チャムンパスさんの山形県の旅行記

2020年新春の山形県米沢・白布温泉一泊一人旅〜雪見風呂を楽しみ米沢の歴史に触れる〜
- 1日目2020年1月4日(土)
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東京駅から東北・山形新幹線『つばさ』号に乗って米沢駅にやってました。 三ヶ日明け最初の土曜日の下り列車は自由席も空席が目立ちました。 駅前は先日降った雪の除雪も済んで歩きやすく、豪雪地帯の米沢地方は例年と比べてこの時期かなり雪が少ないようでした。 旅の1日目は宿でのんびり過ごしたかったため宿泊先へ直行しました。
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米沢駅から13:30発の山交バスに乗り西吾妻スカイバレーを行くこと約30分、目的地の白布(しらぶ)温泉バス停で下車しました。 小野川温泉をはじめ米沢周辺の温泉地を総称して『米沢八湯』と呼ばれていますが、白布温泉はその中の一つです。 山あいの温泉地だけあって米沢市街よりも積雪が多いそうですが、それでも20〜30pくらいで例年と比べてこの時期の積雪量としてはかなり少ないようでした。 近くに天元台スキー場がありますが、まだ一部のゲレンデのみ滑走可能とのことでした。
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白布温泉バス停のそばに白布温泉で一番古い建物で営業されている老舗旅館『西屋旅館』さんがあります。 江戸後期の文化年間に建てられたという写真左側の茅葺き屋根の木造建築は歴史を感じさせる風格があります。 登録有形文化財に指定されているそうです。
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700余年前の西暦1312年に開湯したという白布温泉には庚申塔などの古い信仰の姿を伝える石塔群がありますが、この時期は雪の中でした。
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遅めの昼食を摂るために白布温泉で1軒だけのおそば屋さんの『吾妻軒』さんに来店し、とりせいろそば大盛1,200円を注文して頂きました。 冷水でしめたおそばを鶏肉とネギの入った熱々の汁に付けて頂きます。 そば好きが冬に食べたくなる美味しい一品でした。
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吾妻軒さんを後にして今晩宿泊する『中屋別館不動閣』さんの入口の門の前にやって来ました。 旅館のスタッフの方が門前で雪かきをされていました。
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中屋別館不動閣さんは、大正期に建てられた米沢の造り酒屋の自宅を昭和34年に移築した写真左側の不動閣と昭和期に建てられた右側の渓谷館、そして不動閣の背後に平成になって建てられた黎明館の3つの建物で構成されています。 レトロな不動閣は趣きがありました。
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渓谷館側の玄関から中に入るとスタッフの方のお出迎えを受けて、玄関前の囲炉裏のある民芸調の部屋でお茶を頂きながらチェックインの手続きを済ませました。 室内の正月飾りに新年らしさを感じました。
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チェックインを済ませて仲居さんに客室に案内して頂きました。 当日宿泊した客室は渓谷館1階の13号室でした。 トイレ・洗面所付きの7.5畳の広さの一人旅には丁度いいサイズの客室です。 客室に入ると部屋の隅に置かれたガスファンヒーターは既に稼働していて、室内がとても暖かかったことは嬉しかったです。 滞在中ガスファンヒーターはつけっ放しで過ごしました。
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防寒対策のため二重になっているガラス窓越しに外の景色を撮影しました。 渓谷館の客室は全室最上川の源流の一つである大樽川に面しています。
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客室でくつろいでから館内を散策しました。 渓谷館は昭和期に建てられた建物のため防寒対応が万全ではありません。 廊下の至る所に石油ストーブが置いてありました。
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喫茶ルームを兼ねたラウンジには、中屋別館不動閣さんのお宝が展示されています。 ここで過去に開催された囲碁の本因坊戦の対局で使用された碁盤が目を惹きました。
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夕食前にお風呂に入りに行くことにしました。 客室のある渓谷館からお風呂に向かう途中で不動閣の中を通りますが、外観と同様に趣きのある造りです。
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不動閣を過ぎると小さな聖火台がオブジェとして廊下に展示されています。 前回の1964年東京オリンピックの時に現在の山形市の文翔館の前身の旧山形県庁前で開催された聖火リレーのセレモニーで使用されたものだそうです。
