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Shotaさんの新潟県の旅行記

石川雲蝶の世界と城址と(新潟)

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都内での治療・診察の後、南魚沼まで北上。塩沢宿「牧之通り」や城址を巡って、柏崎に投宿。翌朝は新潟市内から魚沼市まで、雲蝶の作品を見て廻る。最終目的は開山堂の向拝と木鼻。やはりその緻密さ、迫力は素晴らしい!

歴史ツウ Shotaさん 男性 / 70代

1日目2023年9月8日(金)
10:00-11:00

さかもと治療院(碑文谷)

オステオパシー(骨治療法)の治療院。腰痛、前立腺不良、股関節の違和感などを診ていただいた。

12:00-13:00

しのみやクリニック(秋葉原)

体調報告と処方の後、主治医にご紹介いただいた上記オステオパシーの治療法の不思議さと的確さを再確認。

16:00-17:00

三国街道 塩沢宿 牧之通り

南魚沼市

「三国街道 塩沢宿 牧之通り」を   >

三国街道塩沢宿「牧之通(ぼくしどおり)」は、南魚沼市塩沢地区に「雪国の歴史と文化を活かすまちづくり」を目指して造られた美しい町並み。

16:00-17:00

牧之通り・青木酒店

かつて薄荷(はっか)を商っていた青木家は現在、酒造を営んでいる。玄関正面に掲げられている代表銘柄「鶴齢(かくれい)」の看板を縁どる龍は熊谷源太郎の作である。 他にもカフェやレストラン、土産物店などが軒を並べる。

16:00-17:00

塩沢宿・住吉神社

通りの一角にある住吉神社の創建は1532年(天文元年)と伝わる。表筒男命(うわつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)を祭神とする。

16:00-17:00

塩沢つむぎ記念館

南魚沼市

「塩沢つむぎ記念館」を   >

「織の文化館 塩沢つむぎ記念館」では塩沢の織物の伝統技術と文化を紹介し、工芸品の展示・販売とともに小物づくりの体験もできる。

16:00-17:00

織の記念館・越後上布

入口正面に「越後上布」と「塩沢つむぎ」が飾られている。祖母が「越後上布は丈夫でいい」と言っていたのを思い出して話すと、「越後上布をお持ちだったとは大したものです」とお褒めに与った。

17:00-18:00

坂戸城跡

南魚沼市

「坂戸城跡」を   >

坂戸城は坂戸山頂の本丸を中心とした大規模な山城。初期築城の詳細は明確ではないが、鎌倉期ではないかとされている。1352年(観応3年)頃、新田氏の勢力を駆逐した上杉憲顕より上田庄を与えられた長尾宗景の裔、房長が新たに築城したのが1512年(永正9年)とされる。『日本城郭大系 7』

17:00-18:00

坂戸城址

坂戸城は六日町市街と魚野川を挟んで対峙、南魚沼の地(上田庄)を圧して関越交通の抑えとして存在し、春日山城の支城の役割もはたしていた。『日本城郭大系 7』

17:00-18:00

龍言寺址(南魚沼市)

龍言寺は、上杉景勝、直江兼続の生誕の地、上田庄坂戸を治めていた上田長尾家の菩提寺であった。現在、米沢の地に再建されている。

17:00-18:00

長尾政景墓所(南魚沼市)

長尾政景(1526-1564)は上田長尾氏、房長の子。長尾景虎(上杉謙信)の遠縁にあたる。一時景虎と対立するが、景虎の姉、仙洞院を正室に迎え、景虎の重臣として活躍した。墓所は上記龍言寺址にある。

19:00-23:00

ホテルアルファワン柏崎(柏崎市)

アルファワン柏崎は JR柏崎駅近くにあるビジネスホテルチェーン店のひとつ。コンパクトな部屋だが用は足りる。早速、湯をためて風呂に!

