Shotaさんの山形県〜石川県の旅行記

羽黒山五重塔再訪、本間美術館、土門拳記念館、新発田城址、彌彦神社、開山堂、瑞龍寺と金沢城址へ
- 1日目2020年10月9日(金)
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10:00-11:00
さかもと治療院
治療と身体の状態の解剖学的 ? な説明を伺う。月に一度の治療が実に楽しみ !
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12:00-13:00
しのみやクリニック
月一回の診察と投薬。体調の話もそこそこに、落語、蕎麦、ボクシング、ジャズ、宗教と話題は多岐に…。
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21:00-23:00
ホテルアルファワン鶴岡
鶴岡駅のすぐ近く、とても便利なところにある。Go To のお世話になって格安で。 走行距離 787キロ
- 2日目2020年10月10日(土)
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00:00-07:00
ホテルアルファワン鶴岡
治療のお陰でグッスリ ! シャワーを浴びて、簡単な朝食。7時に出発。
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07:00-07:00
丸岡城址・天澤寺
丸岡城域の一角に天澤寺が建っている。丸岡城は戦国期に押切備前守が築いたとされる。その後、武藤兵庫頭、本庄繁長、最上義光と主が変わった。『日本城郭大系 3』
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07:00-07:00
丸岡城域
丸岡城には幕府から罪に問われて庄内藩預かりとなった加藤清正の子忠広の居館があった。そのため清正を祀った祠がある。『日本城郭大系 3』
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07:00-09:00
随神門鳥居、随神門をくぐり、石段を降りて杉並木を通って、目当ての羽黒山五重塔に向かう。
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07:00-09:00
出羽三山神社とは「月山神社出羽神社湯殿山神社」を指し、修験道を中心とする山岳信仰の場である。593年(推古天皇元年)に出羽(いでは)神社が開かれたと伝わる。
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07:00-08:00
羽黒山の爺杉 樹齢推定1000年以上、根回り10.5m、幹囲8.25m、羽黒山で最大最古の巨木。付近に婆スギがあったが、1902年(明治35年)の暴風に倒れる。
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07:00-09:00
須賀の滝
隋神門をくぐって杉並木の間の不揃いな石段を下りていくと、祓川に落ちる須賀の滝が見える。秋口のせいか先回に比べて水量が少ない。
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07:00-09:00
また来てしまった…。羽黒山参道、「一の坂」上り口の鬱蒼とした杉林の中にすっくと立っている塔は平将門創建と伝わる。現在の塔は高さ29mの三間五層柿葺素木造で、約600年前に再建されたとされる。
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07:00-09:00
羽黒山五重塔
柿葺素木造の木組みと年月を経た朽ち方は、眺めていると時の経つのを忘れる。屋根の坪数と必要な木羽の数が、久木綾子『禊の塔』に詳しい。
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10:00-10:00
幕末には三万石の年貢を納める日本一の地主であった、本間家所蔵の美術品を展示している。 応挙の「鼬図」がその代表。
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10:00-10:00
今回の展示は「絵画と書でみる墨の世界」。奈良期から明治期までの名品約40点が展示されていた。
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10:00-10:00
本間美術館
藤原定家・消息〈鎌倉時代(建暦元年/1211年)〉(パンフレット)格調の高さと優美さを感じる。
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10:00-10:00
本間美術館
上杉鷹山・七言二句〈江戸中期〉(パンフレット)品格と教養を感じさせる。
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10:00-11:00
堅牢な扉。入ると作品約七万点を収蔵する土門拳の世界が広がっている。接写でなければ撮影が許されているのは嬉しい。今回のプログラムは、「土門拳の室生寺」、「伝統のかたち」、「第39回土門拳賞受賞作品展 寡黙な空間」の三展同時開催。
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10:00-11:00
土門拳記念館
1972年(昭和47年)個展「古寺巡礼」(新宿・小田急百貨店)の際揮毫したもの。当時土門は63歳、二度目の脳出血で倒れてから四年経過、左手で書いた渾身の作。力強い。