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中屋別館不動閣さんには男女別の内風呂と露天風呂があり、内風呂と露天風呂はそれぞれ別の場所にあります。 先に露天風呂に入ることにしました。 露天風呂の湯温は39〜40℃のぬるめで外の雪景色を眺めながら長湯が出来ました。 しかし、脱衣所は屋外との仕切りがなく浴槽でよく身体を温めてから素早く身体を拭いて浴衣を着て館内に戻らないと風邪をひきそうでした。
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内風呂は『オリンピック風呂』と呼ばれ中屋別館不動閣さんの名物風呂です。 なぜオリンピック風呂なのかというと、前回の東京オリンピックが開催された1964年に完成したからだそうです。 ただし現在のお風呂は平成に建てられた黎明館の中にあり二代目です。 特徴は男湯女湯併せて全長33mの長方形の細長い浴槽で、窓側に温泉を通して浴槽に噴出するパイプが配管されています。 窓の景色を眺めながら白い綿毛状の湯の花の舞う掛け流しのお風呂に入ってもらう趣向です。 泉質は中性の含硫黄・カルシウム・硫酸塩泉で源泉温度が57.6℃と高く加水して利用されているそうですが、浴槽の湯温は42℃前後の熱めでこの時期身体がよく温まりました。 露天風呂と同様に滞在中いつでも利用できますが、窓の外のライトアップは夜22時までです。 内風呂の更衣室や浴室は温泉の排湯を利用した床暖房に対応していて寒さ対策も万全なので、滞在中はこちらのお風呂をよく利用させて頂きました。
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スタッフの方と夕食は18:30から開始と事前に約束していて、約束の時間近くに客室から近い食事処の渓谷館1階の大広間で夕食を頂きました。 会場は長方形の大広間の中央に通路をつくって左右に座卓を配し、座卓の間に衝立を置いてプライバシーに配慮されていました。 さらに一人客には通路を背にして席が設えてあり、一人旅に対する心遣いが感じられました。 今回はスタンダードプランを予約していましたが、卓の上にはお浸しのような『冷や汁』をはじめ、山ウドの煮物やウコギの芽を練り込んだ餅の田楽にアカエイの煮付けなど、米沢の郷土色豊かなお料理が並んでいました。 飲み物は米沢の造り酒屋の東光さんの梅酒です。
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米沢牛は焼きしゃぶしゃぶにして、ポン酢に付けて頂きました。 ジューシーなお肉でした。
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地元産の鶏肉や野菜の入ったお鍋におそばを入れて熱々の状態で頂くと、身体の中からあったまりました。
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茶碗蒸しにお漬物をおかずにして、シメのご飯を頂きました。
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食後のデザートに甘いりんごを頂いて夕食は終わりです。 ごちそうさまでした。
- 2日目2020年1月5日(日)
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翌朝はまだ暗い6:00に起床し朝風呂に入った後で、前日夕食を頂いた場所と同じ大広間の席で7:00から朝食を頂きました。 旅館の朝ごはんは食が進みます。
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お鍋の中は湯豆腐でした。
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朝食を食べ終えて客室に戻り、明るくなった窓の外を撮影しました。 昨晩からずっと雪が降り続いていましたが、昨日よりも雪が積もっていました。
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チェックアウト前にもう一度オリンピック風呂に入って、朝の外の雪景色を眺めながら最後の白布温泉を楽しみました。 浴室内は前日からずっと温泉の湯気で曇っていて、この写真が一番よく写っているものです。
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路線バスの運行本数が少ないため早めにフロントでチェックアウトを済ませて、前日訪問した時に潜った門の近くにある白布温泉待合所バス停に向かいました。 昨日スタッフの方が雪かきをされていた所は10p程雪が積もっていました。 この時期例年より雪が少ないとはいえ、都度雪かきをしなければならない地元の方々のご苦労を垣間見た気持ちでした。 滞在中いろいろお世話になりました。 この後9:25発の米沢駅行きの山交バスに乗り、次の目的地に向かいました。
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山交バスに乗車して約20分、笹野大門前バス停で途中下車しました。 そこから雪の積もった道を約10分ほど歩いて笹野観音にやって来ました。 米沢市街郊外のこの地域は白布温泉よりも標高は低いですが、前夜からの降雪で雪が積もっていました。 山門の仁王門は防雪対策で側面がシートに覆われていました。
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笹野観音は正式には『長命山幸徳院笹野寺』といい真言宗豊山派のお寺です。 本来のご本尊の観音様は秘仏ですが、お前立にあたる千手千眼観世音菩薩が本堂の観音堂に安置されていて、こちらはご開帳の時に拝観できます。 置賜(おいたま)三十三ヶ所観音霊場の第19番札所でもありますが、あじさいの寺としても知られています。 本堂にあたる観音堂もさきほどの仁王門と同様に側面がシートで覆われていました。