2日目2023年9月9日(土)
00:00-07:00

ホテルアルファワン柏崎(柏崎市)

今日は予定が密なので6時起床。シャワーを浴びて目を覚まし、7時に出発。

07:00-07:00

安田城址(柏崎市)

安田城は、北条(きたじょう)毛利丹後守憲広の次男、修理亮憲朝を祖とする毛利安田氏が室町期に築いた山城。『日本城郭大系 7』

07:00-07:00

安田城址(柏崎市)

安田城は日本海海岸から約6.5km内陸、鯖石川の下流、標高50m前後の低い山並みの一峰に築かれた山城。郭・空堀・土塁・虎口などが残る。『日本城郭大系 7』

07:00-08:00

北条城址(柏崎市)

北条(きたじょう)城は鯖石川と長島川とに囲まれた、標高140mの地点に北条(きたじょう)氏が室町期に築いたとされる山城。本丸・郭・土塁・館址が残る。『日本城郭大系 7』

09:00-09:00

白山神社・拝殿(新潟市)

こちらは「沼垂白山(ぬったりはくさん)神社」と呼ばれる。創建は不詳。天照大神、菊理媛命を祭神とする。本殿・拝殿は1848年(弘化4年)再建。

09:00-09:00

白山神社・向拝

拝殿の懸魚と向拝は熊谷源太郎の作。向拝の龍は古事記から倭建命(ヤマトタケル)の武勇を取り入れて組み合わせ、懸魚には鳳凰が付き、下に牡丹と孔雀が彫ってある。木原尚著『越後の名匠 石川雲蝶』新潟日報事業社

09:00-09:00

佛興寺(新潟市)

佛興寺は真宗佛光寺派の寺院。阿弥陀如来を本尊とする。1880年(明治13年)の新潟大火で本堂庫裡を焼失。再建にあたって数々の雲蝶作品を譲り受け保存している。

09:00-09:00

佛興寺・本堂(新潟市)

本堂が再建されて60年ほどだが、入り口の柱と扉はなかなかの風格を感じさせてくれる。

09:00-09:00

佛興寺・手挟

手挟(龍) 雲蝶の弟子・長谷川春作の子、春平の協力を得て集められた逸品。『越後の名匠 石川雲蝶』

09:00-09:00

佛興寺・風流道人

蟇股(風流道人) この作品のほかに中国の人物仙人を題材にした蟇股の彫刻16体、手挟の千羽鶴一対など、雲蝶の傑作が泰安されている。『越後の名匠 石川雲蝶』

10:00-10:00

新津城址(新潟市)

新津城は室町期、新津氏が築いた平城。新津氏は上杉謙信・景勝時代にも上杉家の忠実な家臣として活躍した。城址は現在、新津自動車学校の敷地になっている。『日本城郭大系 7』

10:00-11:00

中山神社

五泉市

「中山神社」を   >

中山神社の創建は784年(延暦3年)。大己貴命、少彦名命、大山咋命を祭神とする。石段を約250段登ると本殿に着く。

10:00-11:00

中山神社・本殿(五泉市)

拝殿は桁行三間、梁間三間、銅板葺の入母屋造。社殿は1852年(嘉永5年)造営。

10:00-11:00

中山神社・向拝(五泉市)

向拝の龍頭 少し朽ちてはいるがなかなかの迫力!

10:00-11:00

中山神社・木鼻

木鼻(獏鼻と獅子花)『越後の名匠 石川雲蝶』

10:00-11:00

中山神社・脇障子

拝殿右の「脇障子」は雲蝶の手になるものではないようだ。『越後の名匠 石川雲蝶』

11:00-11:00

上土倉十二社(加茂市)

上土倉十二社は948年(天暦2年)勧請と伝わり、大山祇社を祭神とする。鳥居には「十弐善神」の額がかかる。

11:00-11:00

上土倉十二社・拝殿(加茂市)

かなり朽ちている拝殿の扉に、本殿にある雲蝶作品についての説明が記されている。

11:00-11:00

上土倉十二社・向拝

「向拝に龍、獅子、象が付き、目にギヤマンがはめ込まれ、獅子の目の光彩は金色に光り威嚇を感じる。」『越後の名匠 石川雲蝶』

11:00-11:00

上土倉十二社・木鼻

迫力のある木鼻(左)『越後の名匠 石川雲蝶』

11:00-11:00

上土倉十二社・木鼻

木鼻(右)『越後の名匠 石川雲蝶』

12:00-12:00

本徳寺(燕市)

本徳寺は、1478年(文明10年)日春によって草創された法華宗陣門流の寺院。

12:00-12:00

本徳寺・向拝(燕市)

獅子(向拝右)「向拝が制作されたのは天保十四、五(1843-44)年ごろと推測される。雲蝶が三十歳のころの制作となる。」『越後の名匠 石川雲蝶』

12:00-12:00

本徳寺・手挟(燕市)

手挟(波に亀)『越後の名匠 石川雲蝶』 細やかでかつ力強い。

12:00-12:00

三条島ノ城址(三条市)

