかなく、すべて立像なのはここだけです。保存状態もよく、すべて一木!!。

世代閣(戸岩寺収蔵庫)

長浜市

「世代閣(戸岩寺収蔵庫)」を   >

横に旧戸岩寺と神社が境内にある。ひとまず、大日堂に行くと、丈六に近いサイズの阿弥陀と大日如来が安置されている。薬師如来立像@重文、魚籃観音立像、地蔵菩薩立像などが安置され、神像が公開されています。浅井氏の書などもあり、歴史に精通している人も楽しめるかと。下半身がどっしりした薬師如来は金箔が残り衣文が綺麗だったんだろうと感じた。チーム薬師になっており見ごたえあり。ちなみに、魚籃観音立像は後世に改造され、元々十一面観音という噂もある。

石道寺

長浜市

「石道寺」を   >

現在より東に会ったが荒廃し、今の位置に復興した。井上靖氏曰く、村の娘さんのお姿で現れたと表現する通り、朱色の唇が目立ち、己高閣(鶏足寺収蔵庫)の十一面観音より好きな十一面です。ここも法華寺系の十一面に感じた。

木之本地蔵院

長浜市

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滋賀県長浜市木之本町木之本944。寺の歴史は古く、白鳳時代にさかのぼる。空海、木曽義仲、足利尊氏、足利義昭も参拝した記録がある寺。ひとまず、行ってみよう!と着くと、「秘仏展」とあった。ラッキー!160年ぶりに本尊裏に安置されている裏地蔵菩薩立像が特別公開された。また、500円の拝観料で、様々な宝物を公開。閻魔王立像、倶生神立像、釈迦如来、善光寺式阿弥陀如来三尊、金比羅大権現立像など安置されていた。一番のお気に入りは勝手に私が命名した「振り向き腰くねり毘沙門天立像」ですね、

北国街道 木之本宿

長浜市

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"木之本のお地蔵さん”で名高い木之本地蔵院の門前町は古風な景色が楽しめる。小腹が減ったので木之本地蔵院前の「角屋」へ!羊羹!官兵衛 家紋焼 !六方焼 など100円〜200円でバラ売りしてくれているのが有難い。ということで、どら焼きです!?

意富布良神社

滋賀県長浜市木之本町木之本488。黒田観音寺をナビにセットするとここに来た。「おおふら」と読み、なかなかよい感じの神社で、本殿も熱心な氏子がいることがわかる社である。祭神はスサノオ、オオムナチ、猿田彦神、八意思兼神などが祀られている。ということで、肝心の黒田観音寺は?と境内をブラブラしていると「田神山観音寺」との文字が。。違うとこか・・。でも、よい神社です!!

龍頭山大澤寺

長浜市

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滋賀県長浜市木之本町黒田178で、駐車スペースは2台のみ。。「だいたくじ」と読み、本尊は行基作「千手観音立像」で、賤ヶ岳の合戦の戦火により堂宇は焼失したが、観音は村人の手により余呉町坂口の「管山寺」に移され難を逃れた。その後、「黒田観音寺」に客仏とされたが、今は戻ったようだ。光明寺&高円寺と同じく可愛い系十一面観音立像で仏師はこの周辺と思われる。ここを参拝したら黒田観音もセットで行くべし!!ここから徒歩5分で黒田観音寺に着きます。この風景、奈良・明日香(飛鳥)と同じだ。

黒田観音寺

長浜市

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滋賀県長浜市木之本町黒田1811。本尊は「伝千手観音立像@重文」としている。”伝”が付くのは18臂であることと頭上に化仏がないことからである。つまりは「准抵観音立像」ということだが、准抵ならば、白毫ではなく第三の目になるので、確定しきれない。仏像の感想は美仏だ!!腕が特異な格好になっており、根が複雑に絡み合った御神木をそのまま仏像にしましたという感じがする!!!!最後に、この准抵観音は作例が少なく、代表的なのは京都・醍醐寺、京都・大報恩寺、高野山・准胝堂ですね!