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平安初期の坂上田村麻呂にゆかりのあるこちらのお寺は、西暦810年には現在の場所に観音堂が建立されていたそうですが、現在の観音堂は江戸後期の天保年間に焼失した後に米沢藩によって再建されたものです。 上杉家の威信を掛けて再建されただけあって、お堂の上部の彫刻が見事でした。 正面唐破風屋根の下には龍と鶴の彫刻があります。
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笹野大門前バス停から米沢駅に向かうバスは土曜休日は1日5本しか運行されていません。 笹野観音でタクシーを呼んで次の目的地に行ってもよかったのですが、ここは徒歩で行くことにしました。 次の目的地までは約3q以上ありますので、後で考えると我ながら少々無茶なことをしました。 時折雪の降る道をひたすら歩き、ようやく山形大学工学部付近にやって来ました。 大学の構内には、前身の旧米沢高等工業学校時代の明治43年に建てられたルネサンス様式の本館があります。 国の重要文化財に指定されています。
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山形大学工学部の近くに次の目的地の春日山林泉寺がありました。 曹洞宗のお寺で米沢藩上杉家の菩提寺です。 訪問当時境内には私一人だけで静寂に包まれていました。
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林泉寺の本堂内部は冬季は拝観中止なので、この時期境内に誰もいない筈です。 なお、冬季期間中も庭園と境内は拝観料100円を払えば見学可能です。
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本堂裏には池水式の庭園があります。 雪をかぶった植え込みが池の水面に映し出されていました。
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境内の墓地には、上杉家に仕えた家臣の墓があちこちにあります。 その中でも初代米沢藩主上杉景勝の重臣直江山城守兼続夫妻の墓は別格で、周囲に石垣をめぐらせていました。 前年の7月に兼続の生誕地の新潟県南魚沼市を訪問し、彼が幼少期に学問にいそしんだ雲洞庵を訪れました。 今度は終焉の地で彼のお墓の前に立つことができ、何か感慨深いものを感じました。
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林泉寺の墓地には直江兼続の他にも上杉謙信のライバルの武田信玄の息子で、武田氏滅亡後に上杉家に仕えた武田信清の墓があります。
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墓地の一角は柵で区切られた上杉家廟所となっています。 なお、歴代藩主の墓は林泉寺の境内ではなく別の場所にありますので、こちらは藩主の奥方や家族のお墓だけとなります。 写真は上杉謙信の姉で上杉景勝の実母の仙洞院の墓です。 戦国史に登場する有名人達がここで静かに眠っています。
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春日山林泉寺を後にして次の目的地に向かう前に、近くの『山大前やまとや』さんに来店して米沢ラーメンを昼食で頂きました。 写真は中華そば700円と米沢牛すじごはん380円です。 ボリューム的に多いですが、午前中ひたすら歩いてお腹が空いていたので完食しました。 ラーメンはにんにくを効かせた醤油味のスープに中太麺が絡んで美味しかったです。
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山大前やまとやさんを出て徒歩で次の目的地の米沢市上杉博物館のある『伝国の杜』にやって来ました。 伝国の杜は2001年9月に竣工した施設ですが、館内に米沢市の上杉博物館と山形県の置賜文化ホールが入っていてとても大きな施設です。 伝国の杜の名前は江戸後期を代表する名君の上杉鷹山が藩主後継者に贈った心得書に由来するそうです。
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上杉博物館の入館料は大人410円です。 館内は通常の展示物の他に、戦国時代に織田信長から上杉謙信に贈られた『洛中洛外図屏風』と歴史学的に貴重な米沢藩上杉家の記録の『上杉家文書』の国宝2点が保管されていて、展示室で観ることが出来ます。 国宝の展示コーナーと映写エリアは撮影禁止ですが、その他のコーナーは撮影自由です。 洛中洛外図屏風は学生の頃に歴史の教科書で見たことはありましたが、実物を見たのは今回初めてでとても感動しました。
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上杉謙信の頃に越後の戦国大名であった上杉家は、その後豊臣秀吉による国替えや関ヶ原の戦いの後の減封で米沢30万石の大名として江戸時代を迎えますが、江戸中期に3代目藩主が跡継ぎを決めずに急逝したことで存亡の危機に直面します。 3代目藩主の姉が産んだ旗本の吉良上野介義央の子を後継者として幕府に認めてもらったことで最悪の改易という危機を脱しますが、この時に所領は半分の15万石に減封されてしまいます。 その後は江戸後期に9代目藩主の上杉鷹山の財政改革が成功するまで、米沢藩の財政は悪化の一途を辿っていくことになります。 また吉良家から4代目藩主を養子に迎え、その子を吉良家の養子に出したことで、その後に起きた有名な赤穂事件に上杉家は巻き込まれます。 昨年6月に長野県諏訪を旅行した時に、赤穂事件の後で改易された吉良家の養子左兵衛義周の墓を訪れたことを思い出しました。