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10:00-11:00
土門拳記念館
室生寺金堂(1966年・昭和41年作)「ぼく自身は蝉時雨の降るような青葉の室生寺が一番好きである」と土門は書いている。
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10:00-11:00
土門拳記念館
「十二神将立像のうち未神(ひつじしん)」(1942-43年頃作・室生寺蔵)土門のつけたニックネームが「思案投げ首」、「はてな」。ユーモラスだ。
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13:00-13:00
村上城の歴史は室町期に遡るとされる。鎌倉幕府創業期に功のあった関東秩父氏の一族、本庄氏に因んで本庄城と呼ばれた。別名舞鶴城。
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13:00-13:00
村上城跡図
村上城は村上市街の東端の臥牛山(標高135m)域にあった。天守台、石垣、堀などが残っている。
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15:00-15:00
新発田城は鎌倉初期の地頭・佐々木加治氏の庶流である新発田氏により築かれたとされる。天正期(1573-92年)、新発田重家の時には宗家を凌ぎ、謙信下の有力武将となった。しかし、謙信の死後、景勝との対立により族滅の悲運に終わる。『日本城郭大系 7』
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15:00-15:00
新発田城址
再建された三階櫓。本丸南側の石垣、堀、本丸櫓門、二重櫓などが残っており、一帯は城址公園としてよく整備されている。
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16:00-16:00
新潟城の跡だと思って白山神社を訪ねたが、それらしきものは何も見られなかった。『日本城郭大系』にも記載がない。
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16:00-16:00
白山神社本殿
白山神社の建立は901年(延期元年)とも1087年(応徳4年)ともいわれているが、明確ではない。菊理媛大神(白山大神)を主祭神とする。本殿は1647年(正保4年)に再建されたもの。
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16:00-16:00
蒲原津城址
蒲原津城は南北朝期、小国氏によって築かれたと推定される平山城。現在は金宝寺となっている。
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17:00-17:00
木場城址
木場城は1580年(天正8年)上杉家家臣の山吉景長が築いたとされる。その後、越後に入封した堀氏が館を置いたと伝わる。城跡の公園には城を模した遊具が設置されている。
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17:00-17:00
宮のもり・木場城址公園
木場城址には遺構はないが木場八幡宮が祀られ、城域一帯が「宮のもり・木場城公園」として整備されている。
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18:00-18:00
天神山城址
天神山城は有事に備えた要害城で、南北朝期に源頼政の弟、小国頼行が築いたのではないかとされる。登山口に着いたのが夕暮れで天神山に登ることはできなかった。
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19:00-23:00
アクアホテル燕三条駅前店
燕三条駅のすぐ側。10階の展望風呂が最高 ! 走行距離327キロ。
- 3日目2020年10月11日(日)
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00:00-06:00
アクアホテル燕三条駅前店
大浴場は6時からということでシャワーを浴びて簡単な朝食。6時45分出発。
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07:00-07:00
県道29号線上、矢作駅近くに立つ高さ30mの大鳥居。1982年(昭和57年)建立。
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07:00-07:00
彌彦神社
彌彦神社は弥彦山を神体山とする。主祭神は天香山命。『万葉集』にも詠われる古社であるが、創建については不詳。
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07:00-07:00
彌彦神社本殿
社殿は1912年(明治45年)に焼失、1916年(大正5年)に再建された。背後に弥彦山を仰ぐ。早朝であったが、地元の方々が次々と参拝しておられた。
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09:00-09:00
西福寺
赤城山西福寺は1534年(天文3年)波多野義重を開基、芳室祖春を開山とする曹洞宗の寺院である。
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09:00-09:00
開山堂は第23世住職蟠谷大龍により建立。1852年(嘉永5年)に起工、1857年(安政4年)完成。当時の名工、石川雲蝶の彫刻や襖絵は実に見事 !