黒田安念寺

長浜市

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滋賀県長浜市木之本町黒田2052(長浜市木之本町黒田2027)あたりで駐車場はないため、どこかの空きスペースに置くしかないので、車の参拝は要注意!藤原不比等による陰謀で流された詳厳法師創建の寺。3つの観音開きの扉に奈良時代の破損仏10体が安置されている。藤原氏一族の寺であることからも七堂伽藍を持つ大寺であったとされる。信長により兵火により多くの伽藍が焼失したが、仏像は信仰篤い村の人々が川底や田の中に埋めて守ったと伝わっている。そのため、保温状態は悪いのだが、歴史を背負った仏像であるので一見すべし。奈良・唐招提寺、兵庫・達身寺と破損仏マニアは必須!!

大音千手堂

長浜市

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滋賀県長浜市木之本町大音で、伊香具小学校の裏にある山にある。言い伝えによると兵火を逃れる為に本尊の千手観音を川に沈めたが、その後、行方知れずとなり若狭から現在の本尊である千手観音像を購入し本尊としたという。そして、行方知れずであった旧本尊は今は川道にある「千手院」の本尊(2012年11月ご開帳した秘仏)と伝わる。現在の本尊は真っ黒な躰に赤い口元が特徴的でふっくらとした母親のような温かさが伝わる。その赤く塗られた口元がまるでプチ外出時の母の化粧をした姿。

北布施観音堂(伝塔寺)

長浜市

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滋賀県長浜市木之本町北布施316。伝教大師・最澄が創立し、神仏習合時代は己高山にあった伊香具坂神社の神宮寺であったと伝えられている。ご本尊の聖観音菩薩像は、もとは余呉川の畔にあった伝堂寺という寺に祀られ「子宿仏(こやどぼとけ)さん」と呼ばれていた。

赤後寺

長浜市高月町唐川1055で「しゃくごじ」と読む 。「十一面千手観音@重文」は42本の腕のうち残るは12本だけで頭上は十一面もない。「聖観音@重文」も手首から先がない仏像だが、存在感や衣の流れ、顔から奈良・京都の寺にいても違和感のない美仏であるだけに手がないのがおしい。これは戦国時代の負の遺産と言える。この二尊はコロリ観音と呼ばれ、足柄と像底に「久留弥多大名神」「御本地」と書かれた墨書がある。これは、久留弥多神の本地仏であることを示し、長命寺薬師堂と関係があることを指す。ということで、長命寺薬師堂と赤後寺はセット。

赤分寺

長浜市高月町東高田で「せきぶじ」と読む。現在は無住職なので、地元の老人会が管理する寺だが、歴史は平安時代にさかのぼる古寺。本尊の十一面観音立像は、室町時代の作とみられる。最澄によって開かれたと伝えられるこの寺は、かつて足利将軍により朱印地を賜り、厚く庇護されたといいます。ただ、平安時代にもかかわらず仏像は新しい。。やはり、戦禍で焼失してしまったのかもしれない。。

横山神社

滋賀県長浜市高月町横山297。社伝によれば、第33代推古天皇の593年に、横山大明神が高時川上流にある木之本町杉野の滝のほとりにある杉の巨木に、白馬に乗って降臨した。現在の杉野本宮横山神社である。本宮横山神社は「大山祇命式内横山神社」として篤く崇敬されたという。祭神は、大山祇命・少彦名命・泉龍大神で、横山大明神と総称される。「高月観音の里 歴史民俗資料館」に預けられている馬頭観音像が里帰りし、拝観できる。この地方では古くから横山大明神という神が信仰されているのだが、横山大明神の本地仏は馬頭観音とされている。

ちゃんぽん亭総本家 高月店

長浜市

「ちゃんぽん亭総本家 高月店」を   >

湖北見仏の最大の問題は事前予約ではなく、昼食である!?ということでここで食すつもりだったが、妻が一言「ちゃんぽん嫌いなんだよね」と。。そ、そうなん、、結婚してそれなりに時が経ったが、初めて知った・・。今度、一人見仏で来よう。

光明寺

滋賀県長浜市高月町東物部717。もう一つ同名の寺があるが、こちらは物部氏の地である寺。原則、33年に一度の御開帳する行基作「千手観音立像」が安置されているのだが、「観音の里 たかつきふるさとまつり」の主旨に共感して、観音まつりの日のみ公開されるようになった。親しみやすい会ったことのある顔に、小さな48手で、衣文が綺麗です。最後に、境内にはこの寺の檀家(氏子)はすごいフレンドリーな方でお茶や飴ちゃんを頂いた。ありがとうございます。