三条島ノ城は市橋下総守長勝が、1616年(元和2年)伯耆国天橋から入封し築いた平城。詳細については不明。『日本城郭大系 7』

12:00-13:00

法華宗総本山 本成寺

三条市

「法華宗総本山 本成寺」を   >

長久山本成寺は1297年(永仁5年)日蓮の法孫、日印開山になる法華宗陣門流の総本山。塔頭(たっちゅう)が十カ寺ある。その多くに雲蝶の作品が残っている。 桟瓦葺入母屋造の五間三戸二重の山門は1786年(天明6年)竣工。

12:00-13:00

法華宗総本山 本成寺

三条市

「法華宗総本山 本成寺」を   >

表玄関 客殿と庫裡を繋ぐ桟瓦葺の重厚な式台玄関。東面中央の玄関唐破風に懸魚が三つ飾られている。1895年(明治28年)建築。

12:00-13:00

本成寺・本堂

本堂 本堂は本瓦型金属板葺入母屋造。正面三間向拝の唐破風は三つの懸魚で飾られている。1903年(明治36年)建築。

12:00-13:00

本成寺・多宝塔

多宝塔 上・下層の屋根は本瓦の形を模した銅板葺、上層は方形造で相輪がのり、全体に弁柄が塗られている。記録によると、1770年(明和7年)再興。

12:00-13:00

本成寺・鐘楼

鐘楼 木造二層平入桟瓦葺入母屋造。1770年(明和7年年)建築。下層は袴腰で中央の梁上に梵鐘を吊る。先代の梵鐘は戦時に供出、現在の梵鐘は1952年(昭和27年)鋳造。

12:00-13:00

本成寺・石川雲蝶墓

境内墓苑に石川雲蝶の墓がある。雲蝶は、1814年(文化11年)江戸雑司ヶ谷に誕生、本名は正照。20歳半ばで江戸彫石川流の技術を習得、幕府御用勤の彫師となる。職名は「石川安兵衛源雲蝶」。江戸での制作記録は確認されていない。  最初に三条に来たのは、1841-42年(天保12、3年)と推察される。1883年(明治16年)70歳で亡くなるまで、越後の各地に多くの作品を残している。『越後の名匠 石川雲蝶』 「波の伊八」として知られ、房総一帯に名作を多く残した武志伊八郎信由(1751or52-1824年)は雲蝶の約半世紀先輩ということになる。

12:00-

本成寺・赤牛

赤牛(長男儀平寄贈) 1893年(明治26年)の火災で雲蝶の作品がすべて焼失。長男儀平は、父の偉業のせめてもの証にとこの赤牛を寄贈した。『越後の名匠 石川雲蝶』 牛を彫ることを得意とした雲蝶の名作。

12:00-13:00

本成寺・千仏堂

六角円堂の千仏堂は上杉家家臣、山吉長久により創建と伝わる。現在の円堂は1813年(文化10年)再興。堂内正面に釈迦牟尼像を安置、如来形の分身仏約千体が左右に安置されている。

12:00-13:00

本成寺・千仏堂向拝

向拝と木鼻(象鼻・獅子鼻・獏鼻)が軒まわりに彫られている。いずれも実に精緻で見事!

12:00-13:00

本成寺塔頭・要住院

本成寺に十カ寺ある塔頭の内の一つ、要住院。

要住院・寝牛

寝牛 1920年(大正9年)青蓮華院の火災の際、本堂欄間のまん中にあったものが檀家の手で外され持ち出されていた。今は要住院に安置されている。『越後の名匠 石川雲蝶』

