Shotaさんの富山県〜石川県の旅行記

今いちど北陸応援の旅−妙成寺・巌門など
- 1日目2024年9月6日(金)
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10:00-13:00
さかもと治療院(碑文谷)・しのみやクリニック(秋葉原)
さかもと治療院はオステオパシー(骨治療法)の治療院。ここのところ朝早く目が覚めるというと、自律神経のバランス不調とのことで治療を…。クリニックではキリスト教に関するご質問と井上・ドヘニー戦観戦の感想を伺う。
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15:00-15:00
横川 SA 下り
横川 SA のフードコートで「冷しネバとろそば」をいただく。トロロにオクラも入って、身体によさそう!そばもコシがあって結構!
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17:00-17:00
黒姫野尻湖 PA 下り
ナウマンゾウのブロンズ像は5分の1の復元。野尻湖西岸から、およそ3万5千年−4万5千年前の氷河期のナウマンゾウやオオツノシカの化石と、それらを狩りしていた旧石器人類(野尻湖人)の造った石器や骨器が多く発見されている。
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20:00-23:00
太閤の湯(射水市)
ホテル太閤の湯に到着。前回入れなかった温泉へ。浴室はあまり広くない上、温泉のみの利用者が多くかなりの混雑ぶり。
- 2日目2024年9月7日(土)
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00:00-07:00
ホテル太閤の湯(射水市)
11時には寝たので、6時に起床。朝食をすませて、さあ出発と思ったら、下駄箱のカギが見当たらない!ポケットをさぐり、部屋をさがしてもない。フロントに申し出ると、マスター・キーもスペアもないという。責任者に連絡してもらって、もう一度さがすことに…。荷物をひっくり返したら、あった!「ありましたか、よかったですね」と言ってくれたところに、責任者らしき女性から電話。あったというと、「あった! 困りますね! (わたし)起こされたんですから!」と切れられてしまった。マスター・キーさえあればこんな騒ぎには…という言葉は飲み込んだ。
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07:00-07:00
囲山遺跡(射水市)
囲山遺跡は、縄文前期−晩期(約6千年−2千4百年前)、弥生後期(約1千7百年前)頃まで営まれた複合遺跡。方形周墓などが発見され、管玉や短剣が出土している。
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07:00-07:00
大塚古墳は、生源寺台地突端部に築かれた円墳。高さ約6メートル、直径は上底約9メートル、下底約36.5メートル。
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07:00-07:00
大塚古墳
大塚古墳については発掘調査が行われていないため、内部構造や副葬品については不明だが、5世紀頃の築造と推定されている。
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08:00-08:00
高岡城は1609年(慶長14年)前田利長が築いた梯郭式の平城。堀、石垣が残り、高岡古城公園になつている。
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08:00-08:00
高岡城址 高山右近像
高岡城址には城の縄張りを行ったとされる高山右近の像が立つ。
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08:00-08:00
射水神社の創建は奈良期以前とされるが、詳細は不詳。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を主祭神とする。
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08:00-08:00
射水神社
拝殿は1793年(寛政5年)本覚坊十五世裕存により再建された。
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08:00-09:00
かつて高岡に在任していた大伴家持は、富山県内各地で詠んだ句を『万葉集』にまとめていた。その万葉集をテーマとした歴史博物館として、1990年(平成2年)に開館。
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09:00-09:00
壇城址(砺波市)
壇城は室町末期から戦国期の山城とされ、山上に城館の遺構が確認されている。桃井直常が居城とした。
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09:00-09:00
千代ケ様城址(砺波市)
千代ケ様(ちよがためし)城は南北朝期、桃井直常により庄川右岸の高く険しい三条山の山上に築かれた山城。「この城は長期にわたって使用されたものとは思えない。」『日本城郭大系 7』
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09:00-10:00
本願寺 井波別院(南砺市)
井波別院は西本願寺(浄土真宗本願寺派)の別院。かつて西別院は瑞泉寺にあったが、1649年(慶安2年)大谷派に変わった。しばらく別院は途絶えたが、1905年(明治38年)新たな別院が開かれた。
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09:00-10:00