乃伎多神社

「乃伎多神社」は滋賀県長浜市高月町東物部と高月町東阿閉があり、光明寺から西側に行くとすぐに鎮座している。祭神は意外や意外「誉田別命」「天造日女命」で、安曇連の裔族が定着し、その祖を祀ったと伝わる。

磯野寺

滋賀県長浜市高月町磯野530(529)に「赤見神社」があり、その境内に「磯野寺」がある。かつて神仏習合時代には、延喜式式内社赤見神社の神宮寺であったことによるもので、今もその名残として境内を共有している。磯野寺は聖徳太子が開いたと伝わる古刹で、赤見山磯野寺観音堂の縁起によれば、推古天皇の600年に赤見の境内に冷水が湧き出ていた。歳月は流れ、厩戸皇子(聖徳太子)が御臨幸になり「泉色青藍の如く、味殊に甘露の如し、是れ醍醐の水ならんか」と称し、泉の側の木を伐りて、観音像を彫刻し、一宇を建立し「赤見山磯野寺」と称し、自筆の法華妙典を奉納されたと伝えている。愛らしい十一面観音像を本尊としています。赤見神社が主の神社・仏閣だが、寺が目立っている感じがするのだが、神社の本殿を見ると横の彫刻が素晴らしいのに気付く。

普門寺

長浜市

「普門寺」を   >

滋賀県長浜市高月町松尾318。「ふもんじ」と読み、二尊様式の寺。さて、こちらの観音堂には、同じ厨子内に薬師如来と聖観音が並んで祀られている。本来であれば如来が本尊で、観音が脇侍だが、ここでは両方が本尊という扱い。元々は薬師堂と観音堂が並んで建てられていたそうですが、近年統合されてこのような形になったのだとか。

松尾寺

長浜市

「松尾寺」を   >

滋賀県長浜市高月町松尾59。普門山と称する天台宗の古刹で、松尾山中にある。創建はかなり古く、奈良時代後期に役行者が開基。平安時代前期の伊吹山寺三修の高弟・松尾童子の中輿と伝えられている。本尊は、祈願中に雲中より飛来したという「十一面観音菩薩」で、一般に「飛行観音」と呼ばれて、航空を含めた旅の守り仏様、また厄除けの寺としても知られている。他に、平安末期の「木造聖観音立像」や、鎌倉末期の「絹本著色浄土曼茶羅」、鎌倉後期の銘を持つ「鰐口」など多くの寺宝を所有しています。

西野薬師堂(充満寺)

長浜市

「西野薬師堂(充満寺)」を   >

滋賀県長浜市高月町西野1696。西野薬師堂と充満寺は同じ境内にあると思っていたが、厳密には西野薬師堂と正妙寺が同境内で充満寺は150mほど離れたところにある。充満寺は立派なお堂があり、遠くから見えていたのは、このお堂と思われる。三尺阿弥陀立像が安置されている(暗くて遠くて確実に見えなかったので間違っているかも)。

西野薬師堂(充満寺)

長浜市

「西野薬師堂(充満寺)」を   >

「薬師如来立像@重文」と「十一面観音立像@重文」を共に安置していることから「薬師観音堂」と呼ばれることもあるらしい。すぐそばにある充満寺に属し、ともに平安時代前期の一木造で、ほぼ等身大の立像である。西野薬師堂の薬師如来像は薬壷をもたず、手は指をねじって丸をつくっている来迎印なので阿弥陀如来のようでもあるが、そもそも両手先(両足先も)が後補であるので当初の像名は不明である。そのため、お堂でいただいたパンフレットでは伝・薬師如来とする。十一面観音立像@重文は、丸い顔や穏やかな表情、肩幅は広く、胸腹部の量感、裳の衣褶の表現など重量感溢れる像で、京都・南山城にいそうな十一面観音立像で美仏である!!