12:00-13:00

本成寺塔頭・久成院

本成寺塔頭の久成院。門構えは本照院のそれと同じである。『越後の名匠 石川雲蝶』

久成院・門柱

門柱の獅子 やはり本照院のものとよく似ている。本照院の門の後、1850年(嘉永3年)制作の記録がある。『越後の名匠 石川雲蝶』

12:00-13:00

本成寺塔頭・本照院

本照院の門柱 棟札によると1847年(弘化4年)造立。雲蝶34歳のときである。『越後の名匠 石川雲蝶』

12:00-13:00

本照院・桁隠

破風飾り(桁隠)には龍が左右四体彫られている。法華経で龍は、法華経を守護する八大龍王で「護法の善神」とされる。『越後の名匠 石川雲蝶』

12:00-13:00

本成寺塔頭・静明院

本成寺塔頭 静明院の門柱

12:00-13:00

静明院・向拝

向拝蟇股左(琴高仙人) 鯉にまたがり本を読むこの老人は「琴高老人」といい、琴の名人。『越後の名匠 石川雲蝶』

12:00-13:00

静明院・向拝

向拝右(獅子) 本照院、久成院の門に見られる獅子より後年に制作され、躍動感のあるものになっている。1850年(嘉永3年)雲蝶37歳の作。『越後の名匠 石川雲蝶』

静明院・亀

「亀」の置物 雲蝶の作と伝わる。「高さ17.3cmの彫刻はまるで本物の亀のように見える。甲羅の表面の木目が美しく生かされ、腹側にも深くノミが入っており、丁寧に刳り貫かれている。」『越後の名匠 石川雲蝶』

12:00-13:00

静明院・門扉

門扉に残る抜け殻  年月を経て朽ちて来た扉と季節ごと繰り返される営みの対比の妙。

12:00-13:00

本成寺塔頭・蓮如院

本成寺塔頭 蓮如院 本成寺の彫刻制作にあたって雲蝶は蓮如院に寝泊まりしていたという。また院は雲蝶が婿養子となった酒井家の菩提寺で、位牌も安置されている。『越後の名匠 石川雲蝶』

12:00-13:00

蓮如院・木鼻

蓮如院 向拝と木鼻

蓮如院・猿

蓮如院に残されている「柿の実を持つ猿」 サルスベリの自然木を利用した木の股に柿の実を持った猿が腰かけ、上を見上げている。猿の表情はあどけなくユーモラスでもある。『越後の名匠 石川雲蝶』

13:00-14:00

本成寺霊跡・青蓮華院

本成寺霊跡 青蓮華(しょうれんげ)院 1297年(永仁5年)日蓮の法孫、日印がこの地に庵を設け、本成寺の基礎をなした。

青蓮華院・獏

焼け残った獏  1920年(大正9年)の火災で向拝のほとんどが火をかぶり、わずかに蟇股、手挟の部分が残った。『越後の名匠 石川雲蝶』

14:00-15:00

与板城址(長岡市)

与板城は天正期(1573-92年)直江氏によって築かれたとされる山城。直江実綱(後景綱)、その子信綱、養子兼続三代の城郭。郭・堀・土塁が残る。『日本城郭大系 7』

14:00-15:00

与板城址(長岡市)

城は三島丘陵の支稜で信濃川に向かって舌状を呈する丘陵上に築かれていた。二の郭、三の郭の規模は大きく、春日山城に次ぐほどであったとされる。『日本城郭大系 7』

15:00-15:00

長岡城址

長岡市

「長岡城址」を   >

長岡城は1605年(慶長10年)堀丹後守直寄が築いた平城。城門が17あり、三重櫓や二重櫓、多門櫓などを構えていたが、戊辰戦争で落城。その後 JR長岡駅ができて城址らしきものは残っていない。『日本城郭大系 7』

15:00-15:00

栃尾城跡

長岡市

「栃尾城跡」を   >

はじめてこの地に城を築いたのは、南北朝末期越後守護代であった芳賀禅可であったとされる。後に長尾氏の属城となり、1543年(天文12年)14歳の長尾景虎(謙信)が入城、5年過ごしている。『日本城郭大系 7』

15:00-15:00

秋葉三尺坊大権現・常安寺(長岡市)

報恩林清瀧山常安寺は1547年(天文16年)長尾景虎(謙信)創建になる曹洞宗の寺院。釈迦牟尼佛如来を本尊とする。秋葉三尺坊大権現は常安寺の守護神として、謙信が楡原の蔵王堂より遷したと伝わる。

15:00-15:00

秋葉三尺坊大権現・奥之院

奥之院の彫刻  安政期(1854-60年)に雲蝶と源太郎が制作を開始、8年の歳月を費やしたと伝わる。龍を得意とした源太郎が向拝回りを、胴羽目板彫刻の烏天狗の図を雲蝶が担当したものと推察できる。『越後の名匠 石川雲蝶』

15:00-16:00

道の駅 R290とちお

長岡市

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「道の駅 R290 とちお」で、栃尾名物の油揚げが乗った「あげ蕎麦」をいただく。肉厚の揚げは実に旨い!蕎麦も結構!