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09:00-09:00
開山堂
細やかで力強い彫刻。これほどの彫り物は稀有 ! 。堂の内部には道元の話を元にストーリー性をもった彫刻が巡らされている。雲蝶、39歳から6年の年月をかけた渾身の作。
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11:00-11:00
鮫ケ尾城については不明な点が多いが、永禄期(1558-70年)に城郭として形を整えたのではないかとされる。堀、土塁、井戸などが残っている。『日本城郭大系 7』
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11:00-11:00
鮫ケ尾城域
鮫ケ尾城は謙信の本拠、春日山城直近の要塞の役割をはたしていた。謙信の二人の養子、景勝と景虎が跡目相続で争い、三郎景虎がこの城で自刃した。『日本城郭大系 7』
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14:00-14:00
魚津城は守護代椎名氏が室町中期以降に築いたのではないかと考えられている。城域には現在大町小学校、富山地方検察庁魚津支部、富山地方裁判所魚津支部などが建っている。『日本城郭大系 7』
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14:00-14:00
魚津城位置
魚津は上杉氏越中支配の重要拠点であり、1583年(天正10年)の魚津城の戦いでは織田方、柴田勝家・佐々成政・前田利家らと上杉景勝軍が凄まじい攻防戦を繰り広げた。『日本城郭大系 7』
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14:00-14:00
太田本郷城址
太田本郷城は1573年(元亀3年)謙信配下の松倉城主・河田長親により、一向一揆との対戦に備えて築かれたとされる。『日本城郭大系 7』
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14:00-14:00
太田本郷城址
調査の結果、戦国期の堀址が二本発見され、城は堀に囲まれた「北郭」と円光寺を含む「南郭」の二郭以上の郭からなる複郭式の平城であったと考えられている。
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15:00-16:00
高岡山瑞龍寺は1614年(慶長19年)加賀前田家三代目当主・前田利常が二代目当主利長を弔うため、広川恕陽開山により建立した曹洞宗の寺院である。仏殿、法堂、山門は近世禅宗建築の代表とされる。
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15:00-16:00
瑞龍寺境内
広大な境内に山門、仏殿、法堂が一直線に並び左右に回廊をめぐらせて諸堂を対称的に配置してある。これは中国の径山万寿寺に倣ったものとされる。
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15:00-16:00
瑞龍寺禅堂
山門左手回廊の中ほどに禅堂がある。この禅堂は坐禅をする場所(單)、法服寝具を納める棚(函櫃)、坐禅のあい間に歩く廊下(経行廊)が備わる古規僧堂として高く評価されているとのこと。
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17:00-18:00
金沢城の歴史は1546年(天文15年)建立の加賀一向一揆の本拠、金沢御坊に遡る。1580年(天正8年)佐久間盛政がこれを攻め落とし金沢城と改称。次いで1583年(天正11年)前田利家が入城し近世城郭を築く。『日本城郭大系 7』
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17:00-18:00
金沢城三十間長屋
三十間長屋は1858年(安政4年)に再建されたもの。元は干飯(ほしいい)が蓄えられていたが、鉄砲蔵とも呼ばれていたことから武器庫としても使われていた模様。
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17:00-18:00
金沢城 三十間長屋
幅三間(約5.3m)、長さ26.5間(約48.2m)、石垣上の高さ約8.9mで、漆喰壁の腰には海鼠瓦が貼り付けられている。この長屋は他の城郭においては多聞櫓と呼ばれる。
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17:00-18:00
金沢城五十間長屋
復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓。戦の際、二の丸を守るための施設で、石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造になっている。
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17:00-18:00
金沢城石垣
色紙短冊積石垣。色紙(方形)や短冊(縦長方形)状の石や V字形の石樋が組み込まれた、城内で最も意匠的な石垣である。他にも珍しい石垣が残っている。
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17:00-18:00
金沢城鼠多門
ライトアップされた鼠多門と鼠多門橋。場内最大規模の木橋は明治期に失われていたが、約140年ぶりに復元された。
羽黒山五重塔再訪、本間美術館、土門拳記念館、新発田城址、彌彦神社、開山堂、瑞龍寺と金沢城址へ
1日目の旅ルート
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