正妙寺

長浜市

「正妙寺」を   >

滋賀県長浜市高月町西野2025-1。西野薬師堂と正妙寺はセット!というか同じ境内にある。千本の手と千本の足を持つ「千手千足観音立像」という有名&唯一無二の仏像がいる。観音では馬頭観音と同じく憤怒顔で、額には縦に目を持つ三眼で、頭上には9つの化仏と大きな頂上面、右手に錫杖・左手に戟を持ち、脇手は左右17臂、脚は脇脚として左右19本が広がっているが、ち、予想以上に小さい。。でも人気者ですね。この仏像の元は天台系密教で確認されているそうで、経典通りだそうだ。

意波閇神社

「おはへ」神社と読む。祭神は「大鷦鷯尊」となっている。大鷦鷯尊といえば仁徳天皇。応神天皇ははじめ菟道稚郎子を皇太子にたてたが、応神天皇が崩じると菟道稚郎子は兄に即位をせまり、 以後三年間譲り合いが続くが、菟道稚郎子が亡くなると兄の大鷦鷯尊が即位した。 難波の高津宮に坐して、天下を治めた。

長命寺薬師堂

長浜市

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大森山にある普門寺から余呉川を渡ったところにある「東柳野」という集落。姫塚古墳という滋賀県最大の前方後円墳があり、この集落で守られてきた薬師は、毎月12日の夜19時から20時30分の間、開帳されるとのこと。39cmと小さい像高で鎌倉時代作にもかかわらず、金ぴかで新しいのは、御本尊の漆がはげて汚れが目立ってきたので専門家に相談し、修復してもらおうと預けたところ、修復するだけでなく金箔まで貼ってしまったそうな。。。薬師堂から道路を挟んで向かい側には、売比多神社(めひた)があり、祭神はトヨタマヒメで、相殿に久留弥多神(クロミタノカミ)が祀られている。この神様は、唐川日吉神社境内の観音堂にある赤後寺のコロリ観音の化身とのこと。

片山観音堂

長浜市

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滋賀県長浜市高月町片山31。琵琶湖に面した片山神社にある観音堂。十一面観音立像が琵琶湖を見下ろす形で安置されており、高台から湖上の安全を守る観音様として広く信仰を集めています。

竹蓮寺

長浜市

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滋賀県長浜市高月町西阿閉1487。「ちくれんじ」と読む。余呉川に流れていた像をひろいあげて安置したと伝わり、村人を災いから守ってくださるという流転の観音。珍しい聖観音坐像だが、宝冠と額の間の地髪部には如来の特徴がある螺髪がみられることや衲衣を着ていることから、密教系の特殊な仏「宝冠阿弥陀如来坐像」として造られたと考えられている。

東阿閉薬師堂

長浜市

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滋賀県長浜市高月町東阿閉1098。乃伎多(のぎた)神社境内にあり「ひがしあつじ」と読む。この地一帯は往古安曇の郷と称し安曇連の裔族が定着し、その祖を祀ったと伝える。浅井氏の家臣阿閉淡路守の庇護を受けていたが、賤ヶ岳の戦いの際兵火に失した。祭神は味饒田命で、ニギハヤヒの息子・宇摩志麻治命の長男であり、崇仏論争で蘇我氏と争ったことで有名な物部氏族・阿刀連の祖とする。薬師如来と聖観音が2尊形式で安置されている。そして、脇侍には西川きよし氏風味のトバツ毘沙門天立像と毘沙門天立像が安置されていた。

冷水寺

長浜市

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滋賀県長浜市高月町宇根281。行基建立の古刹だが、本尊「十一面観音坐像」は江戸時代作で鞘仏となっている。鞘仏とは刀の鞘(さや)から連想できるようにその中に胎内仏を納めた言わば外側の仏像のこと。

高月観音堂(大円寺)

長浜市

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滋賀県長浜市高月町高月。本堂には本尊「千手観音立像」だけでなく、両側に弁財天、薬師三尊、毘沙門天、不動明王像、地蔵菩薩像など多くの仏像が安置されている。これらの仏像は、この寺のものばかりでなく、毘沙門天像は円通寺のご本尊と言われ、京都鞍馬寺の毘沙門天像の分身とも言われている。また、薬師三尊像は栗原坊の本尊と伝えられている。 本尊の千手観音立像は、国宝や重文の指定は受けていないがとても肉感的で迫力のある姿で像高は154.2cmあり、室町時代の作だと伝わる。高月観音の里資料館にある釈迦苦行像はここの寺のものである。

渡岸寺観音堂(向源寺)

長浜市

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奈良県の秋篠寺「伎芸天@重文」、京都の願徳寺「如意輪観音菩薩半跏像@国宝」の顔が好きな人はここは必須であろう。ちなみに胎蔵界式大日如来も安置されている。境内は参道が長く、本堂も大きく落ち着きのある寺。皇室も度々来ているだけはある。