16:00-16:00

巣守神社・貴渡神社(長岡市)

巣守神社は458年(雄略天皇2年)守門ケ嶽の守門大明神の分霊を勧請。貴渡神社は栃尾織物の祖、植村角左衛門貴渡(たかのり)を祀る。

16:00-16:00

貴渡神社・向拝

向拝 正面に神社を守護する龍、左右に獅子と獏が彫られている。

16:00-16:00

貴渡神社・松に鳩

手挟(松に鳩) 内側の手挟には松の枝に止まる鳩と雀が丁寧に彫られている。『越後の名匠 石川雲蝶』

16:00-16:00

曹源寺(長岡市)

萬年山曹源寺は1433年(永享5年)頃に創建されたとされる曹洞宗の寺院。代々栃尾城主の菩提所となっている。本堂には延命地蔵菩薩が安置されている。

16:00-16:00

曹源寺・向拝

本堂向拝の唐破風懸魚には飛龍がつき、獅子は大きく目を見開いている。雲蝶の作風ではないようだ。『越後の名匠 石川雲蝶』

曹源寺・欄間

本堂廊下の欄間「馬上の玄徳」 中央の扁額の左右にある欄間二面は、これぞ雲蝶の作と思える特徴をもつ。『越後の名匠 石川雲蝶』

16:00-18:00

西福寺・開山堂「石川雲蝶の彫刻」

魚沼市

「西福寺・開山堂「石川雲蝶の彫刻」」を   >

西福寺開山堂 鎌倉期禅宗仏殿構造、茅葺二重層、上層入母屋造総ケヤキ、五間四方で唐破風向拝を有す。1852年(嘉永5年)起工、1857年(安政4年)年完成。『越後の名匠 石川雲蝶』

16:00-18:00

西福寺(開山堂)

魚沼市

「西福寺(開山堂)」を   >

向拝は雲蝶の手になるもので、中央破風は鳳凰が天に舞い、烏天狗が守護し、想像動物が重厚な質感で迫る。獅子や象、烏天狗などの眼球にギヤマンが使われている。『越後の名匠 石川雲蝶』 今回の旅の目的はこの向拝との再会。

開山堂・仁王像

開山堂入り口の仁王像  高さ2m余りのケヤキの一本彫り。わずかに部分的に彩色され、木目が全体に通り美しく波打っている。当初は山門に安置されていたが、現在は堂内に安置されている。『越後の名匠 石川雲蝶』

16:00-

開山堂・天井彫刻

開山堂内部の道元の物語、「道元禅師猛虎調伏之図」は雲蝶の作品で最もよく知られている。画匠としての手腕を振い、彫刻は極彩色に彩られている。雲蝶は絵具にも特殊な技巧を施した。『越後の名匠 石川雲蝶』

16:00-18:00

西福寺(開山堂)

魚沼市

「西福寺(開山堂)」を   >

手挟(上)と海老虹梁(えびこうりょう)(下) 力強くかつ繊細で引き込まれる。

16:00-18:00

西福寺(開山堂)

魚沼市

「西福寺(開山堂)」を   >

向拝左の獅子 中央破風の鳳凰、烏天狗と左右の獅子の豪勢な組み合わせが圧倒的に迫ってくる。

16:00-18:00

西福寺・鐘楼

開山堂隣の鐘楼 1850年(嘉永3年)建立。外回り蟇股の龍と亀、内側蟇股の獅子、鷹と雀、龍、天井の鶴などはいずれも源太郎の作。『越後の名匠 石川雲蝶』

18:00-18:00

穴地十二大明神

南魚沼市

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穴地十二大明神の創建は不詳。社殿は1864年(元治元年)再建。桁行三間、銅板葺の入母屋造。向拝、木鼻、手挟、欄間などを雲蝶が手掛けた。『越後の名匠 石川雲蝶』

18:00-18:00

穴地十二明神・向拝右

向拝右、力強く、動きのある獅子である。『越後の名匠 石川雲蝶』

18:00-18:00

穴地十二明神・内部

欄間(酒呑童子の大江山鬼退治)・左「鵺(ぬえ)退治」 松明を掲げる鎧武者、転げる兵士、兜巾をつけ刀を握る修験者が彫られている。『越後の名匠 石川雲蝶』 

18:00-18:00

穴地十二明神・柱

拝殿入り口、節の目立つ柱と扉 「中の彫刻もご覧ください。・・・扉を閉めて頂きますようお願いします」と入口に書かれ、照明スイッチの場所も示されている。地区長さんの計らいが嬉しい。  此処からは長野まで高速道がないので、休まず走っても6時間!

石川雲蝶の世界と城址と(新潟)

1日目の旅ルート

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