本願寺 井波別院(南砺市)
本堂は鉄筋コンクリート造の再建。山門は風格があり、歴史を感じさせる。いつ頃のものだろうか…。
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09:00-10:00
井波別院 門 彫り
柱、扉、いずれにも井波伝統の見事な彫りが施されている。
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10:00-10:00
池尻中世石塔群(南砺市)
「池尻中世石塔群」は1966年(昭和41年)前窪、塚田付近から出土したもの。南北朝期(14世紀後半)のものが主体で、一部室町期のものを含む。
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10:00-10:00
池尻中世石塔群(南砺市)
近くには『太平記』に登場する井口城址があり、城と関連した広大な墓地があったと推定されている。
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10:00-10:00
池尻中世石塔群(南砺市)
五輪塔が最も多く、他に宝篋印塔や板碑一石一尊仏、一石五輪塔、茶臼、石臼などがある(展示はレブリカ)。
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10:00-10:00
井口城址(南砺市)
井口城は南北朝期、井口蔵人が築いたとされる平城。城址の一部が墓地となっているのみ。『日本城郭大系 7』
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10:00-10:00
井口城址(南砺市)
1988年(昭和63年)から1991年(平成3年)の発掘調査により、規模は東の135m、南北99mで、主要部のほか東に出丸の郭があることが分かっている。
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10:00-10:00
田尻遺跡(南砺市)
田尻遺跡は縄文期から江戸期にわたる遺跡。特に縄文期と鎌倉・室町期のものが多い。
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10:00-10:00
田尻遺跡(南砺市)
縄文後期後半(約3千年前)の土器、石器、石組の炉址や土偶の頭部が見つかっている。 鎌倉・室町期(13世紀−16世紀)の堀立柱建物、井戸、水路、食器などが見られる。
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10:00-11:00
「四天雄飛の図・左」(1950年作・写) 「愛染苑」再訪。展示作品は変わっていなかったが、また新たな感動を!
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10:00-11:00
「美の正体 ありとあらゆる 物と事との中から 見付け出した喜」「六曲一双屏風」より
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10:00-11:00
「鯉雨画斉」の茶の間 志功一家が暮らした茶の間がそっくり残されている。
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10:00-11:00
床の間脇の板戸にも見られる大胆な筆づかい!
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10:00-11:00
厠の壁、天井にも天女が描かれている。
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11:00-11:00
南砺市立福光美術館は、寄贈された日本画家・石崎光瑶の作品450点余りを展示するため1994年(平成6年)に開館。さらに棟方志功や松村秀太郎の作品も加えられた。
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11:00-11:00
現在、石崎光瑶展を開催中である。
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11:00-11:00
礪波の関址(小矢部市)
「礪波の関」は、奈良期に北陸道沿いに設けられた関所。越中国(富山県)と加賀国(石川県)の国境となった砺波山付近に置かれていたとされる。
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11:00-11:00
礪波の関址(小矢部市)
「礪波の関」は、「鼠ケ関」(新潟県と山形県の境に置かれた関所)、「愛発(あらち)の関」(滋賀県と福井県の境に置かれた関所)と共に「越の三関(さんげん)」の一つに数えられている。
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11:00-11:00
礪波の関址 大伴家持歌碑(小矢部市)
「焼太刀を 砺波の関に 明日よりは 守部やり添え 君を留めむ」と読んた越中守・大伴家持の歌碑が立つ。【749年(天平感宝元年)の歌。『萬葉集』に収められている。】
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11:00-11:00
万葉公園(小矢部市)
「万葉公園」 大伴家持は、746年(天平18年)より751年(天平勝宝3年)まで越中の国守として在任、多くの名歌を詠み残した。
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11:00-11:00
万葉公園(小矢部市)
千二百年前の上代のままに咲く草木を寄せ、家持在任中の万葉びとの植物詠歌を石に刻んで「萬葉公園」とした。