高月観音の里歴史民俗資料館

長浜市

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渡岸寺観音堂(向源寺)近くにあり、車はここの駐車場に置きます。「観音の里ふるさとまつり」の時は、故郷の寺へ戻る仏像があるので、御祭りのときは要注意!!2019年は「浄光寺」の宝物はここで公開された。

紫雲山 浄光寺

長浜市

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滋賀県長浜市高月町落川306。本尊「十一面観音立像」は親しみを感じる表情で、衣文は彩色・文様が綺麗に残っている、なにか違和感を感じるのは、身部が肌色で、唇は朱色だからか。脇侍には阿弥陀如来立像と薬師如来立像が狭い厨子に安置されている。なお、2019年10月は「高月観音の里歴史民俗資料館」で展示されていた。

柏原阿弥陀堂

滋賀県長浜市高月町柏原739。八幡神社境内奥の阿弥陀堂に本尊は安置されている。お堂は八幡神社の神宮寺として建てられ、明治の神仏分離のときに、境内の一番奥の場所に移されたそうだ。八幡神社の祭神は応神天皇で、源義家が東国下向の折にこの地に立ち寄り、男山八幡宮を勧請したと伝えられている。神宮寺である阿弥陀堂は、その後、後水尾天皇が造営した修学院離宮「林丘寺」の末寺として栄え、堂内の三厨子には「菊の紋章」を頂いている。本尊は平安時代作「薬師如来立像」で、厨子内に安置され、脇侍に日光・月光菩薩がおり、手前に小さな十二神将がガードマンとしている。名前が指す通り、他には「阿弥陀如来立像」が安置されている。

高野大師堂

長浜市

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長浜市高月町高野で、駐車場あり。大師堂に安置されている像は、院信作「伝教大師@重文(最澄)」の肖像と伝えますが、その姿から比叡山中興の祖・慈恵大師良源(元三大師)を表しているとみられる。薬師堂から道路を挟んで向かい側には、売比多神社がある。久留弥多神の神様は、唐川日吉神社境内の観音堂である赤後寺のコロリ観音の化身なのだそうです。赤後寺には、手先・化仏が失われた千手観音と聖観音が祀られていて、二尊あわせてコロリ観音と言われるが、その二尊の足柄と像底に「久留弥多大名神」「御本地」と書かれた墨書があるそうで、これは、久留弥多神の本来の姿(本地仏)であることを示している。主祭神は豊玉姫命から、安曇族との関係があるのかもしれない。

雨森観音寺

長浜市

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滋賀県長浜市高月町雨森1126。近江国湖北四家の一つとして知られる雨森氏の菩提寺。 江戸時代の儒学者・雨森芳洲はこの末裔です。織田信長 VS 浅井・朝倉の戦いの1つ雨森磧合戦で、この寺は天台宗という理由で織田方に焼き放たれていた。本尊はその時、越前の地に難を逃れていて、後で無事に帰ってきたそうですが、明治の火事で焼失。現在の本尊は村人が比叡山から勧請したもので、像高27cm、寄木作り、玉眼、漆箔仕上げの「清水寺式千手観音立像」である。脇侍も比叡山から連れてこられた仏像で、不動明王と毘沙門天となっている。

保延寺阿弥陀堂

長浜市

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滋賀県長浜市高月町保延寺282。保延寺阿弥陀堂のある場所には白山神社があり、かつては隣接する白山神社の神宮寺だったとういう説もあるようです。厨子の中には3体の「阿弥陀如来坐像」とその前には小さな「千手観音立像」が安置されている。阿弥陀如来は中尊と右が「定印」を結び、左は「来迎印」を結び、製作時代は中尊と右が室町時代、左が江戸期である。千手観音は東京上野で見仏したもので、像高17cmといわれる観音様は奈良の長谷寺から頂いたものと伝わる。寺内には白山神社もある。阿弥陀堂のある通りからもう少し北に上がった通りに、尾山釈迦堂というお堂があり、そちらも別の白山神社の境内にある。白山神社は京都や滋賀などではあまり見かけないが、白山により近い湖北地方に来ると白山信仰がよく根付いていたんのがよくわかる。

保延寺観音堂

長浜市

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滋賀県長浜市高月町保延寺398。御本尊の可愛らしい千手観音立像は戦国時代に湖北地域を治めた浅井氏ゆかりの像といわれ、大和国の長谷寺より移されたと伝わっています。

