Shotaさんの群馬県〜長野県の旅行記

広重・清親・巴水展、高崎、安中、軽井沢方面
- 1日目2021年9月3日(金)
-
15:00-16:00
「浮世絵風景画展 広重・清親・巴水 ー 三世代をつなぐもの ー」と題する展示。江戸・明治・大正期の三人をつなぐものは「あはれ」だという。三人に等分のウエイトを置いた心憎い企画。
-
15:00-16:00
浮世絵風景画展
歌川広重 名所江戸百景 「浅草金龍山」 1856年(安政3年)「画面手前の門から奥の参道を覗き見せる視覚は、絵師と同じ時空でこの風景を見ているかのような臨場感を鑑賞者に与える。」この手法は後代の絵師、現代の観光写真にも踏襲されている。『図録』
-
15:00-16:00
浮世絵風景画展
小林清親 武蔵百景之内 「芝増上寺雪中」1884年(明治17年)『図録』 幾分デリケートな線描であり、画調の印象。巴水は広重よりも清親を好んだとか…。
-
15:00-16:00
浮世絵風景画展
川瀬巴水 東京二十景 「浅草観音の雪晴」1926年 (大正15年)『図録』 雪晴れの青い空、屋根の雪、朱塗りの壁そして路面に残る雪。それぞれの色合いが見せるコントラストが素晴らしい。
-
15:00-16:00
浮世絵風景画展
歌川広重 名所江戸百景「 深川万年橋」1857年(安政4年) 窓の中にぶら下がる亀と隅田川越の富士という奇抜な構成。「亀は万年」にかけたモチーフでもある。『図録』
-
15:00-16:00
浮世絵風景画展
歌川広重 名所江戸百景 「亀戸梅屋舗」 1857年(安政4年)亀戸天神裏の梅屋敷で有名であった臥龍梅。 古木の一部をクローズアップするという広重の手法をゴッホが模写した。『図録』
-
15:00-16:00
浮世絵風景画展
小林清親 「滝の川の図」 1878年(明治11年) 『東京名所図』の一枚。『図録』 木々の葉の色合いを微妙に描き分けている。
-
15:00-16:00
浮世絵風景画展
小林清親 「三保の浦帆」 1881年(明治14年)「画面中央にそびえる富士」、「中景を横切る橋」、クローズアップされた「前景の荷船の帆柱」。「まるで特等席で舞台を見ているかのよう。」『図録』
-
15:00-16:00
浮世絵風景画展
川瀬巴水 旅みやげ第一集 「しほ原雄飛の滝」1920年 (大正9年)「鹽原(しほばら)の鹽之湯の山奥には五つばかりの瀧がありますが、其のうちでも殊に此の瀧が勝れてゐます。苔滑らかな高い巖壁が、まるで屏風のやうに両側に立連なって、その瀧壺は暗く且つ物凄いのです。そこへ青白くドッドッと落込む瀧のすさまじさは、全く雄飛の名に背かないと思ひます。」〈川瀬巴水 創作板画解説〉『別冊太陽 川瀬巴水決定版』
-
15:00-16:00
浮世絵風景画展
川瀬巴水 日本風景選集 「鹿児島桜しま」1922年(大正11年)「怒涛のように熔岩を噴き上げる活火山のイメージからはほどとおく、春のうららかな日差しを浴びて穏やかに、優しく聳えている姿」が描き出されている。『図録』
-
15:00-16:00
川瀬巴水 東京二十景 「馬込の月」 1930年(昭和5年)当時ランドマークのように聳えていた三本松を情緒豊かに描き出した作品。『図録』 夜の空、月、雲、松、家、畑をよく描き分けられるものだ。
-
21:00-23:00
八王子ホテルニューグランド
八王子ホテルニューグランドに隣接するチャペル。この世情では結婚式も少ないようで、比較的低価格で泊めていただけた。
- 2日目2021年9月4日(土)
-
00:00-06:00
八王子ホテルニューグランド
夜中に二、三度目を覚ましたが、ウトウトしているうちに朝を迎えた。六時半出発。
-
06:00-06:00
滝山城は1521年(大永元年)武蔵国守護代大石定重が築いたとされている。大石氏は関東管領山内上杉氏に属した。しかし1546年(天文15年)北条氏康に降った。城主北条氏照は武田信玄の激しい攻撃を凌いでいる。『日本城郭大系 5』
-
06:00-06:00
滝山城址
滝山城の遺構はあまり破壊されることなく現在に至っており、郭・土塁・空堀・井戸などが残っている。『日本城郭大系 5』
-
07:00-07:00
高月城址(八王子市)