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上杉鷹山は藩主在任中に財政改革に取り組み、質素倹約や有能な家臣の登用、学問の奨励による人材の育成や米沢織などの藩内産業の振興など、あらゆる手段を駆使して破綻寸前の藩財政を再建したことで、江戸後期の名君の代表として讃えられています。 その成功の要因は、目標の実現のために藩内の抵抗勢力にも屈することなく途中で方針を変えなかった鷹山の強い信念と、藩の下級武士や領民までを巻き込んだ米沢藩全体の意識改革ではなかったのでしょうか。
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展示コーナーの一角には、上杉鷹山の頃の米沢の農村や城下を再現したジオラマもあり、楽しみながら勉強が出来ました。
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上杉博物館を出て次の目的地の上杉神社に向かいました。 正月三ヶ日明けの日曜日も上杉神社へ初詣に行く参拝客が参道を行き交っていました。 博物館に隣接する参道を歩いて行くと、右手に座った上杉鷹山の銅像がありました。
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銅像の並びに上杉鷹山や初代藩主景勝をはじめ、直江兼続等功労のあった重臣を祀った松岬(まつがさき)神社があります。 上杉謙信を祀る上杉神社の摂社にあたります。 参道を行く参拝客は上杉神社に向かっていましたが、こちらはお参りする人もなくひっそりとしていました。 鷹山は優秀な経営者というイメージですが、神秘性やカリスマ性は謙信の方が優っているのかもしれません。
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上杉神社は米沢城本丸の中にあります。 本丸の周囲に廻らせた堀に架かる橋を渡って城址の中に入りました。
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上杉神社に向かって参道右側に上杉謙信の銅像がありました。 武田信玄と互角に渡り合い、織田信長も戦うことを恐れた戦国期の英雄です。
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参道左側には上杉鷹山の立像があります。 松岬神社の座っている銅像は穏やかで落ち着いた雰囲気ですが、こちらは家臣に指示を出しているようで格好良く見えました。
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上杉神社の境内に到着し、門から拝殿のある場所に入りました。
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上杉神社の拝殿の側面は笹野観音と同様に防雪のための囲いがされていました。 例年ならこの時期もっと積雪量が多いそうですが、これから活躍待ちの状態でした。 三ヶ日にお詣り出来なかった初詣客が拝殿前でお願い事をされていました。
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上杉神社で参拝を済ませて本丸の堀端にある上杉記念館を訪れました。 明治維新後に伯爵となった旧米沢藩主の邸宅ですが、現在は米沢牛をはじめ郷土料理を味わえるレストランになっています。 建物は大正8年の米沢大火で焼失した後に大正14年に再建されたものですが、文化庁の登録有形文化財に指定されています。
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昼食は既に済ませていたので館内には入らずに、玄関脇の入口から庭園を見学させて頂きました。
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上杉記念館の庭園は大正14年の建物再建時に造園されたものですが、東京の浜離宮庭園を参考に造られたそうです。 庭園の樹々は積雪による枝折れ防止のため、一本一本材木で『雪囲い』がされていました。 金沢兼六園の『雪吊り』よりも頑丈なのだそうです。 適度に積もった雪で庭園の印象が美しく感じられました。
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旅の最後に立ち寄り湯をしたくて、米沢市のお隣の南陽市にある赤湯温泉の公衆浴場『とわの湯』さんを訪れました。 赤湯駅ととわの湯さんとの間は約1.6qほど離れていますが、駅と温泉街の間を走る南陽市営バスは平日のみ運行のため、駅との往復はタクシーを利用しました。 地元の方も日常利用されているとわの湯さんの入浴料は100円でとてもリーズナブルです。 浴場内は昭和の銭湯の雰囲気が漂い、浴室の中央に浴槽が一つだけのシンプルな造りですが、浴槽のお湯は紛れもない掛け流しの温泉です。 湯温が42℃前後の含硫黄・ナトリウム・カルシウム・塩化物泉の温泉は、時折雪の降る中歩き回った2日目の旅の疲れを癒してくれました。 この後、帰省客で混雑する東北・山形新幹線『つばさ』号に乗って東京方面へ帰りました。
2020年新春の山形県米沢・白布温泉一泊一人旅〜雪見風呂を楽しみ米沢の歴史に触れる〜
1日目の旅ルート
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