己高山 円満寺

長浜市

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滋賀県長浜市高月町井口122。「日吉神社阿弥陀堂」とも呼ばれ、中世では、比叡山延暦寺領の荘園・富永荘の預所で、己高山仏教の有力寺院-『惣山之七箇寺』の一つに数えられていた。本尊の阿弥陀如来立像は無視して、向かって左に「十一面観音立像」と「地蔵菩薩坐像」が安置されています。十一面観音立像は京都市内に居ていそうなよい感じの仏像である。地蔵菩薩坐像は奈良の香りを持つ仏像だった。最後に、神仏習合のシンボル「日吉山王二十一社本地仏」が安置されていたのですが、こちらは「高月観音の里 歴史民俗資料館」で展示されていました。

己高山 理覚院

長浜市

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滋賀県長浜市高月町井口117。浅井家の重臣・井口弾正経元の菩提寺。井口家は東を流れる高時川の水利を治めた土豪で、井口弾正経元は浅井三姉妹の曾祖父にあたる。理覚院は現在は庫裏を兼ねたような古民家の本堂と観音堂を残している。 観音堂には江戸時代の西国・坂東・秩父各札所の「うつし霊場」としての百体観音像が安置されており、中央には本尊である聖観音像を安置している。 その脇には十一面観音立像が安置されていたが、この像と百体観音の一部は現在、高月観音の里歴史民俗資料館に安置されている。

3日目2019年10月21日(月)

長浜北側

3日目以外の湖北の見仏は過去旅行記『◆滋賀湖北A◆向源寺vs石道寺の十一面観音見比べと33年に一度の御開帳!東林寺!!(https://www.jalan.net/travel-journal/000050789/?screenId=OUW2209)』参照。

医王寺(滋賀県長浜市)

長浜市

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井上靖は小説『星と祭』で、「清純な乙女の体がモデルに使われてでもいそうに思われる」と書いている。観音の里らしくひっそりとした山里に、とても美しい女性的な「十一面観音立像@重文」が安置されている。今は無住となり、この集落の方が交代で世話をされている。寺院の名前としてその昔は薬師如来が本尊であったように思えるが今はない。明治時代に栄観和尚が古物商から買い求め、この寺に安置したのがはじまりと伝えられている。ひと通り観音様のご説明を聞いた後は、須弥壇まで上がり十一面観音を目と鼻の先ほどの距離で拝見させていただける。井上靖の「星と祭」で「村の乙女の観音さん」と称されたのがこの医王寺の十一面観音である。ここの十一面観音は滋賀・向源寺@国宝、京都南山城・観音寺@国宝などと同レベル。美仏が多いが像高は約150センチの一木造で、平安前期のような古く力強い表現と、平安後期の形式化し穏やかになった風が違和感なく混在する魅力的な仏像である。 直立に近い姿勢だが、右足をわずかに遊ばせ、腰を左に少しひねっている。下半身は長く、プロポーションがよい。誇張のない自然な体つきで、胸や太ももはそれほど厚みを感じさせない。

全長寺

長浜市

「全長寺」を   >

滋賀県長浜市余呉町池原885。浄土宗の僧・全長が池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一宇を開き、全長坊と称したのが始まりとされる。見上げるような高い屋根を持つ本堂は重要文化財に指定されている。本尊は阿弥陀三尊。ここの見所は本堂やあじさいの有名であるが、境内脇に万福寺本尊の馬頭観音立象が安置されている。金彩豊かなその姿は忿怒相をした六臂の立像で、室町時代の作。

徳圓寺

滋賀県長浜市西浅井町庄1083。こちらも唯一無二の脚の裏見せし、三面三目八臂の「馬頭観音立像」が安置されている。鎌倉時代作でそれなりの仏師が造ったと思う。そういえば若狭・中山寺も馬頭観音坐像で足の裏見せしている仏像があり、西国三十三札所でも足の裏見せ馬頭観音を見た記憶がある。何か言い伝えがあるはずだが・・・。ネットで調べると平安時代の『別尊雑記』という図像集の中には両足裏を見せて座る馬頭観音像があるそうだ。本堂内には本像のほか、右に不動明王、左に毘沙門天が配されている。

◆滋賀湖北C◆[観音の里ふるさとまつり]で秘仏・美仏・国宝・重文公開!異形[千手千足観音]初見仏(長浜)

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