高月城は長禄期(1457−60年)大石顕重が築城。大石氏は武蔵守護代で「引又の館」(志木市)、「滝の城」(所沢市)なども所有していた。『日本城郭大系 5』
-
07:00-07:00
高月城址
高月城は滝山城の北約2キロの位置にあり同じ加住丘陵上に位置していた。歴史的には高月城の方が古い。60年後、顕重の子定重が滝山城を築いて移っている。『日本城郭大系 5』
-
09:00-09:00
倉賀野城址(高崎市)
倉賀野城は応永期(1400年頃)倉賀野頼行が築城。倉賀野氏は武蔵児玉党の一派で、上杉憲政幕下の重鎮であった。『日本城郭大系 4』
-
09:00-09:00
倉賀野城址
倉賀野城は烏川北岸の崖上に築かれ、国道17号線が東西に貫通する。郭・堀・土居が残っている。『日本城郭大系 4』
-
09:00-09:00
山名城址(高崎市)
山名城は1397年(応永4年)尹良親王の拠る寺尾城の東南堡塁として築かれた。郭・空堀・堀切・土居などが残っている。『日本城郭大系 4』
-
09:00-09:00
根小屋城址(高崎市)
根古屋城は1570年(永禄13年)武田信玄が烏川右岸丘陵の最高所に築いた城。信玄は北条氏康に備え、望月甚八郎・伴野助十郎らを置いて守らせた。郭・空堀・土塁・馬出しなどが残る。『日本城郭大系 4』
-
10:00-10:00
高崎城は1598年(慶長3年)井伊直政が家康の命を受け、1428年(正長元年)和田義信が築いた和田城の廃墟に築いた平城である。江戸大坂間の要所、碓氷峠を固める拠点とした。『日本城郭大系 4』
-
10:00-10:00
高崎城乾櫓。井伊直政が築いたこの城は和田城を改修したものではなく、新たに縄張りされ、家康が派遣した築城家の協力によって完成した近世城郭であった。乾櫓の他、郭・堀・土居などが残っている。『日本城郭大系 4』
-
10:00-10:00
同志社大学を設立した新島襄の父は安中藩士。新島は密航してアマースト大学を卒業。その後アンドーヴァー神学校を卒業して帰国、安中教会を設立した。大谷石を用いたロマネスク様式の会堂は1919年完成。
-
10:00-10:00
安中城は1559年(永禄2年)安中出羽守忠親の孫、忠政が築いたとされる。碓氷川と九十九川に挟まれた台上にあり、武田信玄の攻撃に備えたもの。郭・堀跡が残る。『日本城郭大系 4』
-
11:00-11:00
松井田城址(安中市)
松井田城は永禄初期(1560年頃)安中忠政が松井田と新堀の北側に続く尾根に築いた山城。忠政は1564年(永禄7年)夏、武田信玄の攻撃を受け自刃した。『日本城郭大系 4』
-
11:00-11:00
碓氷第三橋梁、通称めがね橋。全長91m、碓氷川の底からの高さ31m、約200万個のレンガを使用したアーチ橋は1891年着工、1893年竣工した。年月を経て、今なお風格と力強さを感じさせる。
-
12:00-12:00
旧軽井沢の一隅にある室生犀星記念館。犀星が1931年(昭和6年)から1962年(昭和37年)に亡くなる前年まで過ごした住居。苔と木々の美しい庭と共に無料で公開されている。
-
12:00-12:00
室生犀星記念館
1889年(明治22年)金沢に生まれた犀星は不遇な生い立ちを糧とするように『幼年時代』、『性に目覚める頃』、『杏っ子』などの秀作を生んだ。「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」の詩句で知られる。
-
13:00-13:00
石の教会はちょうど挙式中で入ることは出来なかった。自然との調和を目指す建築家ケンドリック・ケロッグの手になる会堂。地上は礼拝堂、地下は内村鑑三記念堂となっている。1988年竣工。
-
13:00-13:00
石の教会 講壇
石の教会の講壇 「教会パンフレット」草花があしらってはあるが、少々無骨な印象を受ける。講壇正面とステップに「主の祈り」が英文で刻んである。一度入ってみたいものだ。
-
13:00-13:00
堀辰雄が晩年を過ごした旧居跡に1993年開館。堀辰雄(1904−53年)はフランス文学の心理主義を取り入れ、日本の古典や王朝女流文学との融合によって独自の文学世界を生み出したとされる。『聖家族』、『風立ちぬ』、『菜穂子』などの作品で知られる。
-
14:00-14:00