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11:00-12:00
平安末期、1183年(寿永2年)平家打倒のため挙兵した木曾(源)義仲が、都から侵攻してきた平維盛を総大将とする軍勢と激突した砺波山の戦場址である。
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11:00-12:00
義仲は部隊を七手に分け、平家軍に夜襲をかける。このとき、義仲は角に松明をつけた4、5百頭の牛を平家軍に向かわせ、平家の将兵が大混乱に陥ったと『源平盛衰記』は伝える。
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11:00-12:00
義仲軍の猛攻により、逃げ場を失った平家軍は深い谷底へと落ちていく。その谷は阿鼻叫喚の地獄絵図さながら、後に「地獄谷」とよばれ、流れ出た血や膿が川となり、「膿川」という地名となって残る。
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11:00-12:00
倶利伽羅峠 芭蕉句碑
「義仲の 寝覚の山か 月かなし」と義仲の末路を哀しんで、芭蕉が詠んだ句碑が立つ。
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12:00-12:00
為盛塚(小矢部市)
平為盛は平頼盛の次男。倶利伽羅峠の戦いで討死したと伝わる。
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12:00-12:00
為盛塚(小矢部市)
為盛の死については、義仲麾下の樋口兼光によって捕らえられ斬首とも岡田久義と一騎討ちして討死とも・・・。
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12:00-12:00
為盛塚(小矢部市)
異説には、為盛は都落ちに際して父・頼盛の使者を務めた。あるいは将軍・源実朝の従者を務めたという説などがあるという。
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12:00-12:00
蟹谷次郎の碑(小矢部市)
「蟹谷次郎由緒の地」 倶利伽羅峠の戦いにおいて越中国武士団の諸将が参戦。中でも民情に明るい蟹谷次郎は先陣をはたした。
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12:00-12:00
源氏太鼓由来
源軍の大勝に蟹谷次郎は酒宴を張って戦勝を祝い、乱舞しながら太鼓を打ち鳴らした。この勝鬨太鼓は源氏太鼓として伝承されている。
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12:00-13:00
志雄 PA
「志雄パーキングエリア」は「のと里山海道」の PA 。眺めがよく、千里浜に降りていくことができる。
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12:00-13:00
志雄 PA のフードコートで「にしんうどん」をいただく。出汁をひと口すすって、思わず声をあげる!「ウマい!」昆布、カツオ・・・。コクがある!驚いた。
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14:00-14:00
「巌門」 日本海の荒波に削られた景観は古来から知られている。 この度の地震によるダメージは海沿いの施設、アスファルトの道路など随所に見られた。
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14:00-14:00
巌門北側展望地 猪鼻崎。海岸に降りる道はやはり所どころダメージを受けている。
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14:00-14:00
巌門 安藤広重
1853年(嘉永6年)安藤広重の『六十余州名所図会』に、能登国の「滝之浦(巌門・不動滝・鷹巣岩)」が描かれている。
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14:00-15:00
金栄山妙成寺は1294年(永仁2年)日蓮の孫弟子・日像開山の日蓮宗の古刹。 震災の影響を案じながら訪れた。入口の石垣が少し崩れている。
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14:00-15:00
二王門は1625年(寛永2年)建立。三間一戸の楼門、二階建入母屋造、棧瓦葺。
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14:00-15:00
妙成寺 那羅金剛像
存在感のある那羅金剛像とガッチリした門柱。
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14:00-15:00
妙成寺 鐘楼
鐘楼は1625年(寛永2年)建立。袴腰を持つ純和様で日蓮宗伽藍様式を象徴するもの。
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14:00-15:00
妙成寺 本堂
本堂は1614年(慶長19年)三代藩主・前田利常の帰依により、前田家御用大工・坂上又三郎を棟梁として建立。入母屋造、柿(こけら)葺。本尊は一塔両尊四天王四菩薩など。
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14:00-15:00
妙成寺 三光堂
三光堂は1623年(元和9年)建立。堂内に三光天(日天・月天・明星天)を安置する。
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14:00-15:00