京都へ向かう中山道と越後へ通じる北国街道の分岐点。「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」と石碑に刻まれている。右へ行けば月の名所更科から善光寺を越えて越後路へ。左に進めば、木曽路から東海道を通って桜の名所吉野へ続くことを示す。
-
14:00-14:00
軽井沢高原文庫は1985年開館。堀辰雄、室生犀星をはじめとする軽井沢ゆかりの近代文学者の資料を展示、紹介している。敷地内に堀辰雄山荘、野上弥生子書斎、有島武郎の別荘−浄月庵などが移設され、立原道造詩碑、中村信一郎文学碑なども設置されている。
-
14:00-14:00
野上弥生子書斎
野上弥生子(1885−1985年)は写実主義に根差した作風で市民的良識を描き続け、日本が戦争へと傾斜していった時期には時流を批判した『黒い行列』などを発表した。1933年築の書斎兼茶室は北軽井沢の法政大学村からの移築。
-
14:00-14:00
立原道造(1914−39年)は昭和初期に活躍し、24歳で急逝した詩人、建築家。軽井沢を愛した立原の代表作「のちおもひに」の冒頭部が刻まれた詩碑。「夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に 水引草に風が立ち 山ひばりのうたひやまない しづまりかへった 午さがりの林道を」(のちのおもひに)より
-
16:00-17:00
千住博は1958年東京生まれ、ニューヨーク在住の画家。日本画からスタートしたようだが、具体的な対象を描くのではなく、独自の抽象の世界へと観る者を誘う不思議な世界を創り出している。代表作は『ザ・フォール』(1995年)、『高野山金剛峯寺障屏画』(2020年)。全面ガラス張りで、外部の植林との調和を目指した瀟洒な美術館は、西沢立衛の設計により2011年開館。
-
16:00-17:00
千住博美術館
千住博 「ウォーターフォール」 1994年作 (絵葉書) 「滝」は千住の重要なモチーフで多くの作品が展示されている。『滝』はそれ自体が絵具を流しての「滝」なのであって、「滝の描写」ではないという。
-
16:00-17:00
千住博美術館
千住博 「朧月夜の瀧桜」 2016年作 (絵葉書) シャープな月と滝のように流れる桜。これも具象ではなく画家の内なる世界に絢爛と咲く桜なのだろうか。
-
16:00-17:00
千住博美術館
千住博 「フラットウォーター #9」 1991年作(絵葉書) 大学卒業後、何かを描かなければと思いつつもがいていた果てに出会ったというモチーフ「ハワイのキラウエア火山の溶岩が海に流れ込む『フラットウォーター』」。
-
16:00-17:00
千住博美術館
千住博 「地の果て #16」 2017年作(絵葉書) 「まるで宇宙の惑星であるかのような、塊としての崖が印象的に描かれています。惑星を構成する岩石は、深遠な宇宙の時間の経過を示唆していると言っても過言ではありません。」「At World's End − 新作「血の果て」に至るモチーフの系譜−」
広重・清親・巴水展、高崎、安中、軽井沢方面
1日目の旅ルート
Shotaさんの他の旅行記
-
2025/7/4(金) 〜 2025/7/6(日)
- 一人
- 1人
都心での治療・診察の後、日野、大月から甲府へ。翌朝、甲府から南下して横浜でセミナーを実施。友人と...
57 2 12 -
2025/6/6(金) 〜 2025/6/8(日)
- 一人
- 1人
都内での治療・診察の後、下館城址から那須方面の城址、古刹などをまわって、那須塩原に投宿。翌朝、深...
88 2 9 -
2025/5/2(金) 〜 2025/5/3(土)
- 一人
- 1人
豪雨・強風の中、都内で治療・診察を終え、水海道城址、古刹などを訪ねて、古河市に投宿。翌日は城址や...
96 2 10 -
2025/4/12(土)
- 一人
- 1人
世話になっている板金屋の社長さんが、この週末近くの神社で手筒花火をあげると教えてくださったので、...
112 4 5
みんなのコメント(1件)
投稿する
投稿に際しては、必ず観光ガイドご利用規約をご確認ください。
閉じる皆様がより快適にご利用いただくための「投稿上のルール」や、
投稿内容の利用に関して記載しております。
さらに表示する