妙成寺 経堂
経堂は1670年(寛文10年)四代藩主・前田光高の遺願により建立。前一間通りを吹放しとする。天海版一切経を納める。北陸地方最古の法華経版木(1415年・応永22年)を蔵する。
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14:00-15:00
妙成寺 五重塔
1618年(元和4年)前田家御用大工・坂上越後守嘉紹を棟梁として建立。総高34.18m。栩葺の屋根は五重塔としては全国唯一。 栩葺が何とも言えない味わい。
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15:00-15:00
妙成寺 ひやしあめ
汗びっしょりになって、門前の茶屋で「ひやしあめ」をいただく。客は他におらず、震災後のご苦労をあれこれ伺う。と、三、四人のグループが・・・。声をかけたようだが駐車場の自販機へ。「機械が少しでも動いてくれれば・・・」という言葉を聞いて、どんな形であれ、地域が少しでも復興するように、という願いが伝わって来た。
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15:00-16:00
気多大社は社伝によれば第八代孝元天皇の頃、祭神の大己貴命(おおやむちのみこと)により創建とされる。
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15:00-16:00
神門は安土桃山期、1584年(天正12年)の造営。切妻造、檜皮葺の四脚門。
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15:00-16:00
本殿の向拝 本殿は1787年(天明7年)造営。両流造、檜皮葺の三間社。 向拝・木鼻の彫りが深く、素晴らしい。
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16:00-16:00
折口博士 父子の墓 「もっと苦しき たたかひに 最くるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその 父 信夫 の墓」 1949年(昭和24年)建立
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16:00-16:00
折口信夫父子の墓碑
折口信夫は国文学、民俗学の大家であり、また釈超空の筆名で独自の歌風を確立。独身であった折口は、門弟・藤井春洋を養子嗣とした。春洋は1945年、硫黄島で戦死。信夫は1953年逝去。
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16:00-16:00
金沢市ものづくり会館(金沢市)
金沢市のものづくり産業全般の振興を図るために建てられた施設であり、広く市民にも開放されている。海岸に近いため、ダメージがあるようで、コーンが並んでいた。
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17:00-17:00
加賀藩士・寺島蔵人(1777−1837年)は禄高450石、12代藩主前田斉広のもと、藩の農政、財政面で手腕を発揮。書画工芸にも造詣が深く、寺島応養と号した。
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17:00-17:00
近江町市場は江戸期、1721年(享保6年)に始まり、加賀藩の御膳所であつた。名前の由来は諸説あるが、近江商人が作ったことによるとされる。現在約170軒の店が並んでいる。
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17:00-17:00
近江町市場
市場は朝が早いせいか、夕方5時を過ぎるともう店じまい。
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17:00-17:00
加賀八家 奥村家屋敷址
奥村家は、前田家が尾張荒子城にあった頃からの旧臣。邸地は1620年(元和6年)頃今の兼六園の地に始まり、1696年(元禄9年)石引のこの地に移され明治を迎えた。
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17:00-17:00
香林坊標柱(金沢市片町)
「香林坊」は金沢市中心部の町名。比叡山の僧・香林坊が還俗して町人向田家の跡取り、向田香林坊となり、「香林坊家」として目薬の製造販売に成功したのが由来とされる。
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17:00-17:00
「走れ!」(金沢市片町)
「走れ!」(金沢・まちなか彫刻作品・国際コンペティション2004 最優秀賞) 市内の中心部に据えられており、クルマ・人で混雑しているなかに忽然と現われる。
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18:00-18:00
和田山城址(能美市)
和田山城は1506年(永正3年)越前守護職・朝倉貞景に追われて加賀国に亡命してきた、和田坊超勝寺によつて築塁されたと推定される。和田山の南端部、標高30−40mの丘陵に位置した。『日本城郭大系 7』
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19:00-20:00
尼御前 SA (上り)
尼御膳まで走ったところで、「ウメとろそば」をいただく。少々もっちゃりしているかな…などと思いながらたぐっていると、後ろで店員どうしの大きな話し声が・・・。つい「静かに!」と。いやーな気分・・・。
今いちど北陸応援の旅−妙成寺・巌門など
1日目の旅